注意! これは神戸大学病院医学部5年生が提出した感染症内科臨床実習時の課題レポートです。内容は教員が吟味し、医学生レベルで合格の域に達した段階で、本人に許可を得て署名を外してブログに掲載しています。内容の妥当性については教員が責任を有していますが、学生の私見やロジックについてはできるだけ寛容でありたいとの思いから、(我々には若干異論があったとしても)あえて彼らの見解を尊重した部分もあります。あくまでもレポートという目的のために作ったものですから、臨床現場への「そのまま」の応用は厳に慎んでください。また、本ブログをお読みの方が患者・患者関係者の場合は、本内容の利用の際には必ず主治医に相談してください。ご不明な点がありましたらブログ管理人までお問い合わせください。kiwataアットmed.kobe-u.ac.jpまで
HTLV(Human T cell leukemia virus)-1はATL(adult cell leukemia-lymphoma)やHAM(HTLV-1-associated myelopathy)の原因となるレトロウイルスの一種であり、日本では108万人、全世界で1千万から2千万人のキャリアーが存在すると推計されている 1)。現在ATLに対する有効な治療法は確立されておらず、発症すると予後はきわめて不良である。HTLV-1キャリアーが一生涯の間にATLを発症するリスクは2-5 %程度2)と決して低いとは言えず、HTLV-1感染を予防することが重要である。
HTLV-1の感染経路
輸血等の血液感染、性交渉、臓器移植なども感染経路となりうるが、母子垂直感染、とりわけ母乳が最大の感染経路である3)。HTLV-1陽性の母親の子供が母乳保育される場合、感染リスクは16 %から30 %とされる4),5)。ウイルス陽性の母親の子供について長崎県で20年にわたって実施された大規模な前向き研究(n=1477)では、人工栄養(粉ミルク)で保育された子供と6ヶ月未満母乳で保育された子供、6ヶ月以上母乳保育された子供の感染率はそれぞれ2.5 %, 7.4 %, 20.3 %であり統計学的に有意な差が認められ、母乳の長期保育が感染リスクを増大させることが示唆された4)。また、母乳中のprovirus loadが高いほど感染リスクが高いことも知られている6)。
凍結母乳の感染リスク
厚生労働省のがん臨床研究事業が運営する妊婦向けのサイト「HTLV-1情報サービス7)では母乳の凍結解凍により「感染力を無くすことができ」るとしている。実際、-20℃で12時間冷凍した母乳で保育した場合12ヶ月の時点でHTLV-1抗原の陽性率は0 %(0/13)であった(母乳保育した群で45 % (14/31))8)。
-12℃以下で一晩冷凍し37℃で解凍した母乳を与えた子供についてフォローアップした研究でも同様にHTLV-1の抗体陽性率は0 %(2歳の時点で0/33、11-12歳の時点で0/21)であった(一方非凍結母乳の群でおよそ30%が陽性(n=18))という報告もある9)。 凍結と解凍により感染力が低下するのは、母乳を介した感染は遊離のウイルス粒子ではなく母乳中の感染リンパ球によって起こると考えられ、このリンパ球は凍結や解凍により細胞の構造が破壊されて感染性を失うためであるとされている10)。ちなみにこの仮説について細胞レベルの実験や動物実験による検証はされてはいない。さらに上記の二つの報告はサンプル数が少ないこと、また凍結母乳を与えた群では感染リスクが高まる恐れから凍結母乳保育の期間が一般的な哺乳期間よりも有意に短縮されていた(平均で約2ヶ月)ことで感染率が減少した可能性が否定できないことから、凍結母乳の安全性を十分に証明できたとは言えない。現在エビデンスレベルの高い母子感染予防対策を確立するために凍結母乳の安全性の検証を含めた全国規模のコホート研究が計画されており、その結果が待たれる。
母乳栄養は授乳による母子相互作用の促進、分泌型IgAやラクトフェリン、リゾチームなどの受動免疫作用、経済性、便宜性などの長所があるとされる。しかし凍結母乳保育は人工保育と同様に哺乳瓶授乳であり、搾乳から凍結と解凍の手間がかかる上、(少なくとも長期の)凍結によりIgAなどの有用とされるタンパク質が減少し11)、母乳栄養としてのメリットがあるかすら疑問である。これらのことを勘案すると児へのHTLV-1感染のリスクを考慮するとHTLVウイルスに感染している母が敢えて母乳保育を選択するメリットはないように思われる。
(reference)
1) Harrison’s Internal Medicine, 18th edition p.1502-1505
2) David T Scadden, Andrew R Freedman, Paul Robertson, “Human T-lymphotropic virus type I: Disease associations, diagnosis, and treatment” Last updated on 2011/01/28 Up to date
3) David T Scadden, Andrew R Freedman, Paul Robertson. " Human T-lymphotropic virus type I: virology, pathogenesis, and epidemiology". Last updated on 2011/08/29. Up to date
4)The effects of breastfeeding and presence of antibody to p40tax protein of human T cell lymphotropic virus type-I on mother to child transmission. Hirata M et al. Int J Epidemiol. 1992;21(5):989.
5) Prevention of mother-to-child transmission of human T-lymphotropic virus type-I. Tsuji Y et al. Pediatrics. 1990;86(1):11.
6) Provirus Load in Breast Milk and Risk of Mother-to-Child Transmission of Human T Lymphotropic Virus Type I J Infect Dis. 2004 Oct 1;190(7):1275-8. 2004 Aug 30.
7) http://www.htlv1joho.org/index.html 厚生労働省科学研究費補助金 がん臨床研究事業
「HTLV-1キャリア・ATL患者に対する相談機能の強化と正しい知識の普及の促進」
8)Effect of freeze-thawing breast milk on vertical HTLV-I transmission from seropositive mothers to children. Ando Y et al., Jpn J Cancer Res. 1989 May;80(5):405-7.
9) Long-term serological outcome of infants who received frozen-thawed milk from human T-lymphotropic virus type-I positive mothers. Ando Y et al., J Obstet Gynaecol Res. 2004 Dec;30(6):436-8.
10)HTLV-1 抗体陽性妊婦および判定保留妊婦から出生した児のコホート研究‐施行マニュアルver.1.0‐厚生労働科学研究補助金成育疾患克服等次世代育成基盤研究事業(H23-次世代-指定-008)
11) Effects of cooling and freezing storage on the stability of bioactive factors in human colostrum.
Ramírez-Santana C et al. J Dairy Sci. 2012 May;95(5):2319-25.
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