製薬メーカーとの付き合い方
外科系、内科系問わず、医療において薬はなくてはならないものです。そのことは、現代医学における「薬」がなかった時代を思い出していただければ、すぐに理解できます。
現代医学における「薬」とは、抗生物質とビタミン剤がその嚆矢であるとぼくは思います。両者は20世紀に誕生しました。秦佐八郎とパウル・エールリッヒが梅毒治療薬サルバルサンを開発し、アレクサンダー・フレミングがペニシリンを発見し、鈴木梅太郎が(脚気治療薬の)ビタミンB1を発見する時代です。要するに、薬理学の黎明期です。Goodman & Gilmanの第1版が出版されたのが1941年です。この時代こそが「薬」時代の幕開けなのです。それ以前は敗血症や脚気や壊血病などでたくさんの人が死んでいたのです。「薬」以前と以後においては、人間の健康のあり方は激変しました。
もちろん、それ以前にも薬はありました。現代の漢方薬のほとんどはそれ以前に開発されたものですし。しかし、こうした薬は患者の病気という「現象そのもの」をターゲットにした薬でした。漢方ではこれを「証」と呼んだのでした。もちろん、漢方医学にも病態生理的な理論はありますが、現代ではこれをサイエンティフィックに承認するのはむずかしいとぼくは思っています。西洋医学においてもかつては水銀とか、かなり危うい「薬」を使っていました。経験的にマラリアや心不全に効く植物は見つかっていましたが、これもペニシリン・ビタミンB1以降の「薬」とは全然違うレベルの考えかただったとぼくは思います。
繰り返しますが、現代医学における「薬」は人間の健康のあり方を激変させました。ぼくは「サルバルサン戦記」を書いていてそれを強く実感しました。だから、ぼくは創薬という営みにものすごく敬意を払っています。創薬に携わる人々にも最大級の敬意を払っています。秦佐八郎という人物を心から尊敬するように、現代の創薬関係者も心から尊敬しています。
昨今、医者と製薬メーカー関係者との付き合い方について、いろいろな議論がなされています。「医療において薬は必要不可欠であり、製薬業界を全否定するのは間違っている」という意見を医者側から聞くことがあります。全くそのとおりだとぼくも全面的に賛成します。
しかし、です。そのような「製薬業界は全否定してはならない」と言う医者の大多数が、例えばMRさんたちと会話するときに、タメ口なのにぼくは閉口します。そこには人間の健康のあり方を激変させた、創薬に携わる人達に対する敬意が微塵にも感じられません。医者のほうがずっと上から目線なのです。高齢の医者がこれをやっているのを見ると、「ああ、まだやってんだ」と少しがっかりします。若手の医者がこれをやっているのを見ると、「何を勘違いしているのだ、指導医は何を教育していたのだ」とぼくはとてもがっかりします。
結局のところ、「製薬業界を全否定するのは間違っている」と宣う連中のほとんどは、単に製薬業界からの接待を正当化する方便として、そのようなセリフを使って言い訳しているにすぎません。そうやって、製薬業界が主催する薬の説明会(と称するお弁当配布会)や、新薬発売1周年記念講演(と称するアゴアシつきのパーティー)や、社内勉強会の講師(と称する接待)にのこのこ出かけるエクスキュースにしているのです。
秦佐八郎や鈴木梅太郎やドラモンドやフレミングやドーマクが現代医学に必要不可欠な人物であったように、現代医学に製薬業界は必要不可欠な存在です。それを自覚するのであれば、製薬業界の方々と接するときには敬語を使い、プロとプロの仕事として対等に議論したり、ともに研究すればよいのです。
サッカーの試合は選手とレフリーがともにプロフェッショナリズムを発揮し、共同作業をすることによってよい試合になります。選手がレフリーを無視したり、リスペクトしない状態であれば試合は壊れます。レフリーが選手を無視したり、リスペクトしないとやはり試合は壊れます。両者は共同作業を行い、そして名試合を共に造り上げているのです。選手のない試合は成立せず、レフリーのない試合は成立せず、両者が互いを無視した試合も成立しません。
かといって、選手がレフリーに食事をごちそうしたり、飲みに行って飲み代をこちらもちにしたり、ましてや金品を渡したりすることは絶対に許されません。それを我々は「賄賂」「八百長」と言います。
両者はプロとしての礼節を保ち、付き合いを保ちつつもアンタッチャブルな領域には絶対に踏み込んではいけません。弁護士と検察と裁判官、賞の審査員と応募者など、同様の構造はいくらでも見出すことが出来ます。
医者は薬を施設に採用したり、処方したり、あるいは講演で宣伝したりする絶対的な権限を持っています。製薬業界はこの権限を最大限に利用し、自社利益を追求しようとします。医療・医学において診療界と製薬業界は対等な立場にあるはずですが、金銭的利益という観点からは両者にはラテラリティーが存在します。そのラテラリティーを利用して、製薬業界は医者を誘惑し、医者はそれに見事にひっかかるのです。
営業活動を行うMRはプロの営業者であり、プロのビジネスマンです。自社製品を売り込むための才能に秀でており、訓練も受けております。しかし、医者の方はこうした営業活動に抗う訓練など受けておらず、そのような才能も所与のものではありません(そういう才能は大学入試や医師国家試験では検定しないからです)。前者は営業のプロであり、後者はアマチュアです。プロとアマチュアが対峙した場合は「勝負にならない」のが一般的です。
ところが、多くの医者は「自分たちはMRにはだまされない。ちゃんと情報を取捨選択して吟味している」(だから、MRから接待されたっていいんだ)と言います。「自分たちはダマされない」と固く信じこんでいる人物は、詐欺師にとってもっともたやすく騙すことができるカモだというのに。騙すのが難しいのは「おれは騙されているんじゃないか」と常にビクビク怯えているような人物なのですから。
「自分はカモにされているんじゃないか」とビクビクするような人物が、そもそも賭場で丁半張るようなリスクを冒すでしょうか。ありえません。君子危うきに近寄らず。そういう人物はだから、MRの巧みな新薬説明会や、新薬発売記念パーティーや、講演会、ランチョンセミナーの類には近寄らないのです。「自分が騙されていない」と確信している人物だけが、諸肌脱ぎにギャンブルに走るのです。
そういう製薬業界のカモにされた人物は、業界にべったりしているうちにだんだん業界の口調を身につけるようになっていきます。これはどこの業界でも同じことです。芸能界にどっぷりいると芸能界の符丁を身につけ、ヤクザの世界にいるとヤクザの符丁を覚えます。朱に交われば赤くなるのです。製薬業界の自主勉強会の講師なんかに呼ばれ続け、そこでチヤホヤされている医者は、だんだん業界の符丁を覚え、まるでMRのような口の利き方をするようになります。ある医者のHIV系の講演を聞いていたとき、「まるで背中のファスナーをおろしたら中からMRが出てきそうだ」というコメントを聞きました。そういう、MRが医者のキグルミを着ているかのような講演は珍しくありません。
神戸大学病院感染症内科では初期・後期研修医はMRと直接コンタクトをとることは禁止されています。薬の説明会と称する弁当配布会もありません。新薬発売一周年記念パーティーみたいなのは「自主的な判断」に任せていましたが、これも目に余るので先日禁止しました。ただし、後期研修を卒業した彼らが、新天地でそのような誘惑に負けてしまった場合のリスクは危惧しています。女を知らないナイーブな田舎者が都会に出てキャバクラなんかにハマりこむことがあります。だから、形式的に禁止にするだけでなく、何がどう問題なのかを自分で理解してもらわねばなりません。が、言うのは簡単ですが、実際にやるのは難しい。シャブのリスクを体得させるために、「実際にやってみる」ことはできませんから。
背中のファスナーをおろすとMRが出てきそうな医者たちの問題は、彼らにまったく病識がないことです。少しずつシャブ漬けにされたようなもので、「別に問題無いじゃん。気持ちいいし」なのです。そして、自分たちのあり方を正当化するためにあれこれ詭弁を用いるようになります。「製薬業界は全否定するのは間違っている」といった、ありがちな常套句(クリシェ)を使って自らを正当化します。製薬業界を肯定するのと、MRにタメ口きいたり接待を受けて権力者の耽美に浸ることは別物なんだ、ということがわかっていません。いや、わからないふりをしています。
「MRなしでどうやって薬の勉強をしたらいいの?」と今でも真顔で訊いてくる医者がいます。逆に「MRからどのようにまっとうな薬の勉強ができるのか」とぼくは問いたい。Aという薬を使えるということは、Aという薬についての一意的な知識があるのみでは不可能です。BやCやDやEといった類似の薬とAを比較して、BでもCでもDでもEでもなく、Aを選ぶべきだ、という必然性を見出して、初めてAという薬を選択できるのです。そのような相対的な視座から薬を語るMRは稀有な存在です。バイアスなしに相対情報を提供するMRは、まずゼロです。「皮膚軟部組織感染症には、うちの第3世代なんとかマイシンよりも値段が安くてPK的に有利で、しかも安価なセファレキシンのほうがベターですよ」というMRはまだ見たことがない。
薬について情報を得たければ、薬のプロで利益相反のない薬剤師さんを活用すればよいのです。そういえば、薬剤師さんにタメ口きく医者もいやですね。ぼくはコメディカルには敬語を基本としていますし(友だちになればタメ口ですが)、研修医にもそう指導しています。薬剤師さんはA,B,C,D,Eという薬を相対的に見ることのできるプロですから、MRよりもはるかに妥当性の高い情報を提供してくれます。また、薬剤師とはそういう存在であるべきです。そういう意味では、気軽に相談できる薬剤師を遠くに追いやったものとして、院外薬局制度とはまったくイケてないシステムでした。検査の外注同様、カネの論理でのみものごとを決めると失敗する事例です。
サッカー選手とレフリーの関係のように、医者と製薬業界も誠実に、プロフェッショナルに、互いをリスペクトして医療・医学の発展のために協働していきたいものです。まず今からすぐできることとして、ちゃんと敬語を使うこと、から始めるというのはどうでしょう。
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