6月12日に行われたリスコミ・シンポが本になりました。11月1日発売です。
とても面白いです。ぜひお読みください。「はじめに」をここに再掲します。
はじめに
東日本の震災が勃発したあの日、僕は自分に何ができるか、何をすべきか考えました。ぱっと思いついたのが、
ヒト
モノ
カネ
でした。つまるところ、物理的な現象である震災に対してパワフルなアイテムというと、この3つかなと考えたのです。
身もふたもないと難じられるかもしれません。心の問題とか、減災のための研究とか、ほかにも考えることはたくさんあるでしょう。でも、まずはヒト、モノ、カネだと僕は思いました。そのような物理的な基盤があって初めて人間は次のステップに行けるのだと思ったからです。サッカーにおいて90分走る力がなければ、技術や戦術をいくら語っても意味がないように(そして、そのことは技術や戦術の価値を貶めているわけではありません)。これが、病気という人間の根源的なリスクと取っ組み合う医者のリアルな思考パターンです(少なくとも、僕にとっては)。
で、僕はまずモノとカネから行こうと思いました。現地に行って災害医療を行うというアイデアはすでに多くの献身的な医療者たちが考えるだろうと思ったからです(実際、多くの方が現場に駆けつけました)。僕はまず全力で医薬品の入手して現地に送ることに没頭しました。
次は、カネだ。というわけで思いついたのが今回のシンポジウムです。内容より先にカネのことがアタマにありました。本当にすみません、身もふたもなくて。
リスクとコミュニケーションは僕の専門分野の一つです。これをテーマにチャリティー・シンポジウムをやろうと考えたのが、3月13日。内田樹先生からシンポジウム参加にご快諾いただく旨のメールをいただいたのが同日でした。その後、シンポジストの人選を行い、あれやこれやの準備を行って、6月12日の開催となりました。本書はこのときのシンポジウムをまとめたものになります。当日は200人以上というたくさんの人たちがおいでになり、大盛況のうちに(自分で言うのも何ですが)シンポジウムは幕を閉じました。そのときの様子はYouTubeでもご覧いただくことができます。
そんなわけで、もう少しカネの話をします。本書の「印税」に相当する額は東日本大震災支援のための寄付金に充てられます(僕も含めてシンポジストは、ボランティア・ワークです)。というわけで、本書を書店で手に取って今ご覧になっているあなた、ぜひお買い求めになってください♡
シンポジウム以来、ずっと寄付金も募集しています。本書をご覧になってぜひ◦円振り込んでやろうというあなた。僕は決してあなたを引き止めたりしません。
【振込先】
三井住友銀行神戸駅前支店 普通313-7857543
チャリティシンポジウムリスクコミュニケーションダイヒョウイワタケンタロウ
さて、カネの話をひととおりしたところでようやく本来の「はじめに」のファンクションである内容の話をします。
地震にしても、津波にしても、放射能にしても、リスクを語る時、僕が大切にしたいことがあります。それは、
1.問いの立て方
2.口調
です。
問いの立て方は大切です。
原発は正しいか?
は適切な問いとは言えません。このようなイエス・ノー・クエスチョンはちょっと乱暴な感じがします。さらにぶっちゃけていえば、やや幼稚な感じがします。問いの答えはイエスか、ノーかの2つだけだからです。二択問題。これは典型的な思考停止のパターンです。それに、こういう問いをすると、「イエス派」と「ノー派」の二項対立を生むだけで、クールで生産性のある対話ができません。こういうディベートチックな討論はあまり好きじゃない。それに、「正しいか」という問いは、おおむね文脈依存的です。おそらくはその「正しさ」の意味によってこの問いに対する解はさまざまなものとなりましょう。こういう命題からは、うまい答えが出てこないように僕は思います。
ですから、僕がもしこのような問題を扱うのであれば、
もし、原発が許容されるとしたらそれはどのような条件下であるべきか
のほうがよいと思います。これならば、親原発であれ、反原発であれ、脱原発であれ、それなりに対話ができるのじゃないだろうかと思うのです。
口調は大切です。怒鳴ったり、わめいたりする口調からは納得も理解も生じません。かといって魂のこもっていない上滑りするような口調もよくないと思います。菅直人首相、、、てこの本がでることは別の首相になっているんだろうな、、、の言葉の最大の問題点は、その内容よりも「口調」にあったんじゃないかと僕は想像しています。その口調は、上っ面だけをなぞるような、芯を感じられない口調でした。
そんなわけでリスクとコミュニケーションを主題に命題の立て方、そして口調に着目しながらシンポジウムを開催しました。内田樹さん、藏本一也さん、鷲田清一さん、上杉隆さん。各シンポジストはそれぞれ個性的な命題の立て方、そして独特の口調をお持ちだったと僕は思います。今、見直してもとても貴重な、興味深いシンポジウムでした。このようなワクワクする知的体験、みなさんにも是非共有してもらいたいなあ、と思っています。
では、本文です。どうぞお楽しみに。
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