ヒトパピローマウイルス(HPV)は尖圭コンジローマという陰部などにイボができる病気、それから子宮頸がんの原因です。他にも肛門がんなどの原因にもなります。
これを予防するために開発されたのがHPVワクチンです。一般に子宮頸がんワクチンと呼ばれているのがこれです。子宮頸がんワクチンという呼称は科学的に妥当ではない、という意見もあるかもしれませんが、みなさんがよくご存知の名称のほうが分かりやすいと思います。ですから、本稿ではあえてこれを「子宮頸がんワクチン」と呼びます。
子宮頸がんワクチンは、がんの予防に有用だということで積極的にこれを勧める意見もあります。その一方で安全性に問題があり、副作用の観点からこれに反対する意見もあります。しかし、この問題に決着をつけるのが本稿の目的です。
最初に結論を申し上げておきます。現在、厚労省は定期接種である本ワクチンの積極的接種勧奨を一時的に差し控えました(2013年6月)。私も当時は「状況がはっきりするまではそのような一次的な差支えは妥当だ」と申しました(http://georgebest1969.typepad.jp/blog/2013/06/hpv%E3%83%AF%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%B3%E7%A9%8D%E6%A5%B5%E7%9A%84%E3%81%AA%E5%8B%A7%E5%A5%A8%E4%B8%80%E6%99%82%E4%B8%AD%E6%AD%A2%E3%82%92%E8%A9%95%E4%BE%A1%E3%81%99%E3%82%8B.html)。しかし、あれから3年経ち、積極的接種推奨は再開すべきだと考えます。
子宮頸がんワクチンは一定の割合で重大な副作用を起こします。その一方でこのワクチンはがんの予防という大きな成果ももたらすでしょう。全体としてはこのワクチンが積極的に活用されることで日本にいる女性の健康に寄与するところは大きいのが推奨すべき理由です。ただし、ワクチンのリスクについては予防と、不幸にして発生した場合のケアをしっかりと行っていくべきです。
これが本稿の結論です。先回りして述べておきました。では、なぜそのような結論が導き出されるのか、その理路をこれから説明します。非常に長くなります。
なぜ長くなるかというと、ワクチンの是非といった問題は安易な決めつけや思い込みで結論づけてはならないからです。断片的な、部分的な議論、一部のデータだけをもちいた検討もよくありません。よって、慎重で長い議論は欠かせないのです。
まず第一に、ワクチンを特権化してはならない、という議論をします。ワクチンを他の医療とは異なる特別な存在扱いにすると、議論を誤ります。
第二に、議論に立場性を持たせてはなりません。ある特別な立場から、自分本位の議論をすれば本質を誤ります。「〇〇の立場から」という言い方をしてはいけないのです。本問題はゼロベースではじめなければなりません。結論ありきの議論をしてはいけないのです。
個人の予防か集団の予防か、という点についても確認します。
最後に、医療の是非を論じる場合は、リスクと利益の両方を検討しなくてはなりません。どのようなリスクと利益がどのくらいの頻度で、そしてどのくらいの確度で起きているかを検討します。「確度」とは何かについては、追って説明します。リスクだけ、利益だけの検討では不十分です。
では、まずワクチンを特権化してはいけない、という点を論じます。
ワクチンは特殊な存在として、医療の他の方法と区別せよ、という考え方があります。
これは間違った考え方です。ワクチンは決して特別な存在ではありません。薬とか手術といった、他の医療のツールと同列に扱うべきです。
いや、薬や手術が病人に対して行われるのに対して、ワクチンは健康な人間に対して行なうものだ。だから同列に扱ってはならない。そういう議論もあります。しかし、これは間違いです。
第一に、現在病気の人に医療を行うのも、将来病人になるのを防ぐ(予防)のも、「人の健康を目的(アウトカム)とする」という観点からは同じだからです。よい治療は病気を直し、よい予防は病気を起こさないようにします。結果としてもたらされる人の健康という点では同じことです。だから、ワクチンは健康な人を対象に行なう予防的行為だから他の医療と同列に論じてはならないというのは、アウトカムから逆算すると間違いなのです。
ただし、予防と治療の違いはもちろん存在します。しかし、ここで思考停止に陥ってはなりません。大切なのは「どう違うのか」という点です。「違っているから同列に扱えない」というのは間違いです。違っていたって人の健康という共通アウトカムからは同列に扱えるのです。全ての医療行為には細かな違いがたくさんあるからで、違いがあるという理由で一般化を拒んではならないからです。予防という行いが治療と違う点があるのは当たり前であり、大事なのは「どのように」違っているかを理解することです。
そもそも、薬や手術だって予防目的に行われるのです。
アスピリンは血小板の機能をブロックする薬であり、心筋梗塞など血管を詰まらせる病気を予防するために飲み続けます。マラリアの予防にも薬を用いますし、最近ではエイズを予防するための予防薬(PrEP)という方法も用いられるようになりました。
特別ながんを起こしやすい遺伝子を持っている人には手術が予防的に行われることもあります。大腸がん予防のために大腸を切除したり、乳がん予防のために乳房切除をするのです。
「予防」と「治療」の線引は案外難しいものです。ツベルクリン反応陽性者に対するイソニアチド投与はかつて「結核予防」と言われていました。現在では潜伏結核という疾患の「治療」とされています。起きている現象が変わったのではありません。我々の視点と解釈と定義が変わっただけなのです。
糖尿病の治療も、高血圧の治療も、コレステロール(脂質異常)の治療も、肥満の治療も、いずれもが血管系の疾患その他の「予防」と解釈することができます。だから、血糖が下がるだけで血管などの病気を予防しない薬は「良くない薬」とされるのです。血糖を下げることが目的ではないからで、そういう観点からは上記の薬は全て「予防薬」です。
アスピリンは、俗な言葉で言えば「血液をさらさらにする」薬です。だから血管が詰まるのを予防するのに役立つわけですが、それゆえに出血のリスクが伴います。アスピリンを予防的に用いるのはアスピリンがリスクのない薬だからではありません。出血などのリスクをはるかに上回る「心筋梗塞などの予防」というアウトカムが得られるから、相対的に「そっちのほうが得」になるのです。
ただし、心筋梗塞のリスクが小さい人に対しては、アスピリンの副作用のリスクのほうが相対的に大きくなってしまいます。だから、そういう人には飲まないほうがよい、ということになるのです。糖尿病の薬、高血圧の薬、すべての薬には一定の割合で副作用が起きます。痛風発作の予防には尿酸を下げる薬を使いますが、尿酸を下げる薬にも一定の副作用が起きます。だから海外では尿酸が高いだけ(痛風が起きていない)患者には薬の使用を推奨していません。
マラリアの予防薬、エイズの予防薬、どちらもリスクが高い人には大きな利益をもたらしてくれます。薬そのもののリスクはありますから、例えば日本のようにマラリアのない国に住みながら薬をのむのは理にかなっていません。エイズは性感染症ですから、感染リスクのない方が薬をのむのも理にかなっていません。マラリア予防薬、エイズの予防薬の副作用のリスクのほうが大きくなってしまいます。手術もときに合併症を起こしますから、これだってリスクがないわけではありません。
このように医療行為は全てリスクを伴うものです。予防においても例外ではありません。ワクチンにおいても例外ではありません。したがって、問題は「リスクがあるか、ないか」ではありません。リスクはあるに決まっているからです。大切なのは、どのようなリスクがどのくらいあるか。そして得られる利益はそのリスクに見合ったものなのか、ということです。利益が十分に大きければ、医療のリスクがあったとしてもその医療行為は正当化されます。
予防か治療かというのは「人の健康」という大きな目的のもとではあくまでも相対的な違いに過ぎません。そして、ワクチン以外の医療行為にも予防的に用いられているものは多く、ワクチンだけが特別な存在ではないのです。
以上のことから、ワクチンが予防のために健康な人に用いられるということはワクチンを決して特権化し、特別視させる根拠にはならないことが分かりました。ワクチンはあくまでも「医療行為の一つの選択肢」に過ぎません。色眼鏡をかけず、そのような選択肢として、医療全体の見方(パースペクティブ)でワクチンを考えなければなりません。
ただし。予防的な医療と治療的な医療の違いについてもここで検討しておく必要があります。
一つは、病気にかかった方が何らかの治療を受け、その副作用で苦しんだ場合は、その苦痛は相対的には小さくなるということです。健康な方が副作用で苦しむ場合はより苦痛が大きくなるのです。
わかりやすく、数値化します。
病気にかかった苦痛を例えば10という数字に置き換えましょう。苦痛は正確には数値化できませんから、ここでは「例えば」の話です。もし医療行為の副作用でさらに10の苦痛が生み出された場合、その苦痛は20になります。
さて、健康な方が予防的な医療を受け、副作用でやはり10の苦痛が生じたとしましょう。前者の場合も後者の場合も、与えられた苦痛は10なので、絶対的な苦痛の量に違いはありません。
しかし、相対的には異なります。前者の場合、苦痛は10から20になったので、その苦痛は相対的には五割増しなのです。しかし、後者の場合はゼロだった苦痛が10になったので、その苦痛の相対的な苦痛増加の割合はずっと大きくなるのです。もしかしたらその予防行為で将来の病気のリスクがなくなっていた可能性もありますが、経験しなかった苦痛は勘定には入らないのです。
人間は冷徹に論理的に苦痛や快楽を認識しません。絶対的には治療も予防もリスクのあり方は同じなのですが、相対的に感じると、そうとは認識できないのです。このような心理的な認識の仕方が間違っているという考え方もあるかもしれません。しかし、多くの方が主観的にそのように感じる、という事実がある以上、その事実そのものを否定するのは妥当とはいえないのです。なにしろ、苦痛というものそのものが主観なのですから。
もう一つ、予防的医療と治療的医療の大きな違いがあります。
それは、予防的医療に参加した人のほとんどには「何も起きない」という一点です。
病気の人が治療を受ければ、その結果は大きく分けると、「治る」か「治らない」かです。しかし、予防の場合、
「病気が予防できずに病気になる人」
「予防の副作用で苦しむ人」
はどちらも少数派で、大多数の人は
「何も起きない人」
になります。「何も起きない人」のなかには病気が予防されて得をした人もいるかもしれませんが、その実感は得られません。だれが得をしてだれが無関係な人だった(予防効果もなく、病気にも偶然ならなかった)かを言い当てる方法もありません。
このことは、予防的医療の効果を実感することが難しい、ということを意味しています。そして、少数の「予防にもかかわらず病気になった」人は予防が効かなかったと恨みに思うでしょう。「予防の副作用で苦しむ人」も当然そう思うでしょう。感情的には予防的医療は割にあわない行為なのです。
予防と治療は「人の健康」という大きなアウトカムの観点から見ればどちらも同じ目的を持った「手段の違い」に過ぎません。しかし、予防には上記のようにポジティブな感情が起きにくく、少数の人には大きなネガティブな感情が起きてしまいます。治療の場合でもネガティブな感情が伴うことがありますが(病気が治らないとか、治療の副作用とか)、逆に「病気が治った」というポジティブな感情も伴いますから、感情面で両者は大きく異なるのです。
しかし、「じゃあ、やはり予防より治療のほうがいいのだ」と思ってはいけません。
なぜならば、上記はあくまでも感情の問題だからです。実際に得られる医療のアウトカムと感情の問題は分けて考えなくてはなりません。
分けて考える、というのは感情面を無視しろ、という意味ではありません。ごちゃごちゃに扱うな、という意味です。予防にしても治療にしても、そのリスクと利益を勘案するときは冷徹に論理的に、感情的にならずに論じなければなりません。感情問題を扱うのは、その次です。
それに、感情問題を扱うならば、もう一つのグループの存在を忘れてはいけません。
「予防されずに、病気で苦しんだ人々」です。
本来ならならなくてよい病気にかかり、苦しんだ人々の苦痛。その感情面にも等しく配慮する必要があるのです。だから、「予防なんて必要ない」なんて軽々しく口にしてはいけません。感情問題については、誰に対しても等しい配慮と眼差しが必要です。
次に、ワクチンに立場性を持たせてはならない、という点を論じます。
ワクチンは医療行為の一つの手段に過ぎません。医療の目的は「人の健康」です。その大きなアウトカムが目標であり、その点において我々はどのような立場であっても大きな反論はないはずです。
もちろん、「人の健康」は価値の一つではありますが、価値の全てではありません。医療にあまり巨大なお金がかかりすぎたり、自然環境を破壊したり、他の動植物の生存を脅かしたり、あるいは健康のために人々の自由や人権や尊厳を脅かされることはあってはならないかもしれません。しかしながら、そういう留保条件をクリアできれば「人の健康」がもたらすものはとても大きいものです。だから、ワクチンの問題も「人の健康」に寄与しているか、がポイントになります。
最初から「ワクチンはよくない」という結論ありきの議論をしてはいけません。ワクチンを政治化すると、事の本質を見誤ります。同様に、「ワクチンはよい」という決め付けも同じ根拠で間違いです。
立場を作ってしまうと、自分に都合の良いデータばかり引用し、都合の悪いデータを無視したり矮小化するようになります。そのときはワクチンの利益とリスクを正当に吟味できません。
もちろん、人から立場を奪うことはできません。ワクチンの議論にはワクチンを作る人、使う人、接種される人、接種の副作用で苦しんだ人、接種されなくて苦しんだ人、いろいろな立場があり、その立場をゼロにするのはとても困難なことでしょう。
しかし、より大きな「人の健康」という大きなアウトカムをベースに議論するのが大事です。自分の立場を可能な限り廃して、「自分の立場でなくても同じように考える」ように考えられるかが大事です。
よって、半ば宗教的にワクチンがよくない、という結論ありきの個人や団体はワクチンを論じる資格はありません。彼らが論じているのはワクチンへの好悪であり、ワクチンの是非ではないからです。
是非と好悪を区別するのは大事です。感情問題とそうでない問題を区別するのが大事なように。ワクチンの副作用で苦しんだ方や、ワクチンがなくて苦しんだ方にそれを強いるのは酷だという意見もあるでしょう。私もそういう方々が感情問題を完全に切り離せ、と主張するつもりはありません。しかし、せめてそのような直接の被害に合っていない人間たち、とくに専門家や官僚たちは、私心を廃し、立場を捨てて、「人の健康」というアウトカムをしっかりと見据えてこの問題を検討しなくてはなりません。
さて、もう一点確認しておきます。予防接種には個人防衛と集団防衛、という考え方があります。やや混乱されている観点ですので、私なりに少し大胆にこの混乱を解決しておこうと思います。
解決策は簡単です。基本的に予防接種は個人防御が基本です。一般の方は「それだけ」と思っていただいて構いません。
集団防衛は、個人だけでなく集団での病気の予防を目指すものです。もちろん、予防接種には集団防衛をもたらすことはありますし、専門家のレベルでは集団防衛の有無は大切な観点です。しかし、接種を受ける方々の目指すところは「私が病気にならないこと」です。それだけ、です。子宮頸がんワクチンの目標も、接種を受けた人が病気にならないことです。それだけです。
よって、子宮頸がんワクチンの命題は「ワクチン接種を植えた本人」がそのワクチンからどれだけの利益と不利益を受けるのか、というその一点に絞られます。
さて、議論の前提については検討しました。これから子宮頸がんワクチンの利益とリスクを検討します。最初は「利益」に関するものです。
現在、日本には4種類のHPVに効果があるガーダシル、2種類のHPVに効果があるサーバリックスの2つがあります。海外ではこの他に9種類のウイルスに効果があるGardasil 9があります。ガーダシルもサーバリックスも子宮頸がんの原因であるHPV 16と18をカバーし、ガーダシルは尖圭コンジローマ(いぼ)の原因となるHPV 6, 11もカバーします。海外では男性の生殖器にできる尖圭コンジローマ(いぼ)や肛門がんの予防にも用いられています。男性にも接種するんですね。
しかし、ここでは女性に対するワクチンの効果だけを検討します。
現在、HPVワクチンが子宮頸がんの発生やその死亡を減らした、という確たる証拠はありません。あるのは間接的な証拠だけです。
ガーダシルの効果を示した、子宮頸がんに限定したランダム化比較試験は1つあります(他にもスタディーはたくさんありますが、必ずしも子宮頸がんに限定していないアウトカムも設定しているので今回は割愛します)。
15歳から26際の女性にガーダシルを接種し、プラセボを摂取した群と比較します。12167人が参加したこの研究では、CIN(cervical intraepithelial neoplasia) grade 2か以上が発生するか、です。CINは子宮頸がんの「前癌状態」と考えて良いと思います。
3年後には病変がでたのは3.6% vs 4.4%。ワクチン効果(vaccine efficacy)は17%でした。HPV16と18に限定すると、1.4% vs 2.4%でワクチン効果は44%でした。注射部位での痛みは84.4% vs 77.9%。全身に症状が見られたのが61.4% vs 60%でした(Group TFIS. Quadrivalent Vaccine against Human Papillomavirus to Prevent High-Grade Cervical Lesions. New England Journal of Medicine. 2007 10;356(19):1915–27)。
サーバリックスについては18,644人の15-25歳の女性を対象にしたランダム化比較試験です。こちらではHPV16か18に関連したCIN2かそれ以上の発生率が0.026% vs 0.268%でした(p<0.0001)。ワクチン効果は90.4%でした(Paavonen J et al. Efficacy of a prophylactic adjuvanted bivalent L1 virus-like-particle vaccine against infection with human papillomavirus types 16 and 18 in young women: an interim analysis of a phase III double-blind, randomised controlled trial. Lancet. 2007 Jun 30;369(9580):2161–70)。
その後システマティックレビューが発表され、16歳以上を対象にした13のランダム化比較試験で4年後のCIN2かそれ以上のリスクは下がっていました(相対リスク0.54, 95%信頼区間0.44-0.67)。さらに14の研究を検討した結果、重篤な有害事象はプラセボ群と差はありませんでした(43,342人を対象 Couto E, Sæterdal I, Juvet LK, Klemp M. HPV catch-up vaccination of young women: a systematic review and meta-analysis. BMC Public Health. 2014;14:867)。
これらの研究から、子宮頸がんワクチンが前癌状態のCIN2かそれ以上を減らすと結論できます。ただし、その後の子宮頸がん発症やその死亡の予防については確たるデータがありません。
CIN2は自然に治ることもありますが、5%が侵襲性のがんに進行します。CIN3の場合は12-40%が侵襲性のがんになります(UpToDate Cervical intraepithelial neoplasia: Management of low-grade and high-grade lesions)。このような事実から類推すれば、将来的にはがんの予防に寄与するだろう、というのが推奨の根拠となっています。
子宮頸がんワクチン接種は11〜14歳、セックスを開始する前に接種することが推奨されています。子宮頸がん発症は大人になってからなので、その減少を確認するのはずっとあとになるのです。
やはりがんを予防するワクチンにB型肝炎ワクチンがあります。B型肝炎ワクチンは肝炎、肝硬変を予防することで知られていますが、発症に時間のかかるがんの減少を立証するのにはとても時間がかかります。台湾の研究で、B型肝炎ワクチンが小児の肝細胞がん減少をもたらす効果が示されています。80年代からスタートした定期接種が小児の肝細胞がんを減らす効果を認めたのは10年以上経ってからのことでした(Chien Y-C et al. Nationwide hepatitis B vaccination program in Taiwan: effectiveness in the 20 years after it was launched. Epidemiol Rev. 2006;28:126–35, Chang C-H et al Secular trends were considered in the evaluation of universal hepatitis B vaccination in Taiwan. J Clin Epidemiol. 2015 Apr;68(4):405–11)。しかも、肝細胞がんの多くは成人で発症します。その減少を確認した証拠はまだありません。
しかし、ここまで情況証拠が揃っていれば、成人の肝細胞がんも予防してくれると考えるのがもっとも妥当な結論です。B型肝炎ウイルスの感染予防はワクチンによってもたらされ、このウイルス感染がなければ、B型肝炎関連の肝細胞がんは発症し得ないからです。原因微生物なしでは、その微生物の感染症は発症し得ないのです。「小児のB型肝炎ワクチン接種では成人の肝細胞がんは予防できない」と考えるのは、かなり無理があります。
すでにデンマークなどで、CIN3や局所の腺癌がワクチン接種群で減っているという疫学データが出ています。子宮頸がんワクチンが(少なくともワクチンがカバーするウイルスを原因とする)子宮頸がんを減らすのは、まず間違いないと考えるのが妥当でしょう(Baldur-Felskov B et al. Trends in the incidence of cervical cancer and severe precancerous lesions in Denmark, 1997-2012. Cancer Causes Control. 2015 Aug;26(8):1105–16)。
もちろん、非常に懐疑的な立場にたてば「そのようなことはまだ証明されていない」と反論できます。しかし、少なくとも医学においては確実に証明されていることなどほとんど存在しないのです。あるのは「確度と妥当性の高さ」であり、100%のデータというのは生き物である患者を扱う限り、なかなか存在しないものです。
例えば、子宮頸がんについてはがんのスクリーニングが推奨されていますが、このスクリーニングが子宮頸がんの死亡を減らすという確実なデータ(例えばランダム化比較試験)はほとんどありません(Peirson L et al. Screening for cervical cancer: a systematic review and meta-analysis. Syst Rev. 2013 May 24;2:35)。しかし、現存する後ろ向き研究などは一貫した効果を示しており、米国では子宮頸がんの発生や死亡がスクリーニングで半分以下に減らしたであろうと推測されています。
もっと懐疑的な人たちは、「子宮頸がん治療の副作用で亡くなる人もいるのだから、「子宮頸がん死亡率」ではなく「全死亡率」で議論しなければダメだ」という人もいます。それは学問的にはたしかに事実かもしれませんが、全死亡率を減らすような医療というのはなかなかないものです。自動車事故など、関係ない理由で死亡した人たちも全部勘案して、その死亡率を減らすのはものすごくハードルが高いからです。いずれにしても、現時点では子宮頸がんスクリーニングが人の健康に悪い影響を及ぼすというデータはなく、よって(確実な「エビデンス」は少ないものの)子宮頸がんスクリーニングは推奨されています。
それに「実証されていない」を根拠にワクチンやスクリーニングを否定するならば、後述するHANSなどはもっともっと確度の低い仮説であり、「子宮頸がんワクチンの効果は科学的に実証されていない」と主張するならば「ワクチンでHANSが起きる、はもっと実証されていない」と結論付けなければフェアとはいえません。
次に、子宮頸がんワクチンのリスクについてです。
有害事象についての研究もあります。重症のアレルギーであるアナフィラキシーは10万人あたり2.6人、失神が8.2人、他にもギランバレー症候群や横断性脊髄炎といった重篤な事象の報告もあります(Arnheim-Dahlström L et al. Autoimmune, neurological, and venous thromboembolic adverse events after immunisation of adolescent girls with quadrivalent human papillomavirus vaccine in Denmark and Sweden: cohort study. BMJ. 2013 Oct 9;347:f5906)。ただし、これは接種後に起きた事象ですので、因果関係を示したものではないことに注意です。
HPVワクチンとA型肝炎ワクチンを比較した平均12歳の2067人を対象にした研究では、重篤な有害事象発生率は1% vs 1.2%で差が見られませんでした(Medina DMR et al. Safety and immunogenicity of the HPV-16/18 AS04-adjuvanted vaccine: a randomized, controlled trial in adolescent girls. J Adolesc Health. 2010 May;46(5):414–21)。これは最初の接種から7ヶ月間フォローしたものです。
10から17歳のデンマークとスウェーデンの99万7千人の女性を2年間追跡した分析では、ワクチン群と非ワクチン群では自己免疫疾患などの合併症に差が見られませんでした。多発性硬化症のような脱髄疾患についても差が出ずです(Scheller NM et al. Quadrivalent HPV vaccination and risk of multiple sclerosis and other demyelinating diseases of the central nervous system. JAMA. 2015 Jan 6;313(1):54–61)。
また、重篤ではない、注射部位の痛みはプラセボよりも強いことはわかっています。これは日本のデータでも同様です(http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000032bk8-att/2r98520000032br2.pdf)。
ワクチンの有害事象は新規のワクチンでは報告されやすく、その後時間を追うごとに減少していく(Weber効果)と言われていますが、日本のデータによると新規に導入された諸ワクチンと比較しても子宮頸がんワクチンの副反応発生率は高いです。Weber効果だけでは説明がつきません。子宮頸がんワクチンは副反応が発生しやすいワクチンだと考えるべきでしょう。接種年齢が違うことによるバイアスを指摘する人もいますが、乳幼児がワクチン接種後に苦痛があれば我慢しないでしょうから、過小評価になる可能性は低いと考えます(思春期以降であれば我慢して隠す可能性はあると思います)。
厚労省のデータによると複合局所疼痛症候群(CRPS)の発症頻度は860万接種に1回と言われています(http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou28/qa_shikyukeigan_vaccine.html)。当初注目されましたが、非常に稀な現象といってよいと思います。
西岡久寿樹氏などが提唱するHPVワクチン関連神経免疫異常症候群(HANS:ハンス症候群)と呼ばれる現象があります。彼の説明によると以下のとおりです。
「まず、全身疼痛に始まり口内炎、記憶障害、関節炎、学力低下、自律神経障害、睡眠障害などの様々な症状を発症し、その診断に苦慮した医療機関から若年性線維筋痛症、心身反応、心因性疼痛、小児うつ病などの病名で種々な医療機関を受診している。
一方、前述した副反応検討委員会は驚いたことにHPVワクチン接種後副反応の調査を接種後30日間しか実施しておらず、その後に生じる重大な副反応はほ とんどの症状が既存の疾患に当てはまらないことからその全てを「心因性」とし、本年1月に副反応は「心身反応」であると結論づけ公表した。しかし、我々の 予備調査では、重篤な副反応が接種後平均して8.5か月を経過して発症しており、中には、第1回接種から39か月後に徐々に重篤な副反応の症状が進行して いる症例もあり、HPVワクチン接種後副反応は、接種後かなりの時間を経過しても発症することが明らかとなった」
(http://gunma-hoken-i.com/policy/4954.html)
私は西岡氏の見解は科学的ではないと考えます。HANSが接種後平均8,5ヶ月を経過して発症した、なかには39ヶ月後に発症した、とありますが、ではなぜそのような長い時間が経過したものを
「ワクチンのせい」と結論付けられるのでしょう。もしかしたら発症前に食べた食事のせいかもしれないではありませんか。
もしワクチンのせいでHANSが起きたのであれば、「ワクチンを打たなかった群」との比較が必要です。人間はワクチンをうち、かつ打たないということはパラレルワールドでもない限りは不可能ですから、「他所との比較」以外に証明のしようがないんです。ワクチンを打ったーー>HANSが起きた、はそれが「前後関係」なのか「因果関係」なのかを区別できません。前述のように接種後2年間、100万人近くの女性をフォローした研究でもワクチン接種群での差は見られませんでした。西岡市の主張はあまりにも科学性を欠いていると言わざるをえません。西岡氏が観察する患者の症状が嘘だと言っているのではありません。彼女たちは本当に苦しんでいるのでしょう。しかし、それがワクチンのせいだと断ずるには根拠が不十分だと申し上げるのです。
しかし、私はもう少しこの議論を深めたいです。もしかしたら、西岡氏が観察した「HANS」はワクチンのせいなのかもしれない、と。少なくともその全員ではなくても、そういう人もいるだろうと。
なぜならば、わたしも西岡氏が観察するような患者をよく診療しているからです。まだ子宮頸がんワクチン接種後の患者はみたことがありませんが。痛みやつらい経験をきっかけに、同様の症状が見られるようになるのです。
それはDSM-5の分類によると「身体症状症somatic symptom disorder」とか、「転換性障害conversion disorder」と呼ばれるものです。
すでに述べたように、子宮頸がんワクチンは局所の痛みを起こしやすいワクチンであることは知られています。日本での「副反応」が多いことも知られています。もしかしたら日本人女性のほうが海外よりもより痛みを感じやすいのかもしれない。そこは分かりませんが、このような苦痛の体験の後に、身体症状症や転換性障害が発症することは理にかなった説明だと思います。副反応検討部会が「心身反応」と称したのはこのことでしょう。西岡氏は副反応検討部会の「心身反応という結論」はあまりに臨床の現場を知らず、と批判しますが、臨床現場ではよく見られる現象なのです。
もっとも、これはあくまで私の仮説です。将来医学研究が進歩すれば、西岡氏の主張する説がただしく、脳科学的な現象としての「HANS」という疾患概念が確立されるかもしれません。
西岡氏の主張は科学的な妥当性を欠いています。なので、現時点ではこれをそのまま信じることはできません。しかし、それは西岡氏の主張が間違っていると証明するものでもありません。科学(医学)は多数決ではなく、権威ある団体や学会や専門家が付与するものでもありません。現在の定説が将来ひっくり返されることなんて日常茶飯事です。だから、私は西岡氏が間違っていると結論はつけません。科学的な議論ができていない、と申し上げているだけです。
いずれにしても、医学は現時点で存在するデータを最大限活用し、患者にベストを尽くす「誠実さ」が必要です。現時点で分かってないことを根拠に患者診療を行うのはよくありません。動物実験レベルの薬や、仮説レベルにすぎない学説を現場の診療に用いるのは非倫理的です。西岡氏の説は「仮説」のレベルを越えていません。よって「子宮頸がんワクチンがHANSの原因である」と決めつけて、それを現場に応用するのは間違いです。
しかし、さらに私は考えます。HANSという疾患が実在しようと、それが身体症状症や転換性障害であろうと、いずれにしてもワクチンを遠因(トリガーといってもよいでしょう)とした有害事象です。ですから、これをワクチンの副作用と(さしあたり)認定するのは(少なくとも、そう診断できる患者であれば)妥当だと思います。
実際診療すればわかりますが、身体症状症や転換性障害は難治性で患者をとても苦しめる疾患です。周囲が理解してくれない、医療者すら理解が足りないこともその苦痛を増しています。「心身反応」であるか否かとは関係なく、患者の苦痛を矮小化してはならないと思います。
身体症状症や転換性障害といった診断名は決して患者を軽んじたり、軽蔑するものではありません。正式な、診療と治療を必要とする疾患です。患者や家族も精神科領域の疾患だと言われると怒りを感じる方もおいでですが、私は病気にこのようなカテゴリーによる優劣をつけるのは間違いだと思います。診断名が変わっても苦痛は同じです。問題を矮小化されたと感じる必要はありませんし、そのような見方は身体症状症や転換性障害に苦しむ人たちに失礼ですらあります。
日本の医療者は検査偏重主義な傾向があり、検査に異常がでないと患者を無視したり、診療をやめてしまう医師すらいます。しかし、世の中には検査で異常が出ない、あるいは特殊な検査でないと見つからない病気はたくさんあります。西岡氏が専門とする線維筋痛症などはその典型です。しばしばこうした疾患は見逃されてもいます。
HANSという疾患が存在するか否かは将来の医学が決着をつける問題です。現時点の医学と医療が行なうべきは、「心身反応」と問題を矮小化せず、それもまたワクチンがもたらした苦痛なのだと誠意を持って対応することです。
すでにこの問題は患者家族が国やワクチンメーカーを訴えるという事態になっています。これまでもワクチンに関する訴訟はたくさん行われてきました。不幸なことだと思います。
アメリカではワクチンでのインフォームドコンセントや有害事象の報告、そして有害事象に苦しむ方の救済制度ができています。ワクチンメーカーへの訴訟もルールに基づいており、なんでもかんでも訴訟してはいけないことになっています(http://www.historyofvaccines.org/content/articles/vaccine-injury-compensation-programs)。ワクチンで一定の割合で有害事象が起きるのは事実であり、そのたびに企業や国を訴えていても問題は解決せず、結局苦しむのは国民だからです。有害事象が起きるという前提でその発見や研究、そして救済する制度が必要なのです。
アメリカでは子宮頸がんの発症率も死亡率も減少しています。(証明はされていませんが)スクリーニングによる前癌状態の治療のおかげだと思います。しかし、それでも毎年多くの方(4千人以上)がアメリカで、あるいは他の国でも子宮頸がんのために死亡しています。日本も同様で、毎年2千人以上、おそらくは3千人程度の方が(子宮がんというカテゴリーでカウントされていない患者がいるため)子宮頸がんのために亡くなっていると推測されます(http://minds.jcqhc.or.jp/n/medical_user_main.php http://www.cancer.org/cancer/cervicalcancer/detailedguide/cervical-cancer-key-statistics)。
子宮頸がん予防を完全にする「単一の方法」はありません。スクリーニングだけではだめなのです。アメリカでは検診受診率は日本のそれよりずっと高いですが、それでも6割程度です。定期的ながん検診は物理的に大変ですし、精神的な苦痛や羞恥心も伴います。スクリーニングだけで全てが解決するわけではありません。コンドームの適切な使用やセックスパートナーのあり方などを含む性教育も重要です。精神的な苦痛といえば、がんだけでなくCINが見つかっても患者には心理的なストレスが生じるという研究もあります(Frederiksen ME et al. Psychological effects of diagnosis and treatment of cervical intraepithelial neoplasia: a systematic review. Sex Transm Infect. 2015 Jun;91(4):248–56)。ワクチンでCINそのものが発生しないようにすれば、このような苦痛は減らせます。
よって、子宮頸がんは複数の手法を組み合わせて総合的に対策しなければならないことが分かります。ワクチンもその選択肢の一つなのですね。そのようなone of themとしてワクチンを扱うべきです。
有害事象が生じた場合の救済制度の充実や、患者のケアの他にもできることはあるかもしれません。
わたしは、予防接種の利益やリスクは「本人」が十分に情報提供を受けているべきだと考えます。推奨されている11−14歳ではまだ十分な理解が得られないかもしれません。「若者の性」白書によると、日本の中学生の性交経験率は5%以下。高校生でも20%程度です(2011年)。要はセックスを始める前に予防接種が完遂できればよいのですから、人によっては時間をかけて、十分な理解を得たうえで、少し年齢が上がってからワクチン接種でも良いと思います。十分な理解は恐怖と苦痛を和らげてくれるでしょう。本人が十分に理解納得できていないのに無理な接種はよくありません。
接種しない、という選択肢を残してあげるのも大切です。子宮頸がんの予防は大切ですが、健康の価値観は人によって様々です。ワクチンの利益とリスクは計算できますが、その価値の大小は個人個人の問題です。勧奨と強制は同義語ではありません。両者を混同するから議論が混乱するのです。推奨しても、やらないという選択肢はあってもよいのです。
現存する「定期接種」のワクチンはすべて接種拒否は可能です。信条的な理由、宗教的な理由。いろいろな理由で予防接種を拒否する権利は我々にあります。我々には「健康に生きない」権利すらあるのです。医療や医療者のエゴで健康を押し売りしてはいけません。
逆に、健康はすべての人に与えられた権利です。ワクチン接種が困難になることは、大切な医療方法へのアクセスを制限することになります。だから積極的推奨は再開すべきなのです。推奨する、しかし強制はしないというのが成熟した国家が提供するあるべき医療サービスの姿です。
そしてその前提にあるのは十分で両面的で、バイアスのかかっていないデータ開示、情報提供です。裁判を起こさなくてもワクチンをきっかけに苦しんでいる人々を救済するのも大切です。
子宮頸がんワクチンをどう考えるか。このように私は総括するのです。
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