昨年12月に出た本書だが、年末年始はアフリカに行っていたこともあってずっと積ん読状態になっていた。
いや、ちょっと言い訳だな。まあ、第1版は読んでたし、心臓についても「それなりに」勉強している。香坂本も全部そろえてるし、どうせ心臓の病気はそんなに多くない(感染症のほうがはるかに多い!)。少々甘く見ていたのである。
すみませんでした。カーディオロジーはやはり内科の王道、スターでした。4年も経てばがらっと進歩するものでした。感染症屋ごときは隅っこでイジイジしてろよ、、、とジャイアンの前ののび太の気持ちになりました。日本でもアメリカでも心臓屋>感染症屋の構図はおんなじで、アメリカなんかは露骨にそれが給料に反映されている。日本と違って評価の高さがそのまんま金銭で反映される社会なのだ。
だいたい、香坂先生は昔から無駄のない人である。たいていの心臓屋はてきぱきしているが、香坂先生のそれは群を抜いていて、内科研修医時代はアドミッションノートを書きながらディスチャージサマリーを書いていた(そのような経過をたどるはずだ、という見通しの正確さがそれを可能にしていることは言うまでもない)。そのムダを省いた人物が、必要もないのに本を改定するはずがないのである。「これも読まねばならない」という必然性はあるのだ。
タイトルに「極論」とあるが、僕的には王道のふつうの心臓の教科書で、これは河合先生の「神経内科」と同様である。ただ、「あとがき」によると「従来の循環器内科のテキスト」と優先度のつけ方が違うのだそうだ。日本のテキストを読んでいないので、そこが岩田にはわからない。でもわからなくても別に構わない。
このまえ、流し読みをしていた本で、海外の教科書で勉強していた研修医がワーファリンの量を間違えて失敗した(だから海外のテキストはダメ)、みたいなエピソードが書いてあった。一理ある。しかし、一理しかない。海外のテキストをそのまま日本に持ってくることはできない。どんなに優れた教科書であっても、それをそのまま目の前の患者にコピペ応用できないように。それは優れたテキストを読まなくてもよい、という意味ではなく、優れたテキストは前提であり、前提の先にもまだ道はある、ということだ。教科書を読まない医者は、まったく論外だということだ。
心配しなくても本書は海外テキストのコピペではなく、ちゃんと日本の事情を勘案している。しかし、「日本はこうなっている」という本でもない。それはそれで一種のコピペである。
「ところで最近、日本の学会からBNPの現場での使い方が発表されました。(中略)18.4から先をすべて経過観察、精査、あるいは専門医に紹介というのは、
そんなにたくさん専門医がいるのか?
というところが率直な感想で、専門医の学会が自分の首を締めているような気がします」(146p)
と、ちゃんとクリティークが込められている。
「日本ではなぜかARBが用いられることが多いのですが、世界的には断然ACEです。筆者にはよく理解できないのですが、なぜ同じ効能のクスリがあって、データがハッキリと出ていて安いほうを使おうとしないのでしょうか?最近バルサルタンの臨床試験のことでも一騒動ありましたが、それにしてもここまで圧倒的にARB>ACEという日本のマーケットは、安全性優先ということを差し引いても、少し異常です」(128p)
REACHとかカバーしていないデータもたくさんあり、心カテのわかりやすい説明もあり、門外漢にはまったく素晴らしい勉強の機会でした。とても読みやすいし、漫画も多いし、漫画ファンには嬉しいボーナスすらついています。
なお、
「ある病院で、感染症が専門の先生が着任したところ、IEの症例数がいきなり増えた」
というのはぼくのことです。
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