副題が、本の本質を表してるのは珍しいけど、そういう本です。積んどいたのですが、駆け足ながら夢中で読みました。すでに青木先生が紹介されているので屋上屋根を重ねて申し訳ないですが、あえて少し。
白状するが、ぼくはピーター・ピオットという方を存じ上げない。UNAIDSの活動も世界あちこちでちょこちょこ垣間見るけど、「ふーん、ここでもやってるんだ」という程度で特に注目したこともない。グローバル・ファンドやWHOとの関係なんて考えたこともなかったし。国際エイズ会議も横浜(94)に学生のとき奇縁あって参加しただけで、その後は出ていない。どっちかというと政治的活動が目立つ学会で、CROIのほうがアカデミックには上、みたいに思っているところもあった。医者・科学者目線でよくなかったと反省している。
ぼくは(ありがちだけど)こういう大きな政治は興味が無いし、あまり近寄りたくないし、「だれか別の人の話」と思っているフシがある。ピオットさんやポール・ファーマーたちがビッグ・ポリティクスにしっかりコミットしてたくさんの成果をあげているのを見ると、申し訳ないことだなあ、とは思うのだけれど。
もうひとつ、これも恥ずかしい話だが白状しておくと、ぼくはややベルギー人に対して偏見を抱いてきた。植民地の負の歴史もあり、とくにルワンダの虐殺の遠因になったのはぼくのなかでネガティブな印象を作っている。実際、カンボジアなどあちこちであうベルギー人は上から目線で途上国バカにして、という人が多い印象があった(個人の印象で、しかもNはそんなに多くないです)。でも、ピオットさんの本を読んで、当然のことながら、ある国籍の人間にはいろんな人がいるんだな、過度の一般化は危険だな、と改めて反省させられた次第である。
ザイール(当時)でエボラを発見したピオットは80年台に発見されたエイズと格闘する。微生物学者の彼が国際政治のドロドロに巻き込まれて苦闘する。しかし、辛抱強くあきらめずに、カメレオンのように臨機応変に、一歩一歩前進していく。大切なのはアウトカム。病気に苦しむ人達の安寧である。
以下、印象に残ったところの引用。
「なんだって、ブリュッセルの呆れ果てた官僚主義は相変らずだな。恐るべき流行に直面しているのに、見つかたのは君だけなのか。何歳だって?27?まだ医者になりたてで、1人前とはいえないだろう。しかも、アフリカに行ったことがない、、、」
フランドル人独特の歯に衣着せぬ口の悪さに、私はたじろいだ(そうそう、ぼくのもってるベルギー人イメージってこんな感じ)。24p
WHOは到底あり得ない条件を出してくるが、資金を得るためには、それを実現すると約束しなければならない。不可能な成果を約束しても、誰もチェックしないので、107p けっこうWHOの官僚主義には辛辣。ただし、今はそうでもないとフォローもしている。同様に各政府の役人にも辛辣で、ザイールでは「大学は保健省と高等教育省の強欲な役人に依存しており」(154p)などと、かなり厳しい。
HIV黎明期には感染経路も不明確で、女性から男性への感染は専門家でも否定的見解が多かったらしい(171pなど)。
心理学者やカウンセラーとしては、私は理髪店で見かける誰かよりも特別な資格があるわけではない(195p)とかは、エスプリの効いたベルギー人って感じ。
中嶋宏WHO事務局長(当時)とはうまくいていなかったことが繰り返し示唆されている(204pなど)。後に味方された時すら「いかなる意味においても、私は中嶋博士の持ち駒であるかのような印象は持たれたくなかった」とすら書いている(249p)。何があったんでしょうね。あと、UNICEF, UNDP, WHO, グローバルファンド、などともうまくいっていなかったようで、しばしば妨害工作や嫌がらせをされている。やっぱ政治の世界には近寄りたくないなあ。
1996年前後、アメリカはARTの普及に非常に消極的で、ヨーロッパが医療保険システムに組み込んだのとは対照的だったらしい(295p)。
フィデル・カストロはユニークな人物として功罪相半ばする見解だ。HIV陽性者の過去の交際相手全員に検査を強要する、陽性者の6ヶ月のセーフセックス研修の義務化などかなり過激なことをやっていたらしい。最近、キューバ医療についてはポジティブな評価が多かったけど、いろいろあるんですね(299p~)。
ルワンダのカガメ大統領には高い評価をしている(304pなど)。80万人の虐殺を国連の平和維持活動と安全保障理事会(および世界の大国)が止められなかった云々という言葉が続くけど、あれって遠因はベルギーじゃん、と少し思う。
やはりというか、ネルソン・マンデラについては高評価だ(311pなど)。マンデラはARTのジェネリック薬輸入を導入牛用として、製薬業界はマンデラを提訴しようとしていたという。後継者のムベキについては人格者として紹介しながらも、その残念な見解(エイズの原因はHIVではなく、西洋がアフリカに毒を売りつけようとしている)には批判的だ。ぼくはこのアイディアがカリフォルニア大学バークレー校の分子生物学者、ピーター・デュースバーグの発案だと本書を読んで初めて知った。ピオットはもちろん、エイズ修正主義者だとデュースバーグには手厳しい(329p)。
ピオットはUNAIDS事務局長になってから「カメレオンのように」マキャベリストであったようだ。「エイズに打ち勝つという同じ目的のためには、立場の違いを脇に置く必要がある。いくつかの基本原理に同意できるかぎり、宗教団体から産業界の指導者までどんなグループも、そしてどんな情熱的なアクティビストも、同じテーブルに歓迎する。(中略)「黒い猫でも白い猫でも、ネズミを捕るのが良い猫だ」(中略)もちろん薬やワクチンのような公共財に対してこの権利を行使するときは、貧しい人たちの利用を許すという条項が必要だと主張することはできる。この点に関して、当時は意見が鋭く対立しており、私はエイズアクティビストの運動から少し距離を撮っていた」(361p)などは、ぼくにはとてもよく理解できる。
ローマ教皇庁との「大人の交渉」も興味深かった(315pなど)。妥協を重ね、「協会はコンドームに言及するのを避け、UNAIDSは協会を批判することを控える」ことにしたのだった。
ジョージ・W・ブッシュの貢献についても知らなかった。本書にもあるが、ブッシュがやることは全て悪いことだとぼくは思い込んでいたが、エイズへの援助に150億ドルの支出を決定したのだ(385p)。中国の問題も指摘しつつも温家宝とは有益な議論をしている(416p)。
まあ、国際政治、国際保健の世界は尾身先生の本を読んだ時にも思ったけれども複雑怪奇、ドロドロのようである。でも必要なんだよね。ぼく以外のだれかにぜひがんばってほしい、、、ごめん。
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