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カチンの森――ポーランド指導階級の抹殺
カチンの森――ポーランド指導階級の抹殺
著者:ヴィクトル・ザスラフスキー | |
京都の平熱 哲学者の都市案内
京都の平熱 哲学者の都市案内
著者:鷲田 清一 | |
投稿情報: 11:35 カテゴリー: 本、映画、その他 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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投稿情報: 11:25 カテゴリー: 感染症 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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投稿情報: 11:16 カテゴリー: 感染症 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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海外だと時差ぼけが激しいので、夜中に目が覚めると原稿を書くか本を読む。今は翻訳をやっている。一所懸命訳す。
翻訳は素晴らしい勉強方法である。翻訳対象(サブジェクト)の勉強になり、英語の勉強になり、そして日本語の勉強になる。一気に3つの勉強ができるという素晴らしい営為だ。
この日本語の勉強である、という点を意識していない訳者がとても多いのが残念である。したがって、日本語に訳された医学書は(たぶん、哲学書も)本当にひどい日本語が多くて困る。自分で声に出して読んでみて、自然に聞こえるかどうかが大事である。翻訳とは一つの創作である、ということが分かっていないのである。だからこそ翻訳は快楽であるのに。
訳した専門書を非専門家が読めない大きな理由は翻訳の稚拙さにあると僕は思う。外国では日常的に使われている語をわざわざ誰にも理解できない言葉に変化させる。学術界でしか通用しない言葉にしてしまうから、「俺たちだけの」本になる。こうしてアカデミズムの狭量さが発揮されるというわけだ。
likelihoodは「らしさ」と和語に訳せば問題ないのに、なぜ「尤度」と普通の人には読めないし書けないし、意味も分からない言葉に直すのか。そのセンスを大いに疑う。strategyは常識的には戦略である。方略といわれて何のことか分かる一般人はいない(いれはそれは一般人ではない)。
日本語は英語からは遠い言語である。だから、日本人が英語が苦手なのもある程度は仕方がない。日本人は語学力がない、というのはウソだと僕は思う。北京にいたとき、日本人の中国語習得力は他の国の人に全然劣っていなかった。漢字のできる日本人のアドバンテージがあり、その分中国語と日本語にある程度の「近さ」があったのだろう(言語学的な話ではありません)。ドイツ語をしゃべるイタリア人、英語をしゃべるドイツ人は多いが、日本語ぺらぺらな西洋人は(最近増えたけど)比較的まれである。ゲーテは英語を1ヶ月でマスターしたと言うが、日本語はそんなに簡単にマスターできなかったはずだ。あと、イギリス人やアメリカ人が語学苦手なのは(移民もとの言語を除く)ニーズが欠如していることから来る、単なる怠慢である。
いま、ヘーゲルの「精神現象学」とカントの「実践理性批判」を英語版で読んでいる。英語の方が読みやすいと鷲田さんが書いていたのでだまされて読んでいる。まあ、正直言って英語だから楽になったと言うことはないが、少なくとも使用されている単語のほとんどは日常単語なので「単語」が分からないということはほとんどなく、辞書を引く必要もほとんどない。ペーパーバックの小説の方がよほど辞書を要する。
DOVER版が出たのは1931年のことであり、基本その英語がそのまま今でも通用している。もちろん、その英語はやや古風で分かりづらいけれども、今でも読める翻訳であるのがすごい。ドイツ語から英語への変換はわりとオートマティックで変更の必要が小さいからだろう。
これがドイツ語から日本語になると、一所懸命翻訳を工夫しなければならないから、どんどん改訳がでる。「良い翻訳」とか「悪い翻訳」とかがあるのは、いかに西洋語と日本語が離れており、その変換に工夫と技術と努力を要するかということだ。
西洋語と日本語は基本的に言語構造が離れすぎているので、逐一単語を置き換えたのではよい訳にならない。意訳と誤訳は異なると思うが、その厳密な線の引き方は難しい。オリジナルな書き手の思いが伝わらなければ、いくら文法的に語彙的にOKでも良い訳とはいえないことは、間違いない。この真意を伝えるのは日本人には苦手な人が多い(形をまねるから)が、皆無ではない。古典落語を上手に現代の人にも伝える談志家元とか、昔のジャンプマンガの精神を伝える「BAKUMAN」なんかがそうである。形をみないで、本質をみる。
良い翻訳を希求したい。「チャンドラーよりチャンドラーらしい」清水俊二の訳なんかは、僕の中では理想である。それは逐一訳ではないが、チャンドラーの意図をもっともよく伝えている好訳である。そういえば、小池朝男のコロンボも、ピーター・フォーク以上にコロンボらしいコロンボだった。小池の声の魅力もそうだが、my wifeを「うちのかみさん」と訳したライターの功績が大きいと思う。
具体的なパールとしては、
1.英語はそのまま日本語に直すとくどくなるので、省いても意味が分かる部分はとことん省く。彼が彼の彼に、、、みたいなのは、彼を1回だけ用いてあとは省略した方が日本語らしいし、全然使わなくてもかまわないことも多い。
2.漢字を減らし、和語を用いると分かりやすい。これも程度問題ですが。
3.原稿はPDFでもらうかスキャンした方が良い。僕は紙の本も好きだが、こと翻訳するときは邪魔でしょうがない。辞書もパソコン内のeijiroにしたほうが楽で、昔みたいに紙の辞書をちまちま引いていたときは隔世の感である。紙の辞書も個人的には愛着があるが、こと翻訳時には邪魔なだけである。
マックのスクリーン上に、テキストエディタ、原書のPDF、eijiro、ネットのブラウザがあれば、ほとんどの仕事は両手を離さずできる。
投稿情報: 20:53 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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歴史の流れとは、おそらくは偶発的なものでありマルクスの言うような「必然的な」流れがあるわけではないと僕は思う(ただし、時間が作る歴史の「正体」は僕にはさっぱり分からないが)。
近代日本は、あくまで「後付けの」説明ではあるが、「ヒステリズム」の克服であったのではないか。と思う。日本とアメリカはヒステリックである、という点でよく似ている国であるが後者はまだこれを克服していない。しかし、日本は確実にヒステリズムの病魔から抜け出しつつある。小児から大人への成熟だと言い換えても良い。もっとも、これも後ろを振り返るとそう見える、という程度の意味なのでそこに歴史の必然とかのにおいを読み取るのはよくないのかもしれないが。
幕末の日本はおそらくはとてもヒステリックな時代だったのだろう。ちょっとした言動や出自で斬り殺されることは当時の日本なんかではよくあった話で、井伊直弼や佐久間象山、坂本龍馬らは実際そうやって殺されている。
関東大震災、日露戦争、日中戦争から太平洋戦争にかけて、このヒステリズムは蔓延していた。やはり世の中の空気であったのだろうと思う。
戦後、日本はその支配国にいわば去勢されたのだが、それでもそのヒステリズムは抜けていなかった。僕ら以前の時代だとそれは安保反対であったり学生運動だったりし、僕らの時代だと、それは例えば「受験戦争」という名前で発露した。
ヒステリズムはインターネット上でも発揮され、それは2chとかでの暴論となる。しかし、このころから逆説的に、そのインターネットそのものがヒステリズムを緩和するよい媒介になってきた。2chのヒステリーに同調する人はむしろマイノリティーなのである。メディアの流す情報が一面的な事実ではないことは多くの人が頭では理解していただろうが、それが体感されたのはインターネットがマスメディアを相対化したからである。これは、ソシュールやレヴィ・ストロースやデリダが相対化するよりもずっとパワフルで説得力のある相対化だった。
1990年代までは日本の感染症界は「日本が絶対正しい派」と「なんでもアメリカが正しい派」のヘゲモニー争いだった。それは時と共に前者が後者に取って代わられる図式であったが、そのアメリカが実はろくな感染症診療をやっていないということ(ガイドライン上の建前と本音の解離)もだんだん分かってきて価値は相対化されてきた。
医療や教育では絶対的な無謬が常識であったが、両者は白旗あげてカミングアウト、自分たちは万能の神ではないことを現在必死にアピールしている。おそらくは司法と行政がこれに続くであろう(そう願っている)。後ろ向きに見ると、確実に今の日本人は成熟しているのであり、ここ数年それが顕著なのはインターネットのおかげであると僕は思っている。そしてそのインターネットの一番パワフルな部分を活用して情報発信したのが内田樹さんであり、その発信される情報は5年くらい前までは一部の「ファン」の間でしか共有されていなかった。が、日本辺境論前後くらいからそれが普遍的に伝わり、共有されるようになっている。と僕は思っている。内田さんにみんなが追いついてきた、と思うのはそのためである。
医療の世界で用いられている言語は圧倒的に日本語と英語で、わずかに昔の世代のドイツ語や精神医学系のフランス語が生きているくらいである(揶揄しているわけではない。ドイツ語やフランス語で本が読めたらどんなに良いだろうとうらやましく思う)。多くの国では医学は英語オンリーで学ぶ。そのことが日本人医師の英語力の低さと関係しているとは思う。しかし、その一方で、日本語の医学書があることのすばらしさも僕はようやく理解できるようになった。そのことは、医学を「自分の言葉」で語ることができる、ということを意味している。ハリソンとかセシルで医学を勉強する場合、それは「その世界」が医学の全てであり、その文脈の外でものを考えることができない。日本語で医学を語り、その二重世界を生きている「辺境」の僕らだからこそ、ハリソンとは異なる文脈で医学を考えたり語ることができる(もちろん、これはハリソンを読んだら、、、の話で、単に日本語の本だけ読んでいれば単に狭量になるだけなんだけど)。聖路加の岡田正人先生がむかしおっしゃっていたと記憶しているけれど、英語しか読めないアメリカ人より、日本語も英語も読める日本人のほうがよっぽど世界に開けている。そのことを僕は最近まで理解できていなかったが、ようやく腑に落ちてきた。
韓国や中国はいまだにヒステリーの空気が大きな国である。韓国は医学の勉強を英語でやるそうだ。アメリカがインターネット時代に至ってもそのヒステリーを克服できないのは、「英語しかできない」ためではないかと(すくなくともそれが遠因の一つではないかと)思う。他者の言葉に耳を傾けにくいのである(英語しかできないから狭量なのか、狭量だから英語しか学ばないのか、という因果の順序はよく分からない。たぶん、どちらも相互的に働いているように思う)。韓国の医学については僕はほとんど知識がないけれど、韓国が英語で勉強している限り、逆説的ではあるが日本のほうがずっとアドバンテージが大きい。これはグローバリストの常識とは真逆なことを言っているのだけど、長期的にはそうなると思う。日本の医学は韓国やシンガポールやタイやマレーシアやタイに遅れをとっているが、急がば回れである。絶対に日本語という医学上のツールを放棄すべきではないと僕は思う。
繰り返すが、英語ができなくても良い、と言っているわけではない。医師たるもの、英語の文献が読めるくらいは「常識」であり、できないほうが非常識である。読める、とはジャーナルクラブに向けて「翻訳できる」という意味ではなく、日常診療で活用することを意味している。日本語という逃げ道がある中でなおかつ厳しく英語を勉強するのはつらいに決まっている。しかし、他に選択肢がない中で英語を勉強するよりもそれはずっと崇高で素晴らしい努力なのだ。だから、医師は死にものぐるいで英語を勉強すべきである。
日本語で医学をやることの世界的なアドバンテージは、それが「英語もできるよ」という部分を担保することによって「のみ」確保される。単に日本語だけであれば、それは鎖国的、閉鎖的、狭量でヒステリックな態度に過ぎない。英語か、日本語か、、ではない。英語も、日本語も、、である。正邪を語らず、二項対立に陥らず、安易にアメリカの法廷ドラマみたいな「Yes or no?」と言わないことが成熟である。日本はやはり少しずつではあるが成熟しつつあるのである(少なくとも、僕らの下の世代は)。
僕の意見は、「これからは英語だ」というダイハードなグローバリストにも、「日本には日本の伝統と文化が、、、」というダイハードなナショナリストにも受け入れられないと思うけど、特に僕より上の世代の人たちにもまったく受け入れられない可能性も高いけれど、それはそれでかまわない。Time will tell. 5年後に再会したとき、この話をもう一度しましょう。
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ウチダ本をがんがん読んでいる。
武道的思考 (筑摩選書)
武道的思考 (筑摩選書)
著者:内田 樹 | |
武道的思考はコンピレーションなのですでに既読の内容が多く、サラサラ読めた。身体性については理解が乏しかったのだが、ようやく納得、という感じで読めてきた。この勢いでメルロ・ポンティまでいける、、、かなあ。
9条どうでしょう
9条どうでしょう
著者:内田 樹,平川 克美,小田嶋 隆,町山 智浩 | |
少し古い本だが、これが最近読んだ中で一番面白かった。「日本辺境論」の源流であり、しかもこちらのほうがよりリアルである。
たぶん、発刊当時は読者にあまり理解されず、ヒステリックに解釈された可能性が高い。あるいは装丁からして「いつものウチダ本」と勘違いされている可能性がある。非常にハードな本である。後半は正直うーん、であるが、前半のウチダ、町山部分は実に面白い。
内田樹さんがブレイクしていると言うよりは、ぼくはここ数年日本人がとても成熟しつつあるのだと思っている。内田さんが10−20年くらい先を走っていて、ようやく僕らが、追いついてきたのである。ようやく内田さんの本が面白く読めるように日本人が成長してきたのだ。
自分の頭で考える、複雑なものを複雑に考える、単純化しない、白黒はっきりつけようとしない、グローバル・スタンダードのような「手垢のついた」キャッチフレーズに安易に飛び込まない、かといってアホみたいにナショナリスティックにならない、子どもっぽくならない、、、これがウチダ本を読むために必要な態度である。20年前、みんな子どもだったときには(僕も子どもっぽかったが)、だれも見向きもしないような本である。5年前でも厳しかった。今、ようやくである。ちなみに、サッカーのほうも偶然か必然かここ数年で急速に成熟が見られるのは興味深い。
そうそう、最近、中学校で教師が生徒を怒鳴りつけているのを見た。ふざけた態度を取っていたので、まじめに叱っていたのだ。小学校で順位付きのリレーや騎馬戦が復活している(前から残ってたの?)。よいことだ。
ノーベル化学賞のニュースでも大騒ぎしていたのはメディアくらいで、周囲は誠にクールであった。これもよいことだ。もちろん、科学に勤しむ日本人が増えることはよいことだが、それが「日本人がノーベル賞を取ったから」という理由では困る。ノーベル賞は結果であって目的ではないからだ。目的と結果の取り違えも、近年ようやく減少してきた。
ヒステリック・アメリカンな小児病をようやく日本は乗り越え、大人の感覚が萌芽しようとしている。喜ばしい限りだ。医療も教育もぼこぼこにされてようやく自分の脚で立ち上がろう、自分の頭で乗り越えようという気分になってきたのだろう。あとは司法、行政かな。小児病の克服は。
「9条」の本と言うだけで嫌がられそうだが、本書は絶対に買いである。
投稿情報: 07:04 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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そのレジデントノートに連載されている林先生のStep Beyond Residentの6巻がでた。とにかく膨大な情報量でいつも圧倒される。
ステップビヨンドレジデント 6 救急で必ず出合う疾患編 Pa
著者:林 寛之 | |
投稿情報: 11:46 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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亀田時代に感染症を研修していた加島先生が漢方の勉強法を研修医向けに書いている。漢方については加島先生の方が師匠筋で、僕もよく教えてもらいました(漢方については万年「初期」研修医状態で困っています。そろそろ腰を据えて勉強しないと)。
http://www.yodosha.co.jp/rnote/book/9784758105064/index.html
ちなみにこの号は讃井先生たちのICU特集、徳田安春先生のインタビュー(背筋伸びますよ)、金城光代先生の関節痛のまとめなど盛りだくさん。レジデントノートって軽い感じがするけど、忙しい1年目にはこういうさらりと読めるもののほうがお奨め。論文読む暇があれば患者を見に行った方がよい。オーセンティックなNEJMとかばりばり読むのは2年目からでよいと僕は思う(その代わり、2−5年目くらいは死ぬほど論文を読みまくった方がよい)。
投稿情報: 09:46 カテゴリー: 本、映画、その他 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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世界でもっともコストパフォーマンスの高い医療を展開するキューバにアメリカ人医師が入り、Scienceにポリシーステートメントをまとめている。アメリカの禁輸措置廃止を訴える論文はキューバ人には好意的に受け止められ、アメリカ人からは賛否両論であったという。
アメリカ医療のコストがおそろしく高い割にはパフォーマンスは悪く、ちょうどかの国の車のように燃費が悪い。キューバの医師はハイテク医療ができないため、アメリカ人医師よりも病歴聴取や身体診察により丁寧である(アメリカ人医師が診察が上手でない、というのは僕の昔からの見解だが、そのことはSapira先生の教科書とかにも書いてある。身体診察の重要性が強調されればされることは、彼の地でそれが「できていない」証拠なのである)。午前は患者をみて、午後はフリータイムなので往診をしてみたりする。
http://www.sciencemag.org/cgi/content/full/sci;328/5978/572?maxtoshow=&hits=10&RESULTFORMAT=&fulltext=Paul+K.+Drain&searchid=1&FIRSTINDEX=0&resourcetype=HWCIT
http://www.acphospitalist.org/archives/2010/09/cuba.htm
アメリカ人が外国の医療を語ることは希有なことだ。興味深く拝読した。
投稿情報: 14:39 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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