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Last year, I applied to join Rokko Train Run, 40km of perilous adventure climbing mountains after mountains. I already completed several marathon competitions and I thought I was ready to participate in trail run. But my ambition did not get realized as I suffered terrible URI then, which led to secondary bacterial infection, i.e. this guy.
Yes, the most dangerous species on earth and I succumbed to them. I had to cancel my schedule to run my first trail run and that was the end of the story. On the following month, I participated in another trail run in Kyoto, with much shorter distance, and I climbed Mt. Hiei and moved to Biwa lake, which was quite a fun, but surely different from one you get at Rokko.
So my pay back time. I applied again to Rokko trail run in 2017, which was held on memorable March 11. However, I was so unlucky that I suffered acute diarrheal illness after coming back from Cambodia. I recovered without any antibiotics (of course), but it was followed by another upper respiratory infection, which again I did not treat with antibiotics as standard of care. My condition was not bad and I remained afebrile. Cough continued but I knew cough can last for several weeks on average, so I was not concerned much about cough, just checked my sputum regularly to make sure I was not suffering from TB, which I must have a lot of exposures.
Two days before my first Rokko trail run, my sputum became suddenly purulent, and my temperature increased above 39 centigrade. I became weak, sick and I knew I have to give up my second try of attending Rokko trail run.
On the following morning, I brought my sputum to laboratory and it revealed「青い奴、、!」
Another pneumococcus with neutrophils, but not that many.
「前世で、いや、現世で殺しすぎたから、呪われてしまったんだろうか」
was my concern. I thought I was catching the beginning of URI turning to bacterial pneumonia, but not yet. Urged with my thought that I wanted to attend trail run desperately, I decided rather unusual "preemptive therapy" for bacterial infection. I took amoxcillin 750mg q4h, which is outrageous based on Japanese package insert, but perfectly reasonable pharmacologically.
My family doctor, literally, was against me attending trail run, which she thought is absolutely stupid. However, she was also the world best expert in "(my) value based medicine". Knowing that I will continue to insist that I would attend the trail run, she just said, "Do whatever you want, I do not care,,,", with a sigh.
My family doctor was also my family ID consultant, and she even suggested my amoxicillin going up to 1g q4h, and it might have decreased my disease specific mortality as well as all cause mortality. I knew she was right but I was worried about potential GI side effect while running which could significantly impair my quality of life. Again, the world best authority of (my) value based medicine understood my concern fully and I kept swallowing amox 750 q4h, hoping this brings down my fever.
It did.
My family doctor was still against my running, but I was really really into it. I do not mind failing, losing things, but I hate losing again and again.
「やられたらやり返す、倍返しだ!」
Fever was down, and cough turned dry. I knew "blue guys" already died. I am the winner this time.
But I was not.
When I started running, I soon realized that my body was not really my body. It was so weakened by one of the strongest bacteria on earth. My muscle was not moving well, I was fatigued at 3km. I thought I was going to give up. I thought the same thought again, again, and again. I even thought I was going to die with this running.
I was exhausted. My muscles hurt. I thought my CK in blood be around 15K. My kidneys are shutting down. My heart is in agony. I remorsed that I joined this running. Climbing a mountain, going down, and climb again, go down again. Why I keep doing this, this is irrational. I thought I will give up if I run another km, but I just kept saying that to myself.
So I finished my run. I spent more than 7 hours for it and it was not a great record, but I was very happy that I did not give up. Anyway, all parts of my body aches now.
So today's lesson. Always follow what your family doc said.
投稿情報: 21:32 カテゴリー: 考え方のピットフォール | 個別ページ | コメント (0)
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いよいよ創刊です。
「感染症に詳しい」と自負したい人が、絶対に読まざるをえない雑誌のはずです。「俺は博覧強記な内科医だ」の人がNEJMを開いたことがない、はありえないように。ぜひ、開いてみてください。特定のトピックに興味のある人は、必ずあなたの興味のあるトピックを見出すでしょう。トーマス・ハクスレーのように「何かにおいてすべてを、すべてにおいてなにかを」を目指す人は、やはり本書に「それ」を見出すでしょう。
巻頭の言をここに引用します。
感染症がコンテンツ・リッチな領域であることは、ハリソン内科学を縦に置いて、背表紙の反対側から眺めてみれば、すぐ分かる。領域ごとにページが色分けされている。どの専門分野よりもページ数が多いのが感染症だ。ぼくはハリソン内科学の感染症のところを監訳していて、改めてこの領域のコンテンツが膨大なことに頭がクラクラしたのである。
コンテンツの豊かさは量の問題のみならず、質の問題でもある。医療が扱う問題は顕微鏡的であり、また望遠鏡的でもある。感染症の顕微鏡的な側面は毎日観察するグラム染色像から身体的に感得できるが、もっとミクロな分子生物学的領域もまた感染症世界を構成する一側面だ。マラリア原虫がいかにして人間の免疫機構を回避するのか。抗HIV薬はこの微細なウイルスのどの部分に作用するのか。微細さはどこまでいってもさらに微細である。逆に、マクロの視点もまた限りなくでかい。公衆衛生学や疫学、感染症流行の数理モデルから水の質管理、地球の温暖化、ジェンダーや貧困といった社会科学の扱う問題、さらには政治経済学までもが感染症世界の構成要素となっている。
コンテンツの豊かさはリスクでもある。我々「専門家」と呼ばれる存在ですら、感染症世界の全てを丸のままで睥睨し、咀嚼することはできない。研究者は研究者の、臨床家は臨床家の、公衆衛生、行政、検査、看護、薬事、、様々な立ち場から感染症世界は観察できるが、どの視点から感染症世界を観察しても、その世界全体は見えないのである。完全観察のできない、カントのいう「物自体」だ。だから、自分の視点を離れ、「鳥の目」で上から見たり「虫の目」で細かく見たり、あちらこちらから眺め回す必要があるのが感染症世界だ。フッサールの「間主観的」眺め回しだ。逆にこのような間主観性に無自覚でいると、己の見ている世界だけが世界の全てと勘違いし、夜郎自大な、雑な把握しかできなくなる。だからリスクなのだ。
質の問題は関係性の問題でもある。病原体とホストの関係性が感染症の像を構成する。感染経路がその流行を規定する。関係性そのものは目視できない。ネット社会において物量的な情報をいくら積み上げても感染症世界を把握したことにはならないのは、そのためだ。
そこで雑誌である。出版文化、雑誌文化は終焉を迎えつつあると嘆く向きもある。そうではない、とここで申し上げておきたい。
ネット・サーフィングという言葉があるが、我々は自由に情報の波を泳いでいるのではない。泳がされているのである。グーグルを使おうが、ヤフーを使おうが、そのアルゴリズム化された情報機構は我々に親和性の高い、「我々の見たい情報」しか見せてくれない。よって、情報量の多いネット社会においては、逆説的に我々はどんどん狭量になっていくのである。
感染症世界はコンテンツ・リッチでかつ多様である。世界の全ては睥睨できなくても、我々はそれを見たいという欲望を抑えきれない。そういう欲望こそが感染症屋の持つべきほとんど唯一のプロパティだ。
「己の知る、己の立ち場から見える世界」ではない世界を見てみたい。ぼくらはそれを「冒険」と呼ぶ。冒険は、リスク覚悟で自分たちの知らない未知の世界に飛び込んでいく営為だ。欲望のままに。「ネット・サーフィング」では味わえない感覚だ。
本誌が目論むのは読者諸氏を冒険にいざない、ワクワクさせることにある。そのために「仕掛け」をあちこちに施した。あちこち読み回して、それを発見してほしい。
本誌を手に取り、皆さんがドキドキ・ワクワクと頁をめくっていただければこの上ない幸いである。まるで子どもの時にむさぼり読んだ少年ジャンプのように。
S「ふー、回診終わり。今日も疲れたな~」
D「後ろで見てたよ。なんか、またヘンテコなことやってたな」
S「どこに隠れてたんですか?全然気配を感じませんでしたけど」
D「忍びの心得があるんだよ、俺は」
S「どこで習ったんですか?ところで、なにがヘンテコだったんですか?」
D「あのさ、患者をベッドサイドで診察するじゃん、その後部屋から出るじゃん」
S「はい」
D「で、部屋から出てから廊下であれやこれや研修医や学生に教えてただろ」
S「ええ」
D「なぜだ?」
S「なぜって、、、普通そうしませんか?」
D「だから聞いてるんだよ。「普通そうする」は「何故そうするのか?」という質問の答えになってないだろ。そうやって、さしたる根拠もないのに「こうなってるからこうなってる」みたいなトートロジーを許容するから、能率が悪くて無駄ばかりの国立大学病院みたいになるんだ」
S「あー、そこそこ、またヘンテコなマジック・リアリズムもどきをやらないように」
D「質問に答えろ。なぜベッドサイドで診察し、廊下でティーチングするんだ?」
S「やっぱ、患者さんに聞かれないためでしょうか」
D「では、なぜ聞かれたくないんだ?」
S「なんというか、、、まず研修医や学生が教わってるところを見せるのは、彼らのプライドに影響しませんか?」
D「あいつらにプライドなんて立派なものを持つ資格あるわけないだろ」
S「ありますよ、プライド、ありますよ、プライド持つ資格」
D「ないわ~~~研修医のうちは、自分はサブヒューマン、人間以下のノミみたいな存在だ、くらい自己卑下に陥ってなきゃ、自信過剰なんだよ」
S「またそんな恐ろしいことを」
D「もともと、患者の方だって学生や研修医が何者かくらい承知している。ベッドサイドで教えを乞おうが乞うまいが、彼らの立場が改善するわけではない」
S「まあ、そうかもしれませんが」
第73回「患者の前で教えよう」その1 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。
S「ふー、回診終わり。今日も疲れたな~」
D「後ろで見てたよ。なんか、またヘンテコなことやってたな」
S「どこに隠れてたんですか?全然気配を感じませんでしたけど」
D「忍びの心得があるんだよ、俺は」
S「どこで習ったんですか?ところで、なにがヘンテコだったんですか?」
D「あのさ、患者をベッドサイドで診察するじゃん、その後部屋から出るじゃん」
S「はい」
D「で、部屋から出てから廊下であれやこれや研修医や学生に教えてただろ」
S「ええ」
D「なぜだ?」
S「なぜって、、、普通そうしませんか?」
D「だから聞いてるんだよ。「普通そうする」は「何故そうするのか?」という質問の答えになってないだろ。そうやって、さしたる根拠もないのに「こうなってるからこうなってる」みたいなトートロジーを許容するから、能率が悪くて無駄ばかりの国立大学病院みたいになるんだ」
S「あー、そこそこ、またヘンテコなマジック・リアリズムもどきをやらないように」
D「質問に答えろ。なぜベッドサイドで診察し、廊下でティーチングするんだ?」
S「やっぱ、患者さんに聞かれないためでしょうか」
D「では、なぜ聞かれたくないんだ?」
S「なんというか、、、まず研修医や学生が教わってるところを見せるのは、彼らのプライドに影響しませんか?」
D「あいつらにプライドなんて立派なものを持つ資格あるわけないだろ」
S「ありますよ、プライド、ありますよ、プライド持つ資格」
D「ないわ~~~研修医のうちは、自分はサブヒューマン、人間以下のノミみたいな存在だ、くらい自己卑下に陥ってなきゃ、自信過剰なんだよ」
S「またそんな恐ろしいことを」
D「もともと、患者の方だって学生や研修医が何者かくらい承知している。ベッドサイドで教えを乞おうが乞うまいが、彼らの立場が改善するわけではない」
S「まあ、そうかもしれませんが」
第73回「患者の前で教えよう」その1 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。
D「さっきのS先生の偶然たまたまラッキーにも○○病診断したなんてレアな武勇伝は、「やってもよい自慢話」だ」
S「なんで、そうネチネチと、、、」
D「文脈としては、○○病が先にあって、そこから派生した経験譚だ。だから、イヤミになりにくい。「そうそう、○○病と言えば、、、」という文脈に乗っかった形なので、こういう場合は研修医は「聞きたい」と耳をダンボにして話に注目するはずだ。実際、カンファ盛り上がっただろ?」
S「まあ、ぼくに気を遣ってくれたのかもしれませんが、、、」
D「お前は気を遣われるほど偉いと思われてない!」
S「ぐさあ」
D「というわけで、タイミングを間違えずに、文脈に乗った形での武勇伝、昔話、自慢話は使える。周りも不快にならない。お前の株も上がる。いいことばかりだ」
S「なるほど。無碍に否定する必要はないんですね」
D「ただし、使い方は間違えるな。頻用するとすぐに陳腐になるし、イヤミにもなる。基本的に全ての教育手法には賞味期限があり、使いすぎると使えなくなる。抗菌薬と一緒だな」
S「なかなかうまい喩えですね」
D「上から目線で偉そうに言うな!この自慢たらたらなイヤミ野郎が!」
S「褒めたんじゃないんですか?」
D「褒め上げてから、こき下ろす。このトスを上げてアタック的なバレーボール殺法は日本のマスコミの常套手段だろが」
S「別に日本のマスコミの手法を取らんでも、、、」
D「武勇伝ばかりでは人は食傷する。だから、武勇伝2,失敗談8くらいのほうがちょうどいい。このへんのバランス感覚は指導医講習会では絶対に教えてもらえない。失敗談で指導医に親しみを持ってもらう。それに失敗談は勉強になる。そして「こいつ、ダメな指導医だな」と思わせといて、ときどきズバッと鋭い刃を一閃させる。これでたいていの研修医のハートは鷲掴みだ。少女漫画の基本路線がそうだろ?嫌な男子だとまず思わせてから、ほろっと雨の日に迷子の子犬を抱き上げてやるんだよ、、、、」
S「何の話をしてるんですか?」
D「俺様がふだんS先生をこき下ろすのも、8割こき下ろしといて、2割ほろっと褒めると効果的だとわかってるからだ。この連載中、S先生を褒めまくってみろ。このブログはとてつもなくつまらない存在になる。保証する」
S「戦略的にこき下ろしてたんですか?」
D「ま、俺の気分転換、というところもあるがな」
S「がーん」
第72回「武勇伝2,失敗談8の法則」その2 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。
D「なんか、今日のカンファ、盛り上がってたなあ」
S「ああ、ぼくが昔見た、非情に珍しい○○病の話をしたので、、、」
D「ああ、珍しくS先生が華麗にピンポイントで診断した○○病の話か。S先生はあれをおかずにもう何年もご飯食べてるようなもんだもんな」
S「嫌味を言わないでください。分かってますよ。年を取ったら自慢話すんな、でしょ。別に自慢ではなくて、純粋に医学的な経験の話です」
D「本人に確認して裏を取っていないが、高田純次は「歳をとってからはやってはいけないこと」として、「説教」「昔話」「自慢話」を挙げたそうだ」
S「高田純次、お知り合いなんですか?」
D「一回だけ新幹線乗る駅のホームで見かけたことがある。むっちゃ、真面目そうやった」
S「インチキ関西弁は止めてください。それから、急に私小説風に筆者の経験挟まないでください、フィクションなんですから」
D「マジック・リアリズムと言ったろう」
S「でも、その話聞いたことありますよ。高田純次の「歳をとってからはやってはいけないこと」、有名ですよね。まあ、たしかにいい年した親父が説教、昔話、自慢話って傍で見ていて非常に見苦しいですよね」
D「俺もそう思う。宴会で酒が入ったりするともう最悪だ。だから、俺は年寄りばかりの宴会には絶対に参加しない。一度自慢話の演説だけで終わった宴席があり、その長いのうっとうしいのって、、、」
S「だから、筆者の体験挟まないでください」
D「まあ、一般論としては高田純次の言うとおりだ。自慢たらたらな長話や説教は誰にとっても(しゃべってる本人以外には)迷惑至極な存在だ。あのエネルギーをせめて電力にでも変えれれば、少しは役に立つのだけど、残念なことにおっさんたちの自慢話と説教は風呂の焚付ほどの役にも立たない」
S「そうですねえ」
D「しかし、所詮は芸能人のコメントだ。そう全面的に信用しすぎるのもどうかと思うぞ」
S「え?」
D「高田純次のコメントがどういうシチュエーションでも正しいなんて別にだれかが研究して調べたわけじゃないだろ」
S「ま、そりゃそうですが」
D「概念はだな、全肯定も全否定も危険なんだ。大事なのは「どういう条件下でそれが正しいか」という条件を見つけることだ。コンテキストと言ってもよい。もちろん、自慢話、武勇伝が役に立つ時は、ある」
S「そうなんですか?」
第71回「武勇伝2,失敗談8の法則」その1 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。
D「午前中に抗真菌薬を使わず、午後になって使おうというS先生の態度にはきちんとした一貫性がある」
S「そうですか?コロコロ変わってるじゃないですか」
D「バーカ、表面的なところで判断すんな。「目の前の患者にベストを尽くす」という点では一ミリもぶれてないじゃないか!」
S「あ、今なんかすごいカッコイイこと言った!」
D「俺様はいつだって名言しか言わないんだ!」
S「そうか~そう言われてみれば、たしかにその通り」
D「患者の状態が変わる、判断が変わる、意見が変わる。よくあることだ。それを研修医に全て伝えろ。意見の変更を正直に述べろ。朝の判断が甘かったことも認めろ。研修医に誠実で、正直であり続けることも、やはり一貫性だ。全然、ぶれてないだろ」
S「うわ~~また、カッコイイこと言った。D先生がかっこよく見える」
D「見えるんじゃなくって本当にカッコイイんだよ」
S「そうかあ、表面的な一貫性ではなく、もっと深いところの一貫性が大事なんですね~」
D「そうだ。研修医だって見た目ほどのボンクラじゃない。指導医の悩みや苦悩や逡巡はちゃんと観察している。それを見せろ。そうすれば、奴らも悩み、苦しみ、逡巡できるようになる。軽やかに、スマートな判断ばかりを見せていると、「あんなふうにかる~く判断するのがいいんだな」と勘違いする。泥臭く生きることがカッコイイんだ。奴らの価値観に揺さぶりを与えろ!メッシよりもマスチェラーノを見習え!」
S「最後のは意味不明でしたが、、、」
第70回「朝令暮改を恐れるな」その2 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。
S「D先生、ちょっと困りました」
D「どうしたんだねえ。真っ白な歯が見える笑顔が素敵な偽善紳士指導医のS先生」
S「なんでこんなにボロカスに言われなきゃならないんです。よく考えたら、前回も普通に整形外科の誰でもよいから、相談すればよかったんですよ。どんなにキツイ先生だったとしても、少なくともD先生よりは対応マシに決まってんですから」
D「今頃気づいたか~~~」
S「で、それはいいんですけど、相談に乗ってください(性懲りもなく)。朝のカンファで敗血症性ショックになった患者に抗菌薬治療を開始したんですが、どうも午後になっても血圧が上がってこないんですよね~朝は「この患者さん、リスク因子もないから真菌カバーは必要ない」って言っちゃったんですよ。どうしよう。なんか、真菌カバーが必要な気がしてるんです、、、でも、朝言ったことをその日のうちに翻すというのもどうかと、、、」
D「いいじゃないか。翻せば」
S「だって、、、、」
D「医療の世界では朝令暮改なんてどってことない。状況が変わることもあるし、もとの判断が間違っていることもある。間違うことは問題ではない。ダメなのは、間違いに気づいてもそれを修正できないことだ。霞が関の官僚がたいてい、そうだろ?」
S「またそんなこというと今度の厚生局の監査でむちゃくちゃにいじめられますよ」
D「俺様はフィークションの存在だから、リアルな役所なんて怖くないんだよーんだ」
S「でも、よく嫌われる指導医は一貫性がない、言うことがコロコロ変わる指導医だって指導医講習会とかで教えられるじゃないですか」
D「お前は色々間違ってる。まず第一に、指導医講習会で教わったことなんて真に受けるな。案外、デタラメやわけの分からんイデオロギーを押し付けてるだけのことも多い」
S「あああ、また苦情のメールが、、、、」
D「そして第二にだな、」
S「はい?」
第69回「朝令暮改を恐れるな」その1 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。
D「ほら、3年前までうちをローテートしてた、E先生がいるだろ。彼、整形外科に入局したんだぜ」
S「え?そうだったんですか?D先生、よくご存知ですね」
D「草の者がいるからな。院内の人事、ゴシップはすべて掌握している」
S「ゴシップは関係ないでしょ」
D「やつを使え。彼なら親切に相談に乗ってくれるはずだ」
S「分かりました。ありがとうございます」
<後日>
S「D先生、ありがとうございます。E先生が丁寧に見てくださって、数日間経過観察だけで患者はよくなりました。ああいう判断、やっぱ整形外科医じゃないとできないですよね」
D「そうだろ。コンパートメント症候群みたいな、検査でリジッドに診断しづらい現象はなんといっても経験値と、四肢の診察能力だ。四肢の診察にかけて、整形外科医の右に出るものはいない。こういうときは「餅は餅屋」に限る」
S「そうですね。それにしてもD先生のアドバイスも見事でした。あんなに親切に対応してくれるとは、、、」
D「E先生は総診をローテートしてるからな。うちの科のメンタリティーも分かっているし、うちの科の「弱さ」も中から見てよく把握している。メンタリティーと「弱さ」の把握は、よいコンサルタントを作るんだよ。だから、スーパーローテートって大事なんだ。よく、2年目で自分が行く診療科だけ選択する研修医がいるだろ。あれは本当に短見で、長い目で見たらよい臨床医は育たない。優れた整形外科医になりたければ、内科系のローテートを一所懸命やるべきだ。逆もまた然りで、よい内科医になりたければ外科ローテートをサボらないのが大事だ。口を酸っぱくしてこう言ってんだけど、たいていの研修医は逆の判断をとる。やっぱ、あいつらバカだよな~~~」
S「研修医バッシングすると人気が下がりますよ」
D「おれはお前みたいな人気取りの点取り虫、病院内のAKB48みたいなのには興味ないんだよ~~」
S「でも、たしかにE先生はうちを回ったからこそ、内科医が心配しそうな「ポイント」をよく抑えて、すぐに見に来てくれて「心配だったでしょう」と声までかけてもらって、本当にこちらも気持ちよくいっしょに仕事ができました。素晴らしいですね」
D「日本はコンサルト業に診療報酬がつかないから、どうしてもコンサルトを甘く見がちだ。「ついでにできる」と思われがちで、しばしば「必要ない、無駄な仕事をさせられてる」と不平に思う医者すらいる。「こんなことで俺様を呼びやがって」と自分目線でふんぞり返った態度を取りがちだ。他の科を回っておけば、相手の思考プロセスや不安はよく理解できるから、そういう悪い態度は取らない。また、逆に内科的な問題で悩んだときも、自分でこねくり回してやっつけ仕事をせずに、すぐに内科医に相談してくれる」
S「win winですね~~~」
E「あ、S先生、D先生。おそろいですね」
S「おお、E先生。今回は本当に助かったよ。どうもありがとう」
E「いえいえ、このくらいいつでもどうぞ」
S「それにしても、対応速かったよね~感動したよ」
E「いや~なにしろDノートは効果抜群ですから」
S「何?そのDノートって」
E「D先生が、研修医時代のミスやしくじりを逐一記録して、それをちらつかせるんです。あんなの、今になって蒸し返されたら大恥ですからね。やっぱスーパーローテートって最悪ですね~」
S「え~~、なにそれ?D先生?、、、、って、いない!逃げた!」
第68回「教え子を活用しよう」その2 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医で、Eも架空の整形外科医です。
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