カンボジアに来ている。恒例のSihanouk Hospital Center of Hopeでの医学教育のためである。昨年はさすがに行けなかったが、今年は復活。
少し間が空いていたが、この国はあまり変わっていない(ように見える)。日本なんて数年離れているとだいぶ変わっているのに(首相は確実に代わっている)。ただ、病院は大変化。向かいにエレベーターつきのキレイな外来センターができ、CTも一台購入。これで脳梗塞と脳出血と結核性髄膜炎の区別がつく。プライベートプラクティスと従来の無償診療をミックスさせ、サステイナビリティーを模索している。CTはどこの国でも高額だから、全ての患者にできるわけではない。でも、貧しくて本当にCTが必要な場合はボランティア病院としてCTをとる。といっても、無い袖は振れないのでやみくもにCTはとれない。そもそも1台しかないのだから。こういう限定的なセッティングのほうが豊かな国よりも「判断力」は上がっていくようにも思う。日本とかアメリカだとあきらかに「頭の外」の問題なのに「とりあえず」CTとかMRIをとっているケースがとても多い、と思う。
朝は7時30分からミニレクチャー。お題はいつもの感染症診断の基本と微生物カテゴリー分類の基本について。聴衆のベースラインの知識を確かめながら、レベルを上げ下げしてレクチャーするのはけっこう難しい。ときどき英単語忘れているのだが、今はiPhoneですぐに調べられるから(あとでこっそり)、ずいぶん楽になった。「相殺する」ってなんだっけ、、(ええっと、balance outか、、)
内科外来やERでティーチングのあとは、内科ICUのラウンド。おお、陰圧個室が3つもできている。外来ブースにはぜんぶ耳鏡と眼底鏡あったし、ある部分では日本の外来よりレベルが高い。日本では耳鏡とか眼底鏡とか使ったことない内科医って多いんじゃないだろうか。
症例も面白く、melioidosisや結核、レプトスピラうたがい、デングうたがい、ブルセラうたがい、寄生虫感染症など。それに、日本では減っている脳出血も、、、DM, 高血圧が多く、プライマリケア(というか基本的な医療インフラ)が絶対的に足りていないので、みんなものすごく悪くなってから劇的な症状で来院するのだ。
さて、現地のドクターのほうが「いわゆる」熱帯病的な病気の経験値はぼくよりも高い。では、教えることあるの?と思うかもしれないけれど、いろいろできる。
いくらカンボジアのドクターが経験豊富でも、melioidosis(類鼻疽)を何百も見ているわけではない。少ない症例経験から自分の疾患概念を作っている。ただし、文献的な裏付けと、これは決定的なのだが、診断学的な緒考察、、、、時間的考察(急性、慢性、あるサインの出現時期、あるサインと別のサインとの関係性)、痛みの病態生理学的な把握、検査値異常の解釈、治療介入の意味、、、などがなされていないので、経験値との類似性と思いつきが診断プロセスのメインに、、まあ日本の医者でもよくあるけど、、、なっている。矛盾する所見や検査値は無意識に忘却されてしまう。こういうピットフォールを、教科書的な知識と融合すれば、経験値的にはずっと少ないぼくでもティーチできることはたくさんある、、、というのがぼくの今回の発見だった。
いつも申し上げているのだが、経験値は極めて貴重である。しかし、経験値は活かすことも殺すこともできる価値である。誤った疾患概念が経験値によって裏付けられると、かえって裏目に出ることがある。俺はかぜには抗生物質を必ず出す。患者は困ったことがない(俺は見たことがない)。その経験に基づき、、である。経験値をどのように有効に生かすか、その方法論が自分の中で明確に咀嚼されていないといけないのだ。つまりは、経験の有効性と無効性と陥穽の3つの線引きをどこでするかを、いつも自分の中で意識化していないといけないのだ。残念ながら、日本の医師は、経験値をどのようにアプライするかのメタ認知についてはまだまだ勉強不足のことが多い。これは診療面だけでなく、病院の運営やアドミについても同様である。
経験値は疾患概念全体を見せてくれることは絶対にない。永遠にない。ここで言う疾患概念の全体はカントのいう「もの自体」である。ぼくも結核の全てを、インフルエンザの全てを、類鼻疽の全てを知っているわけではない。そこにできるだけ近似していきたいと思っているだけなのだが、それでも非典型例、、、結核っぽくないのに結核、、、結核っぽいのに結核でない、、、をすべて十全に把握することはできない。その「できない」という自覚と、「どのように」できないか、というクオリフィケーションが大事になるのだ。このようなメタ認知を重ねていくこと、この方法論が(もちょっと即物的な形で)カンボジアのドクターの臨床教育にもアプライできていることを確認するのも、今回の大切な学びである。
近年、日本の若手医師にも「いわゆる」熱帯医学的なスタディーツアーの機会が増えてきた。しかし、これもうまく活かさないと、「おれは○○病を見た」的な動物園的ツアーに終わってしまう。動物園でパンダを見ようが、キリンを見ようが、それでパンダやキリンのことが分かるわけではない。フィールドではどう猛に襲いかかってくるパンダだっているかもしれないのだ(見たことないけど)。「見た」という経験が疾患の全概念=物自体、のどのへんを照らし出しているのか、、、が最大の問題なのである。それがなければ、スタディーツアーもあまり意味がないし、かえって歪んだイメージをつかんで裏目に出てしまうことすらある(そういう事例は残念ながら、ときどき目にする)。逆に、熱帯病体験ツアーにいかなくても、ある程度そういう疾患へのまっとうなアプローチは不可能ではない。
あと、治療については、副作用への対応や薬理学的な知識の臨床現場へのアプリケーション、そして「原則」論が大いに役に立った。いつも使っている薬でも、バックになる知識(これもメタ認知)があるのとないのではアプリケーションの幅が大いに異なる。「使っている」という経験をさらにリッチにするのが学的な知識だ。
海外に行くと、いつものルーティンワークを「ずらす」ことで内省的に発見できることがたくさんある。ティーチングを通じて、一番勉強できたのは、もちろんぼくである。
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