新しいテクノロジーが生まれると、それに対する反発が生じる。これは歴史上何度も何度も繰り返されてきたことだ。レコード・蓄音機が発明されると生演奏の存在が脅かされると反対が起き、映画ができると舞台演劇が脅かされると反対が起き、トーキーが起きるとサイレント派と演奏者や活動弁士から反対が起き、テレビができると映画界から反対が起き、ビデオができるとテレビ界から反対が起き、、、、ぼくが高校生の時は「テレビなんか見ずに本を読め(頭悪くなるから)」という主張があった。そもそも本だってソクラテスは反対していたわけだが(頭悪くなるから)。
で、いまやネットとスマホがあるので、テレビ界から反対が起きるのだろうか。「ネットやってる暇があれば、テレビを見ろ」?
信州大学学長は「スマホを捨てて自分の頭で考えろ」と主張する。論旨は理解する。が、ぼくはむしろ「もっとスマホを使いまくれ」と学生には主張したい。
大抵の場合、最新のテクノロジーを教えるのは、若手の仕事である。くたびれた中年は「それなに?見たことも聞いたこともない」と尋ねて、「これはですね」と若手が鼻高々で教えるのである。ぼくがアメリカで研修医をやっていた時は、研修医の多くはPalm pilotを持っていた。ぼくも持っていた。指導医たちは研修医にPDAの使い方を指南してもらったのである。
ところが、(あくまでぼくの体験の範疇で、だが)今の日本の医学生はスマホをほとんど使いこなしていない。中年のぼくのほうがはるかに使いこなしている(少なくとも医学領域で)のは奇異なことである。当時のPalm pilotなんて今の目から見ると実にプリミティブで、当時のパソコンすら今のスマホよりもはるかにスペックが低い。テクノロジーの恩恵を活用しないのはもったいない。
たとえば、ぼくが学生の時は英和辞典は「ランダムハウス英和大辞典(第2版)」を使っていた。ぼろぼろになるまで使いこなした。名著であり、今も現役だ。しかし、やたらとでかいので持ち運べない。「あれ、どうだっけ」と思った瞬間には調べられない。
ところが、今はアプリになっているから、思いついた時にすぐに英単語を調べることができる。おまけに発音のボタンを押すとしゃべってくれたりする。値段もはるかに安い。こんな便利なものが学生時代にあったら、どんなによかったか。和英もあるので今は英辞郎と両方使っている。大辞林も使っている。これだけひとつのスマホに入っているから、本当に便利である。
UpToDateも今はスタンドアローンでスマホに入る。ぼくが研修医の頃はCD-ROM版だった(白状するが、最初に使ったのは海賊版だった)。当時としてはかなり小さかったバイオに入れて診療に役立てたが、パソコンを担いであちこち移動するのは面倒だし、なくす危険も多かった(研修医はたくさんの病棟をカバーするのである)。これもスマホならポケットに入るし、iphoneならなくしてもFind iphoneで見つけてくれる。
もともと、UpToDateは医者が知らないことをほったらかしにして診療を継続させている、という衝撃的な事実から生まれたデータベースだ。診療中に医者が疑問に思ったこともすぐに調べられないとそのままほったらかしてしまう。医者は忙しいし。熱々のうちにすぐ調べることができなければ、ずっと調べることはないのである。こうして「なんとなく」のいい加減な医療が習慣化してしまうのである。薬の相互作用などはとても暗記できないから、ぼくは新しい薬を処方する時は必ず既存の服用薬との相互作用をチェックする。ePocraresなどはとても便利だ。
本を読むことは大事だ。その点は信州大学学長と同意見だ。しかし、今はスマホでも本を読む時代だ。個人的には今も紙の本も大好きだれど、長期の海外出張などで大量の本を運ぶのは面倒だ。特にスマホが優れているのは海外の本だ。教科書も大量にkindleに入れておけるし(日本の教科書もはやくM2とかは離脱してkindleに参入してほしい)。昔はMDConsultを使っていたが、これが消滅してエルゼビアがアコギな商売をするようになって、もっぱらkindleを用いている。Mandellは紙版、Kindle版両方使っているから、出張先でも困らない(みんながエルゼビアボイコットすれば、もっと安いコンテンツになるんじゃないの?と半分冗談、半分本気で思う)。ペーパーバックの小説もスマホのほうが便利で、それは辞書機能が付いているからだ。あと、個人的には英語力が不足しているので1ページにたくさん英単語がある紙の本よりも画面に字数の少ないスマホのほうが読みやすい。分からない単語で必要な場合はその場でひく。「わかったふりをしない」ことは知的活動の第一歩である。青空文庫系も便利で、大量の古典を無料で読めて大満足である。シエラレオネの長期出張では本当に重宝した。
医学生が外来見学をしたり、回診に参加しているとき、明らかに理解していない部分をほとんどほったらかして「ぼーっと座っているだけ」のことがとても多い。わからないことがあるのは構わない。学ぶ必要があるから、学生なのだ。だったら、ぼおっとしてないで、調べろよ、とぼくは思う。学生の白衣に何も入っていない、スマホにも医療用アプリがほとんど入っていないと、「昼休みに必要なレファレンスを買っておくこと」とぼくは言う。知識もないのに、さらにリファレンス無しでベッドサイド学習に参加するなんて、せっかく勉強させて頂いている患者さんに失礼千万である。リファレンスはPocket Medicineでもワシマニュでもかまわない。ただ、最近のワシマニュは英文も和文もポケットには入りにくいので、やはりスマホがおすすめだ(ポケメディはまだポケットに入る)。昔は紙ベースだったサンフォードもジョンホプも、CCDMもレッドブックも、ついでに漢方のリファレンス(の数々)もハリエットレーンも、全部スマホに入る。先日学会の話もしたけど、今は国際学会のコンテンツはmp3でダウンロードもできる。他学の出費をして仕事を休んで時差ボケに苦しみながら学会参加しなくても、散歩やジョギング、家事をしながら手軽に学会コンテンツを楽しむことができる。
テレビそのものが人の知性を落とすのではない。どのような番組を見ているか、が大事なのだ。もっとも昨今は見るべきコンテンツはテレビにはほとんどなくなってしまったけれど。新しいテクノロジーを全否定するのも一種の思考停止である。大事なのは、どのくらい、どのように使うか、である。「自分で考える」とは、外界からのインプットを鵜呑みにせず、ちゃんと咀嚼して消化して、我が物にしてからアウトプットすること、その連続の先にある。咀嚼をしなければ、スマホ無しで友人とだべっていても「自分で考え」ない。自分で考え抜いたなら、スマホ使いまくるのが最適解、という「自分の考え」を得ることだって、可能だ。
もちろん、人間は知性だけでできあがるのではない。品性、マナーも大事である。食事中はスマホに触らない。人と会話している時にスマホをやらない(やるなら、「ちょっとそれについて調べさせてください」などと了解を得る)。しかし、それは他のことについても同じこと。家族団らんの食事中に新聞読んでるお父さんはマナー違反である(やってませんか?)。人と会話しながら本を読む人、テレビを見る人もダメ。要するに、これはスマホか否か、の問題ではないのである。ついでに言うと、カルテに入力していてもときどきは患者の方をみるべきだ。紙カルテの時代の医者のマナーがよかったとはとうてい思えないから、ここでも「電子カルテそのものが悪い」とは岩田は思わない。
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