久々にIDSAに来ている。何年ぶりだろ。
今年はバンクーバー。人に会うつもりでトロントに行き、それが思わずかなわず、仕方ないので紅葉を見てからバンクーバーへ。気温は低いが思いの外、寒くはない。
最近、こういう学術集会でのお勉強をしていなかったので、大変に勉強になっている。毎年来る必要はないけど、ときどき来て知識のブラッシュアップをしておくことは大切だと思った。
確かに、最近はウェブで学会のハイライトをやってくれるのでお金と時間をかけてアメリカの学会に行く意義は薄れている。驚愕の新事実が飛び出す可能性も小さい。しかし、ぼんやりと把握していたことをしっかりと理解し直したり、周辺知識を追加したりするには有用だ。インタラクティブセッションは特に面白い。たとえば、CLSIの基準変更のいきさつ(変更そのものではなく)を勉強したり、FDAのそれとの違いを学んだりするのは、こういう場でないと難しい。
世界で一番膝の整形手術が美味いのは、北アイルランドの整形外科医
というジョークが、僕がイギリスにいた1991年にはあった。そのこころは、当時IRAのリンチの仕方が膝を銃で撃ち抜くからで、膝の手術をもっともたくさんやっているのがアイリッシュの整形外科医というわけだ。
アナロジーとして、幸か不幸か、僕がいる神戸の診療現場では耐性HIVが問題になることがほぼ皆無である。耐性に悩まされているタフな現場でHIVをやっているひとがこの話題に強い。なので、ときどきこういう「お勉強の場」でブラッシュアップしておかないと忘れてしまう。最新のテクノロジーの勉強も含め、それはとても役に立った。生のポール・サックスも拝見できてよかった。知識が頭からあふれ出すようなタイプで、非常に賢い人だと思った。あと、曖昧さを受け入れる度量もあり、がちがちのガイドラインや研究結果主義者でないことも素晴らしい。研究をどっぷりやっているから「こそ」研究のキャビアをよく心得ているのだろう。マルチプルチョイスでも複数アンサー有り、というのをよく理解していた。先日TBLを勉強したアメリカのファクルティーがシングル/ベスト/アンサーにこだわっていた(それは医療の現場ではほぼ皆無である!)のと対照的だ。どこにいっても優秀なドクターは本当に優秀で、そうでないひとはそれなりに(ふるい)なのだ。
内科研修医時代の懐かしいアテンディングに再会したり、この「ばったりであって」も学会の魅力だ。一番いけていなかった研修医時代を知るアテンディングに、今もまだ「生きている」ことを知らせることには意味がある。そういえば日本人が多くなったなあ。僕より年下で大活躍している人がたくさんいて、本当に心強い。がんばって早く僕らを追い抜いて、のんびり引退させてくださいね。
ポスターもさらりと見たが、日本の学会よりはずっとレベルが高く(日本は演題を半分にして良いから、もっと質を確保すべきだ。都会の大学病院の初期研修医と同じロジックで失敗している)、かといって全然手が届かないほどべらぼうにすごいのは少なく、ほどよくエンカレッジしてくれる。研究も頑張りましょう、と言ってくれているようだ。日本からの発表も多く、亀田からは山藤、山本、そして藤井(聖マリで藤谷先生と)と3つも出していた。他にも京都とか和歌山とか、いろいろなところから出ているようだ。在アメリカの日本の先生たちも結構発表している。臨床研究をがんばろうという気運が僕らが研修医だった頃より高まっている。僕らが研修医の頃は、研究なんかやる研修医は少し軽蔑の対象だったが、こういう空気を先行する成功者が前例を打破することで払拭してきた。沖縄にいたころの清山先生とかが実例だし、筑波の徳田先生がよいロールモデルになっている。名郷先生の本も後押ししている。臨床か研究か、ではなく臨床も研究も、だ。「あれか、これか」のロジックはことごとく、あらゆるところで破綻しているように僕には思える。「あれも、これも」だ。
今年は国際学会(マイアミ)にポスターひとつだったので、来年もどこかに何かを出したいと思う。聖路加の古川先生みたいに毎年出すことをノルマにするのは、本当にすごいと感嘆する。真似できへん。
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