本日発売、密林は(いつものように)品切れ。書評を依頼されたので書いたが、ブログ転載許可いただいたので、こちらに。転載自由です。
人間関係、対人関係に悩む人は多い。外来患者が抱えているストレスも、たいていは職場や家庭での人間関係が原因である。よって、対人関係に関する書物もとても多い。その多くは、コミュニケーションや作法の「スキル」を伝授するものである。
名越先生の「自分を支える心の技法」も、「技法」と書かれているのだから、スキルを伝授する本である。しかし、そのスキルはアメリカなどのビジネス本にありがちなスキル、ハウツウ本的なスキルとは違う。かなり、違う。
通常のハウツウ本は「こうすればうまくいくんですよ」といきなりスキルを伝授する。ハウツウ本の読者は「結局どうすればよいのか、はやく教えてよ」といつも考えているからだ。しかし、本書は違う。のっけから読者に問いを立てるのである。それも難しい問いを。
例えば、「心とは何か」「赤ちゃんはなぜ泣くのか」。一見、対人関係とは関係なさそうなところから謎かけをする。本の文章と読者は対話をする。ついに「怒り」の概念に突き当たる。
ここでの「怒り」は、ぼくらが通常用いる怒りとはちょっと違う。例えば、「不安」も怒りの一亜型であると名越先生は言う。「リアリズム」も怒りの一亜型であるとも言う。また、自己卑下は「見下し」の一種だとも言う。
なぜ、こんな逆説が成り立つのか? 読書という名の対話をつうじて、その謎が次第に明らかにされていく。
ぼくらが対人関係で失敗するのは、たいていは「怒り」のせいであると本書は説く。相手の怒りじゃない。「私の」怒りである。私の心に怒りが宿り、これが対人関係をぎくしゃくさせる源泉になるのである。「私は怒ったりしない」と信じている人も、多くはやっぱり(我々が信じている「怒り」とは異なるやり方で)怒っている。
ぼくらは「もっとも自分のことを気遣ってくれる人に、もっとも感情的な怒りをぶつけてしまうことを宿命づけられた存在」(本書42ページより。傍点は原典ママ)なので、人が怒りから完全に自由になることは、ほとんど不可能に近い。そしてこの怒りこそが、これが我々を消耗させ、そして対人関係を難しくするのだ。では、ぼくたちの心にビルドインされ、容易に消去は出来ない怒りの感情を、ぼくらはどう扱ったらよいのだろう。
本書は、自分の心に宿る怒りの扱い方を教える。自らの怒りの感情に自覚的であること。そして他者の存在を他者として(私と同じ存在ではなく)、他者たる他者として認めること。つまりは謙虚であること。他者の言葉に耳を傾けること……本を読むという「他者の言葉の傾聴」行為と、本の内容とがシンクロしていく。そして、他者とのあり方について具体的なスキルがいくつも開示されていく。
それはどういうものか……と、ここでは言わぬが花。ぜひ本書を手に取って読んでいただきたいと思う。柔らかく、暖かい文章で、気軽に読み通すことができますよ。
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