著者献本御礼 書評を頼まれたので、ここに感想転載します。
お母さんを診よう
岩田健太郎
本書はプライマリケア医のために書かれた女性の診療とその周辺に関する教科書である。ウィメンズ・ヘルスみたいな手垢のついたことばを使わず、あえて「お母さんを診よう」としているのがうれしい。本書の目的は妊婦を「人外の存在」のように恐怖している医師たちに「まあ、そんな無体なこと言わんとこっちおいでよ。妊婦診療も楽しいよ」と手招きすることなので、敢えて敷居の高い業界用語を廃したのだろう(想像です)。実際には妊娠中だけでなく出産後やその周辺も幅広く扱っていて、「プライマリ・ケア医のための産婦人科」ではないところも本書の特徴だ。例えば、DV(26章)、子供の事故予防(25章)なんかは射程の長い本書ならではのトピックだと思う。
で、最初のプロローグでガツンである。プロローグを書いているのは亀田総合病院産科の鈴木真先生だ。
胎児の行動をエコーで観察することはなんと楽しいことであろう。お母さん、お父さんに「こんにちは」とするように手を振ってみたり、指しゃぶりをしたり、あくびをしてみたり、ときには笑っているかのように口角を上にあげるような表情さえみせる。こんなに可愛い赤ちゃんがおなかの中にいるというだけで医師は妊婦さんにこんな検査をして、こんな治療をして、赤ちゃんに何か悪い影響があったらどうしようと妊婦さんを怖がってしまう。そう思う気持ちはよく分かるが、これは「オバケが怖い」と一緒じゃないだろうか?医師は科学者である。冷静に相手を分析して、相手のとるであろう行動を予測し、察知し、対応すればよいのである。(本書1-2p)
かっこいい!さすが鈴木先生である。
こういうセリフは、なかなか言えないものだ。一般に専門家が非専門家に取りがちな態度は、「俺達の領域なめんじゃねえぞ。勝手に入ってくんな」なのだから。「専門医を重要視する体制」や「社会による専門医以外を潜在的に排除する構造」はこのような排他的な態度に象徴される。ぼくが帰国したとき、外来で患者の内診をしようとして看護師の強い抵抗にあったものだ。諸外国では当たり前なのに。当の患者自身は理解、納得しているのに。そこは、専門家の敷居でガードしない鈴木先生の度量、お見事!である。もちろん、専門医の鈴木先生にプロローグを書かせた編集者たちも立派だ。こちらも「(専門医は)入ってくんな」とは言わなかったのである。
妊婦だって人間である。ケガもするし、病気にだってなる。昔、妊婦が麻疹になって大騒ぎになったことがある。産科病棟は「麻疹患者は無理」と断る。内科病棟は「妊婦は無理」と断る。陣痛が起きて出産した新生児はどこへ行けばいいの?ありがたいことに日本はようやく麻疹排除宣言を出したからこういう騒動はもはやめったに起きないだろうが、このように「どこにもいけなくて困っている」女性はたくさんいる。誰もタッチしない隙間はたくさん、ある。
そのような隙間を埋めるのが、ポリバレントなプライマリ・ケア医である。しかし、多機能型のプライマリ・ケア医であっても、多くの場合妊婦を診る機会はそう多くない。少なくとも、産婦人科医のそれよりは絶対的に少ない。だから、いざというときに紐解くリファレンスが必要だ。
例えば、妊婦に使える薬、使いにくい薬はうろ覚えで「暗記したふり」をするよりも、きちんとリファレンスで指さし確認したほうが確実だ。そのとき、本書29章のような分かりやすいまとめがあり、表で「原則禁忌」と「使用可能」と分けられているととても便利だ。忙しい外来でもすぐに使える。妊婦にありがちなコモンな主訴がまとめられていたり(10章)、風邪や下痢といったコモンな問題に対しても具体的な対応法が書いてあれば(31,32章)「風邪の患者、実は妊婦」という問診票を見ても頭真っ白になったり、他の医者にノールックパスを出したり、あるいはテキトウなやっつけ仕事で危なっかしいプラクティスをしなくてもすむ。
本書はエビデンスベイスドな本である。エビデンスベイスドな本とは、「エビデンスではこうなってます」という本のことではない。何がわかっていて、何がわかっていないかが、あるいはどのへんまでわかっていないかがきちんと線引されている本のことである。とくに、妊娠出産育児関係はネットで玉石混交の情報が飛び交い、医師といえども専門外だとだまされがちだ。自らのバイアス、イデオロギーにも引っ張られやすい。だから、本書のようにエビデンスの吟味がなされている本があると、とても助かる。しかも、EBM屋がやりがちな論文やややこしい概念の羅列をせずにそれをしているのが、すばらしい。HPVワクチン(3章)や乳がん検診(22章)など、けっこうもめている領域はEBM屋目線で書くとゴチャゴチャしてわけわからない、「けっきょくどうすればいいの?」的内容になりがちだが、そこは非常にスッキリとグレーゾーンを現場目線で扱っている。政治性をなるたけ排除しているのも、好意的に感じられる。性教育(27章)のように「政治性」を排除しきれないトピックも、患者のウェルネスのために誠実に扱っているため、イデオロジカルな政治臭はしない。まあ、母乳については詳細に論じているのに人工乳についてはほとんど言及がないのはどうかな、とぼくは思うけれども(20章)。
妊婦の旅行を扱っているのも新しい(16章あとコラム)。一般的に妊婦にはあれをやるな、これをするなと規制、抑制がかかるのが常だが、全否定ではなく、「どれくらいまでなら大丈夫か」という成熟した問いを立てるのはとても大切だ。妊娠中はストレスがたまるから上手に発散したいだろうし、里帰り出産という日本独自の?文化もあるのだから(16章)。
従来あまり扱ってこない、扱いにくかった特定妊婦(8章)、セックス(24章)、セクシャルオリエンテーション/LGBT問題(1章など)にも踏み込んでおり、とても勉強になり、また考えさせられる。最近話題の遺伝カウンセリングについても素人にも理解しやすいようまとめられている(7章あとコラム)。
日本は女性が暮らしにくい国で、特に妊婦や母親にアンフレンドリーな国だとぼくは思っている。あらゆる困っている人の支援者たる医師は、少なくともこうした困っている「お母さん」にフレンドリーであるべきだ。プロフェッショナルな形で。本書は、「お母さん、うちの外来にもどうぞ」と言うためのとても貴重なテキストなのだ。多くの医療者に読んでほしいと心から思う。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。