現在、準備している文章の一部です。長いです。
以下に述べることは多分に仮説に基づいている個人的な見解です。
基本的にぼくは診療のプロで、予測のプロではないために、未来予測はしないことにしています。臨床屋がやるべきは「想定されるシナリオを全部想定して、そのすべてのシナリオに対する最適解を模索する」ことです。なので、予測の欲望には抑制的であるべきで、「未来はこうなる」とは言わないものです。
しかしながら、今回はその定石をあえて選択せず、ある程度未来予測めいたものについても言及します。すなわち、「第二波がどうなるか」です。なぜ、未来予測めいたものを述べるに至ったかは、本稿をお読みいただければご理解いただけると思います。
読者の皆さんを焦らすのはぼくの本意ではありませんから、先に結論を申し上げておきます。つまり、
「第二波は第一波より(いろいろな意味で)小さいものになる可能性が高い」
というものです。
1918年の「スペイン風邪」と呼ばれたインフルエンザ・パンデミックでは、第一波よりも第二波のほうが規模が大きく、より多くの死者が出たことが知られています(Reopening too soon: Lessons from the deadly second wave of the 1918 flu pandemic [Internet]. Washington Post. [cited 2020 Jun 22]. Available from: https://www.washingtonpost.com/history/2020/05/24/second-wave-pandemic-flu-1918-coronavirus/ 国立感染症研究所感染症情報センター インフルエンザ・パンデミックに関するQ&A [Internet]. [cited 2020 Jun 22]. Available from: http://idsc.nih.go.jp/disease/influenza/pandemic/QA02.html)。
その原因ははっきりとはしていませんが、アメリカなどでは戦費調達のためのパレードを決行し(当時は第一次世界大戦が行われていました)、こうした活動が流行を広げたという説もあります。
いずれにしても、100年前のスペイン風邪の経験から、次の第二波はより大きくなるのではないか、という予測がなされているのです。
この予測(懸念)が正しくなる地域もひょっとしたらあるかもしれません。が、ぼくの予想では、多くの国ではそうはならないだろうと思います。おそらく日本もそうはならないと考えます(希望もしています)。
では、なぜそう考えるのか。その根拠を述べる前に、以下の重要な命題を議論する必要があります。それは、
「なぜ日本では(第一波の)感染者数も死亡者数も少なかったのか」
です。
この問題は世界中多くの方に議論されています。ぼく自身、国内外の新聞社やテレビ局にこの質問をしばしば受けています。当初はぼくにも分からなかったです。いくつか仮説はあったもののすべて仮説の域はでなかったからです。現在でも、この命題に対する回答は仮説の範囲のなかです。これだけ大規模な国レベルの感染症の流行なんて、そう簡単に再現実験のような実証は不可能だからです。
が、現在ではこの理由についてはある程度目星がついています。
それは、他の仮説を否定するとうい消去法によるものです。シャーロック・ホームズのように「全ての不可能を除外して最後に残ったものが如何に奇妙なことであってもそれが真実となる」わけで、対立仮説を除外していけば、残された仮説こそが真実(に一番肉薄しているもの)、といえるのです。
ときに、
「なぜ日本では(第一波の)感染者数も死亡者数も少なかったのか」
という命題は最初に修正しておかねばなりません。
どうしてかというと、第一波の感染者数、死亡者数が少ないのは日本だけではないからです。
では、まずは多い国から見ていきましょう。
ジョンズ・ホプキンス大学システムサイエンス・工学センターのCOVID-19ダッシュボードをみてみます。2020年6月22日午前の段階で、最も確定例が多いのは、
アメリカ2,278,588例
ブラジル1,083,341例
ロシア583,879例
インド410,461例
英国305,803例
ペルー251,338例
スペイン246,272例
チリ242,355例
イタリア238,499例
イラン204,952例
フランス197,088例
ドイツ191,272例
トルコ187,685例
メキシコ180,545例
パキスタン176,617例
サウジアラビア157,612例
バングラデシュ112,306例
カナダ103,078例
南アフリカ共和国97,302例
カタール87,369例
中国84,556例
コロンビア65,813例
ベルギー60,505例
ベラルーシ58,505例
スウェーデン56,043例
などとなっています。アメリカ、ブラジル、ロシア、インドという人口の多い国に感染者が多いことに気づきますが、最初に流行が起きた中国は巨大な人口を抱えているにも関わらず、「案外」感染者数は低く抑えられています。また、当初は「成功した」国と目されていたドイツもかなりの感染者を出していますし、実験的にロックダウンはしてこなかったスウェーデンも感染者数は5万人を超えました。
日本はとというと、同じデータによると
17,780例
です。世界的に見れば、これはかなり少ないデータと言えましょう。
もちろん、これは人口構成を無視して考えていますから、国際感比較をするためには「人口あたりの感染数」を検討しなければなりません。ヨーロッパCDCのデータをOur World in Dataというサイトが引用しており(https://ourworldindata.org/covid-cases#world-maps-confirmed-cases-relative-to-the-size-of-the-population)、これによると、人口100万人あたりの感染者数で多いのは(同日閲覧)
カタール30,019(端数は切り捨て)
サンマリノ20,507
バーレーン12,535
チリ12,384
アンドラ11,065
クエート9,166
ペルー7,622
シンガポール7,150
アメリカ6,812
アルメニア6,650
ルクセンブルク6,557
ベラルーシ6,131
パナマ5,845
オマーン5,593
スウェーデン5,549
アイスランド5,339
ベルギー5,224
ジブラルタル5,223
アイルランド5,138
ブラジル5,022
ジブチ4,620
アラブ首長国連邦4,502
英国4,464
サウジアラビア4,430
モルジブ4,045
ロシア3,953
イタリア3,940
さあ、感染者数をそのままみるのとは随分違う光景が見えてきます。人口が少ないところは、感染者数が少し増えただけで人口あたりの感染者数は激増します。よって、さきほどは出ていなかったサンマリノとかルクセンブルク、モルジブといった名前が見られるようになります。さて、少ない方はというと、
パプアニューギニア0.89
レソト1.87
ラオス2(以下、小数点以下切り捨て)
ベトナム3
アンゴラ5
ミャンマー5
カンボジア7
タンザニア8
シリア11
ブルンジ12
ガンビア15
ウガンダ18
ナミビア18
チモール18
台湾18
フィジー20
モザンビーク22
イエメン30
マラウィ32
ジンバブエ32
ボツワナ37
エチオピア38
エリトリア40
と続きます。多い国と違い、ヨーロッパやアメリカ大陸の国がほとんど見られなくなり、アジアやアフリカの国がたくさん出てきます。ただし、アフリカ諸国はまだそもそも流行が始まっていない可能性があります。この「スナップショット」は「時間」という概念を完全に無視して累積患者数を人口で割っただけなので、解釈には注意が必要です。あと、少ない国で注目したいところでいえば、
タイ45
中国58
日本140
インドネシア164
ニュージーランド240
韓国242
マレーシア264
フィリピン268
といった感じです(ちなみに、このデータベースには香港は入っていません)。
こうやって人口あたりの患者数だけをみると、決して日本だけが突出した「成功者」とはいえないことが察せられます。もちろん、欧米のような露骨な「失敗者」でもないでしょう。
人口あたりの感染者数が特に多い国にアイスランドがあります。ベルギーよりも少し多い。感染対策が大失敗したと目され、首相が病院を訪問したときに病院スタッフが抗議目的で首相の車に背を向けたくらい、「大失敗した」と評されるのがベルギーです(Belgian hospital staff turn their backs on PM [Internet]. BBC News. [cited 2020 Jun 22]. Available from: https://www.bbc.com/news/av/world-europe-52699962/coronavirus-belgian-hospital-staff-turn-backs-on-pm-sophie-wilms)。
実はアイスランドは「COVID-19対策の成功者」と考えられています。本稿執筆時点で10人しか死亡者を出していないからです (With testing, Iceland claims major success against COVID-19 - The Mainichi [Internet]. [cited 2020 Jun 22]. Available from: https://mainichi.jp/english/articles/20200504/p2g/00m/0in/056000c
なぜ、アイスランドで死亡者が少ないのか。特別な治療法がアイスランドに存在するのか。おそらく、そうではありません。これは一種の「分数のマジック」です。
つまり、アイスランドは徹底したPCR検査の駆使により、軽症者や無症状者をどんどん診断し、隔離していったのです。軽症者無症状者の多くは自然に治癒しますから、死亡リスクは高くありません。片っ端から調べれば感染者数は増えるのですが、「そこは問題ではない」。
一方、人口あたりの感染者数はアイスランドより少ないベルギーですが、死亡者は多かった。確定感染者数あたりの死亡者はアイスランドはほぼ0に近いのですが、これに対して、ベルギーではなんと16%にまで至ってしまいました。両者の差は歴然としています(https://ourworldindata.org/mortality-risk-covid?country=BEL~ISL#the-case-fatality-rate)。
こう考えてみると、感染者数や人口あたりの感染者数では、各国の対策の「適切さ」はうまく理解できないことが分かります。成功者アイスランドと失敗者ベルギーの区別もできないのですから。
そもそも、日本のように検査数をかなり抑えた国だと、多くの感染者を見逃していたであろうことが容易に推察されます。
最近になってあちこちで抗体検査が行われるようになりました。抗体検査についての説明は別の場所に譲りますが、「過去の感染総数」を知りたいときに使うのが抗体検査です。これをみると、概ね抗体検査で推定される日本の総感染者数は、PCR検査で確定した累積感染者数よりも一貫して多いです。「どのくらい多いのか」についてはいろんな議論が必要ですが、「日本でのPCR検査の確定例は、感染者数を過小評価している」という点においては識者の見解はまず100%一致しているものと思います。
いずれにしても、感染者数は国の評価にはイマイチなようです。よって、より大事なのは
「死者数」
になります。が、死者数も人口の影響を受けますから、分数にする必要があります。すなわち、
「人口あたりの死者数」
です。多くの場合、
「感染者あたりの死者数」
が感染症評価の指標になることが多いのですが、先に述べたように感染者数はあまり当てになりませんから(とくに日本の場合は)、間違いの少ない「人口あたり」にするのです。
では、人口100万人あたりの死亡者数を多い順にみると(https://ourworldindata.org/covid-deaths 閲覧同日)
サンマリノ1,237(小数点以下切り捨て、以下同様)
ベルギー836
アンドラ673
英国627
イタリア572
スウェーデン500
フランス453
アメリカ361
オランダ355
アイルランド347
ペルー238
エクアドル238
ブラジル235
チリ224
カナダ222
スイス194
ルクセンブルク175
メキシコ161
ポルトガル161
モナコ127
モルドバ115
と続きます。サンマリノはイタリア半島の東側にある人口3万人程度の小さな国です。イタリア同様COVID-19に苦しめられています。現段階では42名の死者数ですが、人口3万しかいないので、42は大きいですね。ぼくの生まれ故郷の島根県宍道町がざっくり人口1万人弱なので、そのインパクトはイメージできます。
低いほうで主だったところをあげると
ブータン0
カンボジア0
ラオス0
モンゴル0
チモール0
ベトナム0
ミャンマー0.11
台湾0.29
スリランカ0.51
ネパール0.76
中国3.22
マレーシア3.74
オーストラリア4.00
シンガポール4.44
ニュージーランド4.56
韓国5.46
日本7.53
フィリピン10.49
流行が始まっていない、あるいは小規模なアフリカなどの国は除いていますが、どうですか。もろに傾向の違いは分かりますね。要するに、
欧州・南北アメリカ大陸
で、やたら死亡リスクが高く、
アジア
で低いのです。
この傾向の違いは、人口100万あたりの死亡数が二桁も違うため、露骨です。
死亡率のように数値のデータ、「男、女」みたいに2つ(あるいはそれ以上)にわけない数字のデータを「連続変数」などということがあります。
連続変数の評価は、「優劣そのもの」よりも「両者の違いがどれくらい露骨か」が比較の決め手です。ベルギーと日本の人口あたり死亡数には100倍以上の違いがあります。これくらい露骨に違うと、面倒くさい統計計算なんかしなくても、「ベルギーのほうが多い」ことはほぼ断定できます。
例えば、韓国と日本の人口あたりの死者数は相対的には小さいものです。簡単な統計計算をすると、両者の違いは(俗に言う)「統計的有意差」はあります。けれども、臨床的な差は小さいのでぼくらは「両者はそんなに違わない」と判断します。もう少し正確に言うならば、「韓国と日本のCOVID-19の人口あたりの死亡者数の臨床的な差はベルギーと日本のそれに比べれば遥かに小さい」という言い方になるかもしれませんが。
いずれにしても、うまくいっていない国とうまくいっている国の違いは、人口あたりの死者数をみるとかなり露骨です(ただし、これから流行が起きるかもしれない国を単純に勘定には入れられないので、そこは注意が必要です)。そして、いろんなデータを見てきましたけど、少なくとも
「日本だけが特化して新型コロナウイルス対策でうまくいった」
と断言するデータはどこにもありません。日本を「成功者」と判定するなら、そして、そのように判定してもよいとぼくは判断するのですが、それは日本「だけ」の属性ではなく、
日本を含むいろんな国、特にアジア・オセアニア
の特徴として、判断せねばならないのです。
さあ、そういう考え方をすると、いくつかの仮説が除外できると思います。例えば、
「日本人は家に入るとき靴を脱ぐから感染者が少ないのだ」
という説を耳にしたことがあります。確かに、靴の裏にはウイルスが付着している可能性がありますので、靴を脱げば靴からの感染リスクは減らされると、直感的には思えます。
しかし、上記のように
「日本以外の国々」
も成功者にカウントするならば、日本固有の文化である靴を脱ぐ、が全体に与えるインパクトはほとんどないか、極めて小さなものであろうことも推察されます。
ぼくがお手伝いをしているCOVID-19指定医療機関ではレッドゾーンに入るときに靴の履き替えはしませんし、シューカバーもしません。別のところでも説明しますが、防護具(PPE)は着れば着るほど安全、というのは素人目線の間違いでして、PPE着用下での感染リスクは「脱ぐときのウイルス付着」が大きいのです。シューカバーをすれば、それを脱がなければなりません。暑いうっとうしいPPEを来て医療行為をすると、汗だくになり、ヘトヘトになります。感染のストレスもとても強いです。そんな心身への過大なストレスで疲労困憊しているときに、かがんでシューカバーをとりはらう行動そのものがウイルスに触ってしまうリスクになるのです。
ほとんどの場合、接触感染は手から起きます。もちろん、例外はありますが、例外はあくまで例外です。ウイルスは自ら飛行能力を持ちませんから、靴の裏についたウイルスは空を飛んでみなさんの口や鼻には入っていきません。靴の裏を触るとか、床を舐めるとかするとウイルス感染のリスクですが、そういうことをしなければまずまず問題にはなりません。
事実、基礎医学の研究では靴にウイルスが付着する可能性は指摘されていますが、実際の疫学研究などで靴からCOVID-19感染はほとんど報告されていません。
「頻度」の概念は非常に非常に大事です。基礎医学研究のデータをそのまま臨床現場の判断に使ってはいけない、と我々は厳しく教えられますが、それは基礎医学研究のデータがしばしば「極端な例外的な環境下」で行った実験だからです。理由は簡単で、極端にしたほうが結果が出しやすいからです。だから、カジュアルに喋っているときの飛沫の影響よりも、大声で騒いだり歌っているときの飛沫の影響を調べる傾向にあります。
よって、基礎医学の実験データを解釈するときは、
「こういうことがまれに起こりうる」
のか、
「こういうことがしばしば起きる」
のか、
「こういうことは常に起きている」
のかをきちんと区別して解釈する必要があります。
また、
「ウイルスがどこどこに存在する、飛散する」
と
「それが実際に感染を起こしうる」
と
「それが、現実にあちこちで感染を起こしている」
は区別しなければなりません。微生物=感染症、ではありません。「感染しうる」=「感染している」でもありません。
というわけで、屋内では靴を脱ぐ日本の習慣こそがCOVID-19対策の「決め手」ではないことが、容易に想像できます(わずかに寄与している可能性は否定しません)。同じ根拠で入浴習慣など「日本人の習慣」はあまり関係ないか、少なくとも決定的要因ではないと思います。
同様に、「日本人は声が小さい」とか「握手をしない」といった習慣も「決め手」ではなさそうです。ぼくのささやかな経験では、かつて住んだり訪問してきた国、、、、中国本土や香港の人たちは概ね声が大きいですし、韓国の方も日本人より大きい印象を持っています(ここは印象論なので間違ってたら教えて下さい)。
ハグやキスの習慣はどうでしょうか。これは、もしかしたら多少の影響はあるかもしれません。ただし、オーストラリアやニュージーランドは感染対策の「成功国」と考えられますから、英国のコモンウェルスの一員であるこうした国が、英国本国やカナダと「ハグやキス」で決定的な違いを生んだとはちょっと考えにくいです。まあ、両国ともに先住民族がいますから、ここでも断言はできませんが。ニュージーランド在住の感染症医、青柳有紀先生にマオリ族のハグやキスの習慣については今度教えてもらおうと思っています。
マスクはどうでしょう。よく言われるように、欧米では健康な人がマスクを着用する習慣がありません。病気になったら休みますし、日本のように風邪の症状に苦しみながらゴホゴホ、マスク着用で通勤したりはしないでしょう(今は日本でもそんなことはしないでしょうが)。
マスクの着用がしっかりしている国としては、英国BBCはメインランドの中国、香港、日本、韓国、タイ、台湾を挙げています。インドネシアやフィリピンでも同様みたいです(Zurcher TW Anthony. Why some countries wear face masks and others don’t. BBC News [Internet]. 2020 May 12 [cited 2020 Jun 22]; Available from: https://www.bbc.com/news/world-52015486)。
ですから、マスク着用の有無がコロナウイルス感染対策の成否を分ける一因になっている、という仮説は説得力があります。
ただ、ぼくは若干懐疑的です。
なぜならば、よく知られているように、医療用マスクの効果は「感染者が感染を広げる」のを防ぐことであり、「非感染者が感染しない」効果はないか、ほとんどないことが示唆されているからです。布マスクについてはもっとデータが少ないですが、基本的には評価は同じです。
日本では、PCR検査によるデータは感染者を過小評価しています。しかし、抗体検査でも「累積総感染者数」は多くありませんでした。データは概ね1%未満であり、100人に1人も感染していなかったことが示唆されています。これが「過去の感染者」ではなく、「現在の(他者に感染しうる感染者)」の数になると、もっともっと少ないでしょう。
マスクの効果は「ある程度感染者が多くて、無症候感染者がまわりにうようよしていて、そうした感染者がみんなでマスクを着けることによって感染リスクをヘッジする」という戦略に基づいています。「だれもが感染者だと思って」。みなさんも、こういうスローガンを耳にしたのではないでしょうか。
でも、実際の日本は「だれもが感染者」ではなく「ほとんど感染者ではなかった」状況でした。もちろん、クラスターの内部では別ですが、日本でのクラスターはほとんどが俗に言う「三密」の条件を満たす閉じた空間内であったか、医療機関の感染がほとんどでした。市中の路上など、一般的な空間には感染者はほとんどいなかったのです。だから、稀有な感染者がマスクを着けることで感染対策に成功した、という仮説はちょっと成立しにくくなります。
ダイヤモンド・プリンセス号での感染拡大は、2月5日に隔離検疫を始めたあとしばらくは乗客ではなく、乗員(クルー)での感染拡大だったことが分かっています。かれらは業務中に通常のマスクを着用しており、その後、環境感染学会の助言でN95マスクに変更したと伝えられています。それでも感染拡大は起きました。クルーは相部屋だったので、部屋の中で(マスクなしで)感染が起きた可能性もありますが、一部屋に限定されていなかった感染はどこかで起きているわけで、それをマスクがヘッジしなかったことは示唆されます(Field Briefing: Diamond Princess COVID-19 Cases [Internet]. [cited 2020 Jun 22]. Available from: https://www.niid.go.jp/niid/en/2019-ncov-e/9407-covid-dp-fe-01.html)。
もちろん、なかには「隣の人がマスクをしていたおかげ」で感染リスクを回避できた人もいたでしょう。が、それが国全体の感染対策の成功の「決め手」だったとはちょっと考えづらいです。
「エアロゾル」による空気感染はマスクでブロックされるから有効だ、と主張する論文もあります。そして、エアロゾルこそが感染の主な原因である、とも (Zhang R, Li Y, Zhang AL, Wang Y, Molina MJ. Identifying airborne transmission as the dominant route for the spread of COVID-19. PNAS [Internet]. 2020 Jun 11 [cited 2020 Jun 22]; Available from: https://www.pnas.org/content/early/2020/06/10/2009637117)。しかし、新型コロナウイルスで感染者の呼気や声や咳が「エアロゾル」による空気感染(遠くまで飛んでいく感染)を起こしていることを示したケースは稀有です。非常に限定的な状況下でそういうことが起きる「可能性」は示唆されていますが、それがしょっちゅう起きていることを示すデータは皆無です。上記の論文でも「空気感染している、しかもそれが主要な感染経路である」ことを示したデータはないままそういうシナリオを作ってしまいました。これは専門家の間ではかなりの論争が起きて、論文撤回を要求するレターも書かれました(https://metrics.stanford.edu/PNAS%20retraction%20request%20LoE%20061820)。最近、コロナ関係の論文撤回はよく見られます。
マスクの効果を検証したメタ分析もあります。マスクの感染防止効果は特に「医療機関内」「N95マスクの使用」で顕著に認められます。外を歩いているとき、市中のマスクの効果はCOVID-19についてはまだ十分な検証はありません(Chu DK, Akl EA, Duda S, Solo K, Yaacoub S, Schünemann HJ, et al. Physical distancing, face masks, and eye protection to prevent person-to-person transmission of SARS-CoV-2 and COVID-19: a systematic review and meta-analysis. The Lancet [Internet]. 2020 Jun 1 [cited 2020 Jun 22];0(0). Available from: https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(20)31142-9/abstract)。
このメタ分析では2002年から流行したSARSを対象にした非医療機関でのマスク着用効果はフォレストプロットという図で示しています。特に効果を示した研究は2004年の中国でのデータなので、やはり感染が広がっている場合は市中のマスクの効果はあると思います(このときは国の施策としてのロックダウンはしませんでしたし、ソーシャルディスタンスも強調されていなかったと記憶しています)。
ウイルスの突然変異で、欧米では流行しやすく死亡リスクが高い株、日本では流行しにくい株だった、という説もあります。
が、これを支持するデータはあまりありません。コロナに限らず、ウイルスは皆しょっちゅう遺伝子の突然変異を起こしています。が、その突然変異が感染のしやすさや死亡リスクをどんどん変えるという事例はほとんどありません。一般論として、そういうことは「起きにくい」のです(New coronavirus spread swiftly around world from late 2019, study finds - ロイター [Internet]. [cited 2020 Jun 22]. Available from: https://jp.reuters.com/article/us-health-coronavirus-evolution/genetic-mutation-study-finds-new-coronavirus-spread-swiftly-in-late-2019-idUKKBN22I1E3)。
なお、この論文ではウイルス突然変異の系統樹的解析により、SARS-CoV-2感染が昨年の10-12月くらいから起きていたことを示唆しています。このことの持つ意味は非常に大きいのですが、それについては少し後で述べます。
人類はたくさんのウイルス感染と戦ってきましたが、遺伝子の突然変異や遺伝子型でウイルスのキャラが臨床的な意味で変わってしまう現象はめったに起きていません。まれな例としては、数十年に一度抗原がゴロッと変わって大流行してしまうインフルエンザウイルスA型がありますが、これも人類の免疫機能を逃れるようになったことが流行の原因で、ウイルスの感染のしやすさ「そのもの」や「病原性」がアップしたわけではないのです。
この「遺伝子型」と感染のキャラの違いを説明した好例にB型肝炎ウイルスがあります。
B型肝炎ウイルスには複数の遺伝子型(ジェノタイプ)がありますが、「欧米型のジェノタイプA」は性感染しやすく、従来の遺伝子型(例えばジェノタイプC)のウイルスは性感染しにくい、とよく言われます。
しかし、性感染したHIV感染者のB型肝炎共感染例を見ると、たしかにジェノタイプAが半数を占めていますが、24%はジェノタイプCであり、必ずしもジェノタイプAだけが性感染するわけではないことが示唆されています(Shibayama T, Masuda G, Ajisawa A, Hiruma K, Tsuda F, Nishizawa T, et al. Characterization of seven genotypes (A to E, G and H) of Hepatitis B virus recovered from Japanese patients infected with human immunodeficiency virus type 1. Journal of Medical Virology. 2005;76(1):24–32.)。
「遺伝子の違い」で臨床現象の違いを説明するというのは、ウイルス学的には興味深い仮説の立て方ですが、臨床感染症学の世界でそういうことはあまり起きていないのです。ましてや昨年から勃発したばかりのSARS-CoV-2感染でそんなことが短期間にドラスティックに起きるとはちょっと考えづらいです。
BCGワクチン接種など、免疫学的な違いを根拠と考える説もあります。
しかし、イスラエルで行われた研究でBCG接種者と被接種者でCOVID-19発生に違いが認められなかったこと(Hamiel U, Kozer E, Youngster I. SARS-CoV-2 Rates in BCG-Vaccinated and Unvaccinated Young Adults. JAMA [Internet]. 2020 May 13 [cited 2020 Jun 8]; Available from: https://jamanetwork.com/journals/jama/fullarticle/2766182)、ブラジルなどBCG接種国でもCOVID-19感染者、死亡者が非常に多くなっていることから、ちょっとBCGが「決め手」と考えるのは無理があるように思います。もしかしたら、ちょっとは寄与している可能性はありますけど。最近は「BCGの株の違い」でいろんなパラメーター(例えば死亡者増加のスピード)で比べよう、などという研究もありますが(Akiyama Y, Ishida T. Relationship between COVID-19 death toll doubling time and national BCG vaccination policy [Internet]. Epidemiology; 2020 Apr [cited 2020 Jun 22]. Available from: http://medrxiv.org/lookup/doi/10.1101/2020.04.06.20055251)、いろんなパラメーターでたくさん解析すると「まぐれ」で違いはでることはあります。ちょっと苦しいかな、と個人的には思います。
日本人の抗体産生の仕方、すなわち免疫反応や、抗体など免疫記憶に依存しない免疫機構(innate immunity, 日本では自然免疫というちょっとよくない和訳がついています)にその原因を求める声もありますが、これも確証的なデータはありません。BCGもInnate immunityへの作用がその効果の期待の根拠だったのですが、上述のようにちょっと微妙と思います。やはり、上記の「うまくいっている国」と「うまくいっていない国」を峻別する根拠になるかは不明ですし、個人的には微妙だと思います。
京都大学の山中伸弥先生は、こうした予後を変える要素を「ファクターX」と呼んでいます。これから突き止めたい謎のファクター、ということですが、ぼくはむしろ日本、日本人特有のファクターではなく、もっと一般化できる(うまくいっている国共通の)要素を希求するのが筋だと思っています(https://www.covid19-yamanaka.com/cont11/main.html)。
一つのヒントは、血栓です。
すでに重症COVID-19感染で動脈、そして静脈の血栓が起きやすいことが知られています(Nahum J, Morichau-Beauchant T, Daviaud F, Echegut P, Fichet J, Maillet J-M, et al. Venous Thrombosis Among Critically Ill Patients With Coronavirus Disease 2019 (COVID-19). JAMA Netw Open. 2020 May 1;3(5):e2010478–e2010478.)。これが予後に影響を与えている可能性もあります。
海外で診療したことがある医者ならよく知っていることですが、欧米と日本では抗凝固薬のワーファリンの必要量が全然違います。アメリカだと10mgなど多い量で投与するワーファリンは、日本人だと体重の多さを考えてもずっと少ない量で十分な抗凝固ができます。ぼくは最初、このワーファリンの投与量の違いから、「日本人のほうが血栓ができにくいのでは」と思ったのですが、調べてみるとこれはワーファリンの代謝の人種間の違いで、直接的な抗凝固の違いではないようです(長尾毅彦. ワルファリンレジスタンス. 脳卒中. 2010;32(6):735–9.)。
ただ、それとは別にやはりアジア人は静脈血栓はできにくいようです。これはカリフォルニアでの人種別の疫学研究で示唆されたもので、日本人や中国人などは静脈血栓リスクは他の人種・民族に比べると低いようです(Tran HN, Klatsky AL. Lower risk of venous thromboembolism in multiple Asian ethnic groups. Preventive Medicine Reports. 2019 Mar;13:268.)。
動脈血栓、すなわち心筋梗塞や脳梗塞などですが、これは高血圧やいわゆるコレステロールの高い人(脂質異常)、肥満、男性、喫煙、糖尿病などがリスクです。COVID-19も男性や肥満はリスクになっていますから、COVID-19の動脈血栓のリスクがCOVID-19のリスク(あるいはその一部)になっている可能性はあります。そして、こうした動脈の病気も日本人などアジア人では欧米より少ない傾向にありますから、これも説明の一つになっている可能性はあります。禁煙指導や高血圧の治療、スタチンなどによる脂質異常の治療などで動脈血栓の病気は世界的に減っていますが、それ以上に日本の頻度は海外のそれより少ないのです(Sekikawa A, Miyamoto Y, Miura K, Nishimura K, Willcox BJ, Masaki KH, et al. Continuous decline in mortality from coronary heart disease in Japan despite a continuous and marked rise in total cholesterol: Japanese experience after the Seven Countries Study. Int J Epidemiol. 2015 Oct 1;44(5):1614–24.)。
ぼくは血管の病気の専門家ではないので、このへんの推測は一般的な医者目線からの議論に過ぎません。が、血栓と人種の関係はCOVID-19の重症化や死亡リスクに寄与している可能性は高いと思っています。さらに決定的なデータが出ることを期待しています。
COVID-19の重症化リスク、死亡リスクに血栓形成が寄与している可能性は高いです。が、それだけでは「日本で感染者が少ない」理由は説明できません。海外から「ジャパンミラクル(Japanese miracle)」と驚かれる(あるいはいぶかしがられる)理由はどこにあるのか。
専門家会議のメンバーでもある東北大学の押谷仁教授は、ジャパンミラクルを「森を見て全体像を把握する」という独特の表現で説明しています(http://www.gaiko-web.jp/test/wp-content/uploads/2020/06/Vol.61_6-11_Interview_New.pdf)。
それは、「感染が大規模化しそうな感染源を正確に把握し、その周辺をケアし、小さな感染はある程度見逃しがあることを許容することで、消耗戦を避けながら、大きな感染拡大の芽を摘む」ことだ、と押谷教授は説明します。そして「検査や診察への抑制的なアクセスはこのウイルスには必要な対策」だったといいます。そういう枝葉末節は無視して「木ではなく、森をみるべきだ」と。
なお、押谷教授は「厚生労働省は2月17日に、軽症の場合「37.5度以上の発熱が四日以上続く方」は帰国者・接触者相談センターに相談する、という方針を示し」た、と述べています。それはそのとおりなのですが、そのような抑制的な検査の方針はあとで国民から大きな批判を受けます。そして、加藤厚生労働大臣は「そんなことは言っていない。あれは誤解だ」「目安ではあって基準ではない」といかにも厚労省の人っぽいことを言うのですが(加藤厚労相「『37.5℃以上』は相談・診療受ける基準でない、誤解だ」|医療維新 - m3.comの医療コラム [Internet]. [cited 2020 Jun 23]. Available from: https://www.m3.com/open/iryoIshin/article/768152/)、押谷教授のコメントによると「そんなことは言っていた」ということになります。
また、押谷教授は「欧米とアジアでは、歴史的・文化的な素地を含めて、(感染症に対する向き合い方が)根本的に違う」と主張します。すなわち、日本では天然痘が流行していたのを「疱瘡神」として神社にまつり、神として認めている。「天然痘と共存する」という諦観を含んだ関係が、日本やアジアの社会にあるのだ、というのです。
これを読んだ多くの読者は感動しました。が、ぼく個人の感想は「なんか、全然間違ってるじゃないか」というものでした。個人的に押谷先生は存じ上げているので、彼が高潔な人物で、かつ立派な疫学者なのは存じていますが、アカデミズムの世界では人物評価と学説の評価は別物です。上記の説はまったく事実誤認としか言いようがありません。単純に事実的に、そしてロジカルに間違っています。
その根拠を今から説明します。
厚生労働省医務技監の鈴木康裕氏は「集中」2020年6月号で、2月の段階で日本の新型コロナウイルPCR検査のキャパシティが少なかったことを認めています。おまけに、ダイヤモンド・プリンセス号での船内感染対応で厚労省職員が忙殺されたため、当時必要とされていたPCR検査のキャパシティ・ビルディング、つまり検査体制の強化ができていなかったことも認めています。
つまり、日本では押谷教授が主張するように「木を見ず森を見て」という「作戦」としてPCR検査を抑制していたのではありません。したくても、できなかったのです。
なにしろ、国内発生がほとんどなかった2月の段階で、ダイヤモンド・プリンセス号内の乗員・乗客のPCR検査も五月雨式にしかできなかったのですから。この五月雨式の検査のせいで、ダイヤモンド・プリンセス号の中では権益隔離中に船内感染が起きているのかいないのか、判然としない状況が続きました。
ただし、押谷教授の言う「小さな感染を見逃しながら、大きなクラスターを見逃さない」という当初の作戦は、結果的には妥当なものだったとぼくは考えています。
検査のあるべき運用方法については別のところで詳しく説明します。ここではざっくりと、当初のPCR作戦が妥当であった根拠だけ指摘しておこうと思います。
検査については多くの議論の混乱があります。これは、日本の臨床検査学が検査そのものの技術的な側面ばかりを論じて、その検査が患者に何をもたらすか、を十分に考えてこなかった、有り体に言えばエビデンス・ベースド・メディシン(EBM)がきちんと日本で教えられてこなかった弊害のためです。少なくとも、理由の一つはそれです。
で、議論の混乱のひとつは、
PCR検査ができるキャパシティ
と
PCR検査の実践(実際に検査している)
の混乱です。厚労省関係の政治家や官僚もしばしば両者を混同してコメントしています。専門家会議ですらときどき混乱しています。臨床医学、臨床感染症学の基本的原則がこういうところでカンゼンに無視されているのが察せられます。
感染症流行における検査とは、例えば火災報知器のようなものです。
火災報知器を設置しているというキャパシティ
と
火災報知器が実際にジャンジャカ鳴っていること
は、別でしょ。
できる
と
やっている
は、別ってことです。
PCR検査のキャパシティは重要です。パンデミックのような、世界規模での感染症の流行状況を正確に把握するには、そして目に見えないウイルス感染を察知するには、検査のキャパは絶対に必要で、「今いるウイルス」を見つけるには遺伝子を検出するPCRか、ウイルス粒子の一部を検出する抗原検査が必要です(抗体検査については別のところで説明します)。そして、抗原検査は感度の面でPCRに劣るため、PCRこそが必要な検査になるのです。抗原検査はあってもいいですが、優先順位としてはPCRのほうが上です。
で、火災が起きたとき、火災かな、と思ったときはキャパが必要です。そのときに「火災報知器がない!」では困りますから。
よって、2月の段階で日本がPCR検査のキャパシティを持っていなかったこと、そしてその体制づくりが上手く行かなかったことは、計算違いもあったとは思いますが、少なくとも「望んでやったこと」ではありません。
2月後半、韓国で急速に新型コロナ感染者が増えます。これは宗教団体での集団感染で、一時は1日何千という感染者が見つかるほどの大規模な流行でした。
当時、メディアでは検査を抑制する日本と、大量に検査を行う韓国の比較が行われました。どちらのほうが、正しい対策か。テレビのコメンテーターや、ツイッターなどのソーシャルメディアでも「感染症に詳しい」と称する医療者たちが盛んにコメントしていました。
困ったことに、こういう「識者」のなかには政治的な意図をほのめかした、あるいは露骨に表明した人もいました。つまり、日本素晴らしい、韓国ダメー、というちょっと右寄りの人と、日本ダメー、韓国素晴らしい、というちょっと左寄りの人です。
科学の議論に政治・信条を加味するのはご法度でして、そういうのとは全く無関係に感染症対策の是非を論じるのが筋なのですが、こういう「構図」を作ってしまったことで、ますます議論は激しくなってしまいました。
ちなみに、韓国はあっという間に検査のキャパを増やし、1日10万回の検査ができるようになるまでに至りました(Fisher M, Sang-Hun C. How South Korea Flattened the Curve. The New York Times [Internet]. 2020 Mar 23 [cited 2020 Jun 23]; Available from: https://www.nytimes.com/2020/03/23/world/asia/coronavirus-south-korea-flatten-curve.html)。韓国ではアグレッシブに行った検査体制のなかで「ドライブスルー」を作って屋外でPCR検査を行ったりもしました。防護具(PPE)を着用した人たちが、車の窓越しに検体を採っている画像を見たことがある人もいるでしょう。
少し話は横道にそれますが、韓国の「ドライブスルー」方式を見て、「ちゃんと検査するたびにPPEを着替えなければダメじゃないか」と非難していた「識者」がいました。
これは、PPEの本質、あるいは感染防御の原則を知らないことからくる誤謬です。ちゃんと勉強せずに「にわか」で理解するから、間違うのですね。
確かに、病院でPPEを着るとき、、、、たいていや薬剤耐性菌対策とか、(いわゆる)偽膜性腸炎患者なんかに使うのですが、、、患者を見たあとは、PPEを脱ぐのが基本です。PPEにくっついた菌が他の患者に伝播するのを防ぐためです。
しかし、エボラとか新型コロナウイルス感染では、全く考え方を変えなければなりません。
どうしてかというと、PPEを着けている医療者そのものも感染リスクがあるからです。そして、その感染リスクは堅牢なPPEを着けているかどうか、ではなく、「着脱」作業中に起きることが多いのです。この話は「シューカバー」のところでちょっとしましたね。シューカバーを着けると、その着脱の手間が増えるために、シューカバーをしないよりもより感染のリスクが増してしまいます。
大量の方が押し寄せるドライブスルー(大量の人が押し寄せるようになったからこそドライブスルーなわけで、たまにしか人が来ない状況下ではドライブスルーの設置なんて不要ですね)、で一人の人を検査するたびにPPEを脱いだり着たりしていたら、医療者の感染リスクはダダ上がってしまいます。まあ、手袋を取り替えるくらいなら許容範囲かもしれませんが、それも患者さんの体に触れなければほとんど「意味がない」。患者さんに触らない状況を維持したままで、検体を取り続ければよいのです。防護服(PPE)からウイルスは飛び出してはきませんから、、、、
PPEがなにをやっていて、PPE自体にどういうリスクが内在しているか。そういう「原則」をちゃんと「理解」していれば、こういう勘違いは起きないのです(Honda H, Iwata K. Personal protective equipment and improving compliance among healthcare workers in high-risk settings. Curr Opin Infect Dis. 2016;29(4):400–6)。しかし、原則を「理解」せずに、「病院ではこうなってた」「普段はこうしている」という「体験記憶」や、「教科書にはこう書いてあった」という「知識記憶」だけを頼りにすると、こういう応用問題が解けなくなるのです。
西アフリカでエボラ対策していたときも、特定医療機関で新型コロナウイルス感染対策をしていたときも、ぼくはPPEをいかに着ずにすむか、脱がずにすむか、に腐心しました。これはPPEの着脱そのものが感染リスク、という基本知識と経験があったからです。が、この話はゾーニングのときにもう少し詳しく説明します。
さて、Our world in Dataによると、2月25日の時点で、韓国は人口100万人あたり毎日100件近く検査していました。当時としては世界ダントツの検査数です。同時期の日本は100万人あたりだいたい1件で、全然違います。しかし、このとき韓国では人口100万人あたりだいたい毎日1人程度の新規感染者を見つけていました。同時期の日本では0.1人でした(https://ourworldindata.org/coronavirus-testing)。
日本の検査数は圧倒的に少ない。が、感染者数もやはり少なかったのです。一方、韓国では患者が激増していました。患者が多ければ、検査は増えるのは当たり前なのです。
ちなみに、6月22日の段階では、日本のそれは82件、韓国は218件。まだ差はありますが、その差はあまりなくなっています。日本はようやくPCR検査のキャパシティが上がってきたからです。
この話は何度もしていますが、韓国と日本では、新型コロナの検査対策戦略にはほとんど違いはありません。患者が出れば検査し、その周辺も検査する。ただ、韓国は患者が激増しており、日本の患者は非常に少なかった。検査数の差はその「結果」に過ぎません。 韓国でPCR検査を行った場合の陽性率は0.4%です。しかし、日本のそれは0.6%にすぎないのです。
確かに、日本はPCR検査のキャパが当時少なかったので、検査に抑制的な態度は示していました。しかし、そのような現実的な制約とは別に、日本には感染者自体が韓国よりずっと少なかったのです。検査ができなかった、という現実的な事情もありましたが、検査をする必要もなかった、のです。
ちなみに、ぼくがお手伝いしている兵庫県の指定医療機関でも、患者が激増した時期にはドライブスルー検査体制を作りました。病院の外でPPEを着た職員が待っていて、保健所から依頼された方が車で乗り付けてそこで検査をするのです。最初は陰圧個室に案内してそこで検査をしていたのですが、いちいち導線を気にして個室まで人を誘導するより、ドライブスルーのほうがずっと楽だったのでした。感染者が増え、検査の必要性が増えたらドライブスルーは合理的な判断です。韓国も日本もありません。ちなみに、兵庫県のその病院でもPPEの着脱は全然してませんでしたよ。
繰り返しますが、検査数は状況が生み出す「結果」です。目的ではありません。感染者が多ければたくさん検査をする。感染者が少なければ検査は多くは要らない。感染者がいなければ、検査そのものが不要です。
検査そのものが不要、というのは「検査のキャパは不要」という意味ではありません。火災報知器はどこでも必要なのです。ただ、それをジャンジャン鳴らすのはナンセンスだ、ということです。
押谷教授の検査抑制作戦は、PCRが足りないという現実的な制約から来るやむを得ない判断でした。が、当時の日本では感染者が非常に少なかったので(中国からのチャーター便、ダイヤモンド・プリンセスを除く)、そもそも検査のニーズがありませんでした。火災報知器は足りなかったけど、ジャンジャン鳴らす必要もなかったのです。
そして、少数のクラスターを見つけ、封じ込めることで日本は3月下旬まで非常に上手に感染対策をし続けました。
ただし、その対策は非常に泥臭く、効率の悪いものでした。保健所を介さないとできない検査(抑制してたから)。電話とFAXという非効率、かつ不正確な伝達方式。患者とクラスターが非常に少ないときはよかったですが、神戸市・兵庫県のように同時に複数のクラスターが発生したりすると現場は大混乱に陥りました。おまけに、軽症者・無症候者も病院で入院していなければならない、退院には2回のPCR陰性が必要という「謎ルール」のために(後に両者は撤廃されるのですが)、経過の長いCOVID-19患者で指定医療機関はあっという間に一杯になってしまいました。これで医療従事者の疲弊はさらに増しました。さらに物品不足が祟りました。ディスポーザルのマスクが足りなくなり、本来は捨てねばならないマスクをリユースするようになります。ガウンが足りなくなり、病院によってはゴミ袋を切り裂いてガウンの代わりにしていました。そのような不満足な防護具のなかで、院内感染が複数発生し、大量の医療従事者が隔離、入院、自宅待機となりました。外来や入院の差止めが行われ、あぶれた患者を受け入れたためにCOVID-19を見ていなかった周辺医療機関も非常に多忙になりました。
3月下旬から、特に東京でクラスター追跡では追いつけない感染者が見つかるようになりました。検査抑制、クラスター追跡という「後から追っかける」方法では間に合わなくなるのです。そのため、日本は「緊急事態宣言」という「先回りする」方法を選択せざるを得なくなりました。
この4月上旬の段階で、日本の複数の地域では「医療崩壊一歩手前」だったのです。
押谷教授は「小さな感染はある程度見逃しがあることを許容することで、消耗戦を避けながら、大きな感染拡大の芽を摘む」と言いました。しかし、実際には日本の医療現場、公衆衛生の現場(保健所)で起きていたことは、消耗戦以外の何物でもなかったのです。
もしPCR検査のキャパが十分にあれば、保健所を介することを義務化した検査の抑制と非効率な伝言ゲームは回避できていたことでしょう。防護具が十分にあれば院内感染リスクも軽減できていたはずです。そもそも、入院患者を具体的に減らす方法はあったのに、ここをいつまでも看過していたのも大問題でした。
日本は伝統的に、(前線の)人とモノを大事にしません。ノモンハンやインパールを例に上げるまでもなく、現場の人間をこき使って、疲弊させ、消耗させ、そして物資が足りなくても精神主義で我慢させるのです。しかし、このような悪しき精神主義では正しい感染対策はできませんし、事実日本の医療現場は消耗しました。日本人の歴史と文化で感染症と上手く対峙できた、などという押谷謎理論はぼくにはまったく理解できません。あれにメロメロになって、感動してしまう人がたくさんいることは理解しますけど、それは日本の悪しき「物語主義」です。事実を無視したり、歪曲して、自分が気持ちよくなるような「物語」に事実を擦り寄らせてはいけません。
そもそも、天然痘と共存する諦観なんてアジアのどこの文化にもありませんよ。それを諦めていたのは、昔は諦める以外に手段がなかったからです(西洋も同様です)。が、天然痘はワクチンで克服できることが分かり、日本も含め、アジアのすべての国でもこの病気を撲滅せんと全力を尽くしました。そして、現在はアジアのみならず、世界中から天然痘も撲滅されています。同様に、ポリオもワクチンで撲滅しようとしています。ヒトパピローマウイルスが原因の子宮頸がんも撲滅目標の「感染症」で、世界中がワクチン接種でこの忌まわしい病気を克服しようとしています。日本を除けば。
そして、新型コロナについても多くのアジアの国は「諦めたり」しませんでした。徹底的な感染防御体制をもって、中国でも韓国でもタイでもベトナムでも、多くのアジアの国で新型コロナウイルスの少なくとも第一波は克服しようとしています。この感染症を「諦めた」のはいっときの英国とブラジル、そしてスウェーデンだけでしたが、これらの国が感染対策をしくじったのは皆さんご存知のとおりです。
さて、ではこのようなアジアの国々やオセアニアの国(オーストラリア、ニュージーランド)はどうして、欧米諸国よりも感染対策が上手くいったのか。それは、これまで検討したように、文化や習慣、BCG、PCR抑制といった理由ではなさそうです。
確定的な証拠はないですが、状況証拠から一番プラウジブルな理由は、
「スタート地点が違っていたから」
というものです。
日本は、隣国の中国で武漢の肺炎が流行していたことを知っていました。春節が近づいていて、春節が来れば多くの中国人が大挙して日本各所を訪れることも熟知していました。その中に感染者がいて、日本で感染者が発生、流行することも危惧していました。しかし、世界保健機関(WHO)は国際間の渡航規制には賛成せず、日本政府も中国からの渡航を容認しました。感染危惧はさらに高まったのです。
そして、日本では各地で散発的なクラスターが発生しましたが、それを追跡、捕捉することに成功し続けました。PCR検査抑制下でこれが可能だったのは、単純に患者数が少なかったからです。韓国のように短期間に大量の患者が発生していたら、このような追跡・捕捉は不可能だったでしょう(事実、ダイヤモンド・プリンセス号ではタイムリーな追跡は不可能でした。単に船内に隔離していたから、船外に感染が拡大しなかっただけです)。
患者が少なかった。これが日本の対策がうまくいった最大の理由。これがぼくの推測です。
韓国や中国ですら、感染者の数は比較的限定的でした。よって、徹底的な検査や隔離、街のロックダウンといったアグレッシブな対応で、アジア・オセアニアの各地では感染症を抑え込むのに成功したのです。
一方、ヨーロッパ各国やアメリカ合衆国では初動が遅れました。対策スタート時点で、すでに大量の感染者が発生していたのです。
フランスでは、2019年12月の段階ですでに新型コロナウイルスによる肺炎患者が発生していたことが分かっています(France’s first coronavirus case “was in December.” BBC News [Internet]. 2020 May 5 [cited 2020 Jun 23]; Available from: https://www.bbc.com/news/world-europe-52526554)。
ヨーロッパの流行は、その流行に気づくずっと前にすでに始まっていたのです。したがって、新型コロナ感染の存在に気づいたときにはすでに大量の感染者が発生していたことでしょう。よって、日本のように「あとから追いかける」クラスター追跡はとても間に合わない状況でした。だから、「先回りする」ロックダウンを選択せざるを得なかったのです。アメリカの東海岸も同様のことが起きたものとぼくは推測します。
ちなみに、ロックダウンそのものは非常にパワフルな感染対策法です。なにしろ、感染症は感染経路を遮断すれば確実に伝播はしなくなりますから。感染経路の存在しない感染症の流行はありえないのです。
ちなみにちなみに、フランス、スペイン、イタリア、英国でのロックダウンの効果は覿面で、即座に感染を激減させたことが、のちの数理モデルで判明しています。ロックダウンのあとも患者が増え続けたイタリアやスペインでは「ロックダウンも効果なしか」といちどき、その効果を疑われたこともありましたが、感染症の対策をとってもその効果が視覚化されるのは2週間程度遅れます。この遅れのために、ロックダウンの効果は見えにくくなっていたのでした(Flaxman S, Mishra S, Gandy A, Unwin HJT, Mellan TA, Coupland H, et al. Estimating the effects of non-pharmaceutical interventions on COVID-19 in Europe. Nature. 2020 Jun 8;1–8.)。
もう一度、再確認します。欧米でも徹底的なロックダウンによってCOVID-19を激減させることに成功しています。しかし、それでも感染者、死者が非常に多かったのは、初動の段階ですでに感染者がたくさんでていたので、対策を始めたときはすでに手遅れだったのです。
一方、日本、韓国、タイ、ベトナム、シンガポール、香港、台湾、オーストラリア、ニュージーランドなどでは問題が顕在化したときには感染者数はでていなかったか、ほとんどいませんでした。韓国のように大量の患者が発生した国ですら、いそいでクラスター追跡をしたのでなんとか間に合ったのです。日本は3月下旬からクラスター追跡だけでは足りなくなりましたが、それでも手遅れなほどではなかった。
欧米と、アジア・オセアニアの違いを決めたのはこの「気づくタイミング」の違い。ここが決定的だったとぼくは考えています。
それは、察知力というより、多くの場合は単に「距離」の問題だったのかもしれません。ヨーロッパ大陸、南北アメリカ大陸からはアジアは遠いのです。遠いところで起きている問題は、深刻に、敏捷に察知しづらい。逆に、アフリカで流行していたエボラ出血熱についてはヨーロッパは日本よりも敏感に対応していました。
また、アメリカなどはトランプ大統領が早期に中国からの渡航を禁じてしまい、安心してしまったところもあったのかもしれません。実はアメリカも当初はPCR検査のキャパシティが足りなくて日本と同じ悩みを抱えていたのですが、患者数が増えすぎて検査が追いつかず、結果的に世界最大の感染者数を出した国になってしまいました(本稿執筆時点)。日本でも感染の察知が遅れていたら、同じことが起きていたでしょう。
そうです。日本がコロナの第一波を乗り越えた最大の要因は、「運が良かった」のです。アジアの文化や風土や歴史は関係ありません。
実は、日本は02年のSARSのときも運が良かった。あのときもたまたま日本にはSARS患者が渡航してきませんでした(一人渡航しましたが、何事もなく離日されました)。そのために、渡航者のいたカナダのような国内流行は経験せずに済みました。09年の新型インフルのときも、死亡率が低いパンデミックだったために大きな問題にならずに済みました。あのとき、「日本ではすぐにタミフルを使ったからよかったんだ」という意見がでて、それは厚労省の会議ですら示唆されましたが、実はタミフルを使わず「インフルになったら自宅で療養」の対応をとっていたフランスやドイツなどでも同様に死亡者は少なかったのです。起きている現象を批判的に吟味せず、情緒的に「日本はよかった」と結論づけてしまうのは、昔からの日本行政の悪いクセです。
そして、日本は韓国のようにMERSが入り込んでの院内感染も経験せず、14年のエボラ流行時も国内には一人の感染者もやってきませんでした。日本はとにかく、ラッキーだったのです。
が、ラッキーだったがゆえに感染対策が遅れたのもまた事実です。いや、ある意味、日本は長期的に見るとアンラッキーであったとすら、言えます。中国はSARSで痛い目にあったので、中国CDCを整備しました。韓国はMERSの院内感染で痛い目にあったので、検査体制や医療体制を整え、今回の新型コロナでも迅速に対応しました。日本だけがノホホンと、感染症の怖さを実感せず、感染症のリスクに晒されず、「平和ボケ」していたのです。
日本は、ぼーっとしたままでCDCも作らず、医療インフラも感染症の人材育成も不十分なままで新型コロナと立ち向かうことを余儀なくされました。N95マスクを洗濯バサミでつるし、なんどもつかいまわしているときは「竹槍で立ち向かってるみたいだよねー」と苦笑しながら言ったものです。それでも、春節アラートで早期対応が可能だったために、なんとかかんとか、ギリギリ持ちこたえたのでした。
押谷均教授は4月18日の日本感染症学会シンポジウムで、PCR検査について、「現在1日1万3000件実施できるキャパシティがあるはずだが、現実は1日4000から5000件にとどまっている」と述べ、現在の感染拡大実態に照らして検査数が不足しているとの認識を示しました(https://scienceportal.jst.go.jp/reports/other/20200420_01.html)。やはりキャパは足りなかったのです。「森を見る」戦略も、消去法によるやむなしの戦略だったのです。そして患者が増えた3月下旬以降、そのやり方も限界に至ったのです。
さて、そろそろ結論です。では、日本で第二波が発生したとき、我々は第一波よりもちゃんと対応できるのでしょうか。
答えは、もちろんイエスです。ただし、そこにはいくつかの条件が必要です。
すでに延々と論じたように、新型コロナウイルス対策の要諦は「数」です。このウイルスは数が少ないときはどってことない感染症で、そのほとんどは軽症です。しかし、感染者の数が増えると、重症患者も増え、ICUを埋め尽くし、長期のケアを必要とするこうした患者は医療崩壊を助長します。「水」がコップ一杯のときはなんでもなく、バケツ一杯でもどうということはないのですが、大雨になるとつらく、洪水になるとかなりつらく、台風や津波になると甚大な被害をもたらします。「水」同様、コロナの問題はその「量」に大いに依存するのです。
よって、大事なのは量を増やさないことです。
流行早期を見逃さずに察知する。察知して、検査して、診断し、濃厚接触者を探してモニターする。数が増える前に、抑え込む。これができれば、第二波は適切に対応できます。
そのためにPCR検査の「キャパシティ」は絶対に必要です。ただし、PCR検査をするかしないかは状況が決めます。必要があれば大量の検査を、流行が起きていなければ検査は必要ありません。ただ、それだけです。
PPEなどの医療資源にも十分なキャパシティが必要です。いざというとき枯渇しないような十分な準備が必要です。
マンパワーにも十分なキャパが必要です。中央の、地方の行政担当者、感染症の専門家が必要です。中央から指示を仰がないと動けない人ではダメで、地方にも個々に判断できる行政専門家が必須です。海外のようなCDCやdepartment of healthの整備が必要です。この話はもう10年以上前から延々と申し上げているのですがね。
臨床現場のマンパワーも必要です。ようやく、退院時のPCRも必須でなくなり、軽症者の滞在先も整備されつつあります。第一波のときよりもそうとう有利な条件は整いました。
マンパワーを増やしても、人材が無駄働きを強いられていては、疲弊は避けられません。効率化は必然です。FAXと電話という非効率、不正確な方法はHER-SYSというオンラインシステムに置換されるようです。
が、役人アルアルで、現場のことを考えずにやたら入力項目が多いために、現場の負担は大きいようです。ぼくの周辺の感染管理認定看護師の評判はすこぶる悪い。
そもそも、入力項目が多いと、誤入力の可能性は増え、入力の遅れが生じ、遅れによりさらに入力の正確さは下がります。アンケートでもそうですが、入力項目が増えると情報は雑になります。みなさんも、5項目評価の質問がやたら多いと「とりあえず、みんな3に入れとけ」になりません?(ぼくはなります)。これじゃ、意味のない情報がやたら大量生産されるだけになります。その昔、厚生労働省はA-netという悪評高いエイズ患者の情報管理システムを作りました(https://www.mhlw.go.jp/www1/topics/a-net/tp0114-1_12.html)。これはものすごくユーザー的には使いにくかったので、情報は入力されず、情報の入っていないデータベースはただの「箱」となって、そのまま消滅してしまいました。情報収集システムは活かせるように「仕組み」を作らないと、死んでしまうのです。
というように、第二波をベターに乗り切るにはそれなりの諸条件が必要です。が、1918年の「スペイン風邪」ときと違い、その条件を整え、第二波をミティゲートする可能性は高いとぼくは思います。いまや、何をやれば上手くいって、何をやれば失敗するかはほぼ明らかなのですから。いや、第二波の発生そのものも事前に防止することだって不可能ではないかもしれません。小さなクラスターの断続のレベルで抑え続けるのです。
もちろん、地球規模でこのコロナウイルス問題を完全に克服するのは不可能でしょう。そして、「new normal」といわれる新しい生活様式に移行するのも避けられない運命だと思います。
それでも、ロックダウンとか緊急事態宣言といった「最後の手段」を回避できるだけでも、第二波回避のメリットはとても大きなものです。このメリット、大きいですよね。このメリット、享受したくはありませんか。ぼくはしたい。第二波なんて、来てほしくない。
だから、上述の条件を全部満たすことがとても重要になります。そして、今の日本になら、すべての条件を満たすことは可能です。
満たす覚悟さえ、関係諸氏が持ってくれれば。
貴殿にはあまりご興味のない側面かとは思いますが、管見する限り
「生命と市民的自由の両方を守ることに成功したのは日本だけ」
とは言えるのではと思います。
自粛や同調圧力で不自由だったじゃないかという反論はあるかも知れませんが「自粛」は自由意志の発現の一形態であり、同調圧力は政府による命令ではないから同調圧力なのですから。
投稿情報: Emporioarbitris | 2020/06/27 10:30
岩田先生、はじめまして、ベルギーの大学病院にて医師として勤務しております。先生の文章の中で『感染対策が大失敗したと目され、首相が病院を訪問したときに病院スタッフが抗議目的で首相の車に背を向けたくらい、「大失敗した」と評されるのがベルギーです』という文章は正しくありません。
この背を向けた抗議の一番の理由は、政府が看護師の資格を持っていない病院勤務者に、看護師が行える一部の処置をするように指示したことに対してです。それだけ一時期は病院内も人手が足りずに混乱していたということですが、ベルギーの死者は治療を受けずに亡くなった多くの老人ホームでの死者を多数含んでおり、イタリアやフランスやイギリスなどの統計とは統計の方法が異なります。
欧米全体がアジア諸国と比べて初動に失敗したことは間違いありません。それは、2月中旬は、人々はまだコロナ感染は遠くアジアで起こっている出来事と考え、無意味な人種差別的発言に時間を費やす人が多かったこと、2月下旬のカーナバルの休暇時に人々の自由な移動を許可し、感染が拡大していた北イタリアへの観光から帰国した方、その濃厚接触者が患者に圧倒的に多いことからも確かだと思います。カーナバルの休暇後、3月1週から中旬にかけて、病院のZoningも遅れをとり、院内感染も多く発生しました。こちらの一部の感染症科の先生方がすでに一月の時点でベルギー政府にマスクの購入をすすめていたにも関わらず、政府がその対応が遅れたことは病院で問題になりました。中国や中東から発生する新規感染症に対して常に警戒をしてきたアジア諸国とは水際対策に遅れが出たためと思います。
ただ病院での治療については、すべての病院がコロナ体制で患者を受け付け、調子の悪い患者様はいつでも救急に駆け込むことができ、行く先がなく救急車でたらい回しになることもなく、必要な治療を受けることができました。当方の病院ではピ=ク時は一日60人以上もコロナの診断があった日もありましたが、患者様は病床を確保、人工呼吸器やECMOで治療を行ってきました。その点で、ヨ=ロッパの一部他国やニューヨークなどともかなり状況が違うことをお伝えしておきます。
投稿情報: Kaoru Tanaka | 2020/06/26 21:54
岩田先生のご指摘
『そして、少数のクラスターを見つけ、封じ込めることで日本は3月下旬まで非常に上手に感染対策をし続けました。』
『3月下旬から、特に東京でクラスター追跡では追いつけない感染者が見つかるようになりました。検査抑制、クラスター追跡という「後から追っかける」方法では間に合わなくなるのです。そのため、日本は「緊急事態宣言」という「先回りする」方法を選択せざるを得なくなりました。』
横軸を日付、縦軸を新規感染者数としたとき、上記岩田先生のご指摘は、横軸を「陽性確認の日付」としたときのグラフに対応しているように思います。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/senmonkakaigi/sidai_r020501_1.pdf 専門家会議の「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(2020年5月1日)の
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/senmonkakaigi/sidai_r020501_1.pdf#page=2 (全国)図1の左側
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/senmonkakaigi/sidai_r020501_1.pdf#page=3 (東京都)図2の左側
の図です。3月下旬まではじわじわと増加するにとどまっていましたが、3月下旬からは急激な増加に転じています。
しかし、横軸を「感染日」とすると、全く別の光景が見えてきます。下のグラフで、各患者の「感染日」をどのような手法で推定したのかは知りたいところですが。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/senmonkakaigi/sidai_r020501_1.pdf#page=3 (全国)図3
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/senmonkakaigi/sidai_r020501_1.pdf#page=4 (東京都)図4
新規感染者数(感染日)は、3月初めから3月下旬にかけて、急速に増加します。実効再生産数は2を超えていました。必死でクラスター追跡を行っていたにもかかわらず、です。
それが、3月末に突然増加が止まり、逆に急激に新規感染者数が減少し始めたのです。
私が知りたいのは、
(1)横軸を感染日とした上記グラフは、本当に真の姿を現しているのか。
(2)3月中も4月も、クラスター対策は同じように努力していたのに、なぜ3月中は急激に新規感染者数が増大し、4月になると急減したのか。
(3)3月中の急拡大、4月になっての急減少に、クラスター対策以外の要因があったとすると、その要因は何なのか。
クラスター対策はもちろん必要だったでしょうが、3月中の新規感染者数の急拡大を抑止するだけの力はありませんでした。
それでは、3月末に、新規感染者数はなぜ急拡大から急減少へと転換したのでしょうか。私には、「国民が生活を変化させたからだ」しか思い当たりません。3月3連休の後、小池都知事が態度を豹変させて危機を煽り、志村けんさんの死亡が報じられました。
その結果として新規感染者数(感染日ベース)は急減に転じ、4月7日の緊急事態宣言発出の時点では、感染者数はピーク時(3月25日頃)の半分以下となっています。
以上について、ぜひ岩田先生のご見解を承りたいと存じます。
投稿情報: 内藤 俊太 | 2020/06/25 20:20
ここ半年を振り返る非常に良いまとめになっていると感じました。
一点、本論での結論となっている「スタート地点が違っていたから」という部分について、データと矛盾があるように感じたので、どこに見落としがあるのか、ご教授いただけるとありがたいです。
以下は、4月末時点の各国の「超過死亡」のデータです。
https://www.ft.com/content/6bd88b7d-3386-4543-b2e9-0d5c6fac846c
その後もアップデートされているものはこちら。
https://www.economist.com/graphic-detail/2020/04/16/tracking-covid-19-excess-deaths-across-countries
これらのデータを見ると、欧州や米国などの「失敗国」では、いずれも一貫して3月中旬前後から急速に超過死亡が立ち上がり、4月にピークを迎えています。
フランスでは12月から水面下で感染は広がっていたけれどもなぜか死亡者は増えず、3月中旬になってから他国と示し合わせたように一斉に死者が出るようになった、という説明は納得するのが難しいように感じます。
「対策スタート時点で、すでに大量の感染者が発生していた」というよりは、「スタート時点からものすごい勢いで感染者が増え、すぐに津波のような物量となり手に負えなくなった」というほうがより自然な解釈ではないでしょうか?
だとすれば、アジアと欧米のあいだで感染スピードに違いをもたらしているものは何か?という議論に持ち込むことが可能だと思うのですがいかがでしょうか。
投稿情報: Kenn Ejima | 2020/06/24 18:28
コメントありがとうございます。ベルギーという国については詳しくないのでいろいろ勉強になりました。誤解のないことを希望しますが、ぼくは欧米各国の感染対策そのものが駄目だった、と申し上げたいのではありません。むしろ日本よりもしっかりしていたところも大きい。しかし、にもかかわらずうまくいかなかった。ベルギーも同様で、とても成功国とは言えず、控えめに言っても失敗したと考えるのが妥当でしょう。そういう観点からの論考です。
投稿情報: georgebest1969 | 2020/06/24 17:49
ダイアモンドプリンセス号以降、岩田先生のおっしゃること、ご著書、ネット番組でのご発言などに傾注している在ベルギーのライター・ジャーナリストです。今回のこのブログでのご発言は、先生も、多くの仮説に基づくと最初におっしゃっていますが、ベルギーやスウェーデンなどのコロナ対応を、死者数を基本的根拠に、「失敗国」とかなり一元的に結論づけておられたので違和感を持ちました。確かに、死者数では多いです。でも、ベルギーでは、医療飽和による診療拒否・閉鎖は起きていません(もともと医療体制に余裕があり、ピーク時でも集中治療室の占拠率などが50%以上にならなかったことなど)、周辺国のようにドイツに重篤患者を搬送してみてもらうことも一切ありませんでした。先生がとりあげた、ベルギー首相が大学病院を慰問した際に関係者が背を向けて抗議したという映像も、AFPがビジュアル的に面白いので拡散してあっという間に世界に出てしまいましたが、ピークを過ぎた安ど感から、アメリカなど暴力的な抗議運動が高まったのに比べ、とても「静かな」抗議で、民主主義が根付いているベルギーでは、翌日には首相がその抗議に対応して、医療関係者への待遇改善策を提示して、もちろん、充分とは言えなくても、基本的な政府と市民の信頼があるからこそできる抗議と対話を具現しています。静かに抗議すれば、きちんと聞き入れられる国なのです。また、先生が全く触れられていないのは、「コロナ死」の定義の違いです。こちらの専門家委員会は、初めから、「ベルギーでは、肺炎、脳血栓などで亡くなった場合、コロナ感染が確定していても、していなくても、すべてコロナ関連死と勘定に入れるかなり拡大計算をとっているから、定義のことなる他国と比較して論じないでほしい」と明言していました。この広い定義は、WHOや欧州CDCが推奨していたもので、この頃になって、例年同期の超過死者数との比較では、ベルギーは差がほとんどなかったことがわかっています。これは、欧米での報告コロナ死者数と例年同期の死者数とのギャップの話であり、日本やアジアの死者数の少なさを説明できるものではありませんが。なお、初動の悪さ、という結論については、私ははっきりした反論はできません。が、ベルギー、スウェーデンなども、専門家委員会の立ち上げは1月。コロナ患者が特定でき、死者が一人出た時点で緊急事態を、一けた台の時点で封鎖対策をとっています。フランスでは昨年末にはすでにコロナ感染者がいたことが確かに確認されていましたが、実際に指数的爆発的感染が出たのは、2月末のカーニバル休暇から10日後以降で、12月や1月時点では指数的な感染拡大になっていないのは事実です。この指数関数的上昇を、単なる初動の悪さでどう説明するのかは、私にもわかりませんが。勝手なコメントでした。もし、よろしければ、私が書いたもの、スウェーデンの仲間が書いたものなどへご案内させていただきたいです。医学的分析ではないですが、感染症・疫学の専門家委員会と、封鎖解除の別の委員会が、毎日毎日定時記者会見とサイトでどのように定点データを開示していったかなど、もしかしてご存知ないかもしれないのでご案内したいです。
投稿情報: Michiko Kurita | 2020/06/24 16:40
素人なので内容に関するコメントではありません。
各国ごとの数字はテーブルにして、国名表記は左詰め、数字を右詰めあるいは小数点揃えにしていただくとわかりやすいのではないでしょうか。
また一部てにおはがおかしいような気がします。「韓国でPCR検査を行った場合の陽性率は0.4%です。しかし、日本のそれは0.6%にすぎないのです」は「日本のそれも0.6%にすぎないのです」としたほうが検査数が少ないにもかかわらず陽性率が低いという文意が通りやすいと思いました
投稿情報: 植田 欣秋 | 2020/06/23 23:06
交差反応、交差免疫仮説はいかがでしょうか。
「アメリカ・ラホヤ免疫学研究所では、過去にさかのぼった検体対象から「交差反応」を確認しました。風邪と新型コロナとの間に、です。
新型コロナのパンデミックが始まる前に集めていた、風邪の病原体であったコロナウイルスに感染した11人の血液サンプルを調べました。そうするとその半分(40~60%)から、今年の新型コロナのウイルスを防ぐ免疫作用を持つ「T細胞(免疫システムの中心的な存在)」が検出されたのです。」
■風邪が三番目の対応法になるかも 新型コロナに対して | ちえのたね|詩想舎 https://society-zero.com/chienotane/archives/8728
投稿情報: 神宮司 信也 | 2020/06/23 22:04