前回は、検査についてかなり本質的な話をしました。臨床医学、臨床感染症学においては、検査の属性、、、感度とか特異度など、、、だけを議論しても検査の是非は論じられません。大事なのは
状況判断
です。周辺の状況を無視して、検査をするとかしないとか、議論してもその議論は空回りするだけで意味をなしません。
そして、感染者が非常に少ないコミュニティにおいて、ルーチンの検査を行うと検査は間違える可能性が高くなります。これはすべての検査に共通する一般的な特徴で、PCRだろうが抗原検査だろうが、抗体検査だろうが、関係ありません。事前確率が極端に低くなると、検査は役に立たないのです。
このことは、非常に優秀な検査であるHIVのELISA検査で我々が長く経験してきたところです。HIVの検査は感度も特異度も非常に高いスグレモノの検査ですが、これをルーチンで手術の前に何も考えずにやっていると、陽性結果はほとんど「ガセ」になります。「先生、術前HIV検査やったら、陽性になっちゃったんです。こちらではHIV見れませんから、すぐにそちらに転院します。すぐ見てください、すぐ」という相談は定期的に受けますが、実際にHIV感染があったためしはほとんどなく、我々は「HIV感染があるかもって言われてびっくりして来たんですが」と不安でいっぱいの患者さんや家族に長々と「そんなことはありませんよ」という説明をしなければなりません。
というわけで、有病率が低い、流行の起きていないコミュニティでのルーチン検査は間違いを生みやすい、ということはご了解いただけましたでしょうか。
しかし、と疑問に思う人もいるでしょう。では、そういう流行が起きていないコミュニティで、新たな感染症の流行が発生したときは、我々はそれをどうやって察知したら良いのか。新型コロナ感染者は多くは無症状だともいう。察知できなければ、やはり第二波が来てしまうのではないか。
そのとおり。第二波の予兆(herbinger)を察知しなければ、またしても大きな「波」になってしまいかねませんから、「流行が起きていない」から「起き始めた」のタイミングでいかに感染者やその周辺のクラスターを察知することが大事になります。
すでにドイツではロックダウンを解除したのですが、ノルトライン・ウェストファーレン州で再度の集団感染がおき、もう一度ロックダウンを行わねばなりませんでした(ドイツで再びロックダウン 西部の郡で、解除後初(写真=ロイター) [Internet]. 日本経済新聞 電子版. [cited 2020 Jun 25]. Available from: https://www.nikkei.com/article/DGXMZO60706220T20C20A6FF8000/)。経済活動の再開や、黒人差別に反対するデモもあり、アメリカでもテキサスやフロリダなどで再度のCOVID-19が起きています。
というわけで、油断するとCOVID-19はすぐに流行が起きてしまいます。
PCRは感度が低いから、CTを取ればいいじゃない?という意見もあります。
しかし、CTは感度はそこそこ高いのですが、特異度がとても低いのが問題です。特異度が低くても、感度が高ければスクリーニングには十分だろ?とちょっと勉強した人は考えるのですが、実はそうではありません。
感度と特異度は相互に影響しており、他方を無視してはいけないのです。
Kimらのメタ分析では、CTの感度は94%、特異度は37%とされています。
Kim H, Hong H, Yoon SH. Diagnostic Performance of CT and Reverse Transcriptase-Polymerase Chain Reaction for Coronavirus Disease 2019: A Meta-Analysis. Radiology. 2020 Apr 17;201343.
感度いいじゃん。こう思うわけです。
しかし、ちゃんと反論が来ています。特異度が低すぎて、問題だというのです。
Adams HJA, Kwee TC, Kwee RM. COVID-19 and chest CT: do not put the sensitivity value in the isolation room and look beyond the numbers. Radiology. 2020 Apr 27;201709.
実験してみましょう。目の前にとてもCOVID-19っぽい患者がいます。事前確率70%、バリバリです。CTとってみましょう。感度94%、特異度37%です。CT陰性でした。事後確率はいくつでしょう。
事後確率は27.5%。なんと3割近く、まだCOVID-19の可能性があるのです。これじゃ、とても安心して「除外」はできませんね。
というわけで、CTやりまくれば、PCRの感度問題は克服できる、、、、わけではありません。そもそも、CTはレントゲン撮影の進化版みたいなもので、放射線曝露が問題になりますから、例えば入院患者さん全員にやる、とかいうのはとても乱暴です。もちろん、妊婦さんとかにはやりづらいですよね。
で、こういうときこそ「病歴」なのです。
いくら無症候性の患者がいるかもしれないといっても、クラスター内には必ず症状のある人がいます。COVID-19の臨床症状は微妙ですが、その微妙である、という事実そのものが、我々に色々なヒントを教えてくれます。最近では、味覚障害や嗅覚障害もコロナ感染のヒントだと分かってきました。急性発症の味覚障害、嗅覚障害で、他に鑑別診断がない場合は積極的に新型コロナを疑うべきでしょう。
そんなわけで、「急性発症の呼吸器感染症症状」がある場合は、現在積極的にPCRを行っています。厚労省の言うように抗原検査はしていません。軽症患者であれば急ぐ必要はないですし、感度の低い検査が感度の(比較的)高い検査には優先されないからです。PPEを着て個室で検体を採取します。幸い、今の所ぼくの外来では全例PCR陰性です。事前確率はそんなに高くはないので、陰性所見を持って「OK」にして、自宅で症状が良くなるまで休んでもらっています。CTは、隔離や感染防御が難しく、放射線技師さんにもご迷惑なので極力行っていません。CTに影があっても他の疾患の可能性も高いですし。
COVID-19でも軽症でリスクが低ければ、自然治癒するので入院は必須ではありません。リスクが低い若い方なら、まずは入院させず、できるだけ自宅で療養してもらっています。時々「呼吸が苦しい」などと症状の増悪を訴える方がいるので、その場合は急いで入院していただきます。
この「急いで入院していただく」ためにも、できるだけキャパシティーの確保は重要です。よく「COVID-19は軽症でも重症化するかもしれないから、全例入院」と主張する人がいますが、これは臨床医学とロジスティックスの理解が不十分な意見です。軽症を全員入院させると病棟もすぐにいっぱいになりますし、連絡を取る保健所職員も、患者を搬送する救急隊も忙殺されます。忙殺されると、いざ症状が増悪した患者をタイムリーに搬送できなくなるのです。「急に重症化することもある」からこそ、連絡や救急搬送、入院ベッドのキャパを確保しておくのが、正しいキャパシティーの有効活用の方法です。もちろん、重症化リスクが高い高齢者や免疫抑制者、連絡の難しい独居の方などはその限りではありませんが(ケース・バイ・ケースの臨機応変な判断もとても大事です)。
現在の日本であれば、無症状の方の事前確率はとても低いです。しかし、症状が出て事前確率がちょっとでも高まれば、、、そう、1%くらいCOVID-19の可能性があれば、PCRをやる十分なインセンティブになります。確定例が見つかれば、そこから濃厚接触者を追跡し、場合によってはPCRをしてクラスターの探知、そして抑え込みをもくろみます。
すでに述べたように大量の患者がでてもぼおっとしているとこの感染症は制御不能にまで広がってしまいます。感染者が少ないときでも少流行を見逃さないように、アンテナを鋭く張っておく必要があります。
そのために、丁寧に患者の話を聞くのです。喉の調子、誰かとの接触、三密の発生。PCRよりもCTよりも患者のコトバが大事です。
ぼくは研修医になったばかりの1997年、沖縄県立中部病院で感染症科の喜舎場朝和先生に感染症診療の基本を叩き込まれました。その中でも特に重要視されたのが丁寧かつ詳細な病歴聴取です。
当時の沖縄の高齢者から、詳細な家族構成を聞くのが一苦労でした。みんな、兄弟が多い。9人兄弟の8番目とかは、ざら。そして、そうやって病歴を尋ねるたびに、沖縄でいかに戦死者が多く、あるいは八重山とかでのマラリアの死亡者が多かったという歴史も学んだのでした。
目の前の患者さんの肺炎とか尿路感染は、検査して、抗生物質出せばいいじゃん。なんで2番めのお姉さんは戦士しました、みたいな話を延々と聞かなきゃいけないの?生意気で無知だったぼくはそのころ、そんなふうに思っていました。
しかし、あれは丁寧に病歴を聴取し、患者をよりよく理解するための基礎訓練だったのです。検査して、抗生物質出せば感染症が治せる、というほど臨床感染症の世界は甘くはないことを思い知るのはそれから数年後のことです。
臨床感染症学において、微生物の知識や検査学のノウハウ、抗生物質の薬理作用などは大事な知識です。しかし、それよりも遥かに重要なのは患者を理解する能力と、そのための病歴聴取です。これが「事前確率」を作るのです。
新型コロナウイルス感染対策をとればとるほど、「基本」の重要性が改めて理解されます。そして、基本を蔑ろにして、薄っぺらな感染症の知識を「にわか」で丸暗記しても、質の高い感染症診療や感染症対策はできはしないのだ、と改めて思い知らされています。
繰り返しますが、状況判断=適切な事前確率の設定があってこそ、PCRのような検査の価値も、マスクの意味も設定できます。それを無視しては、PCRの議論もマスクの議論も無意味です。これが臨床感染症学の基本中の基本であり、基本をほったらかして、ネットで見つけた平べったい情報をこねくり回しても、きちんとした感染症との対峙はできません。
まあ、どの領域でもそうだと思いますが、基本を無視した応用はありえないのです。
続編です。
投稿情報: 中村 太郎 | 2020/06/28 22:01