ケムリエというフリーペーパーにインタビュー記事が載りました。許可を得てこちらに転載します。タイトルはぼくがつけたものではないですが、非常によいですね。ただ、映画「ハンナ・アーレント」を見たあとでは、ここまで書いても思考停止のもたらす害は無化できないとも覚悟はしています。
シリーズ 令和のたばこ2
ドクターに聞く「これから」
/岩田先生
たばこは、その「より良い形」を
未来につなぐことができるだろうか?
感染症医 岩田健太郎
(リード)
過日、ある反喫煙団体が大河ドラマ『いだてん』は受動喫煙シーンが多すぎるとして、NHKに今後受動喫煙シーンを絶対に出さないでほしい、受動喫煙場面が放映されたことについて謝罪してほしい旨の申し入れを行った。「喫煙」でなく「受動喫煙」としたところに姑息な意図も感じるが、この申し入れに対する大方の反応は「たばこは嫌いだけど、これはやり過ぎ」「正気の沙汰とは思えない」というものだった。そして、ツイッターで「まさに『私の価値観以外の価値観は認めない』息苦しさエートス(態度)の代表」「タバコにこだわりすぎてそのことしか考えられなくなっている、これぞ『ニコチン中毒』です」と言及したのが神戸大学教授・医学部附属病院国際診療部長でもある岩田健太郎氏だ。岩田氏に発言の真意と、健康リスク、受動喫煙等、たばこについて広く話を伺った。
(本文)
映画『風立ちぬ』でも同様の問題がありましたが、ぼくに言わせればあれらの団体は宗教団体みたいなものです。彼らは科学の徒ではなく素人集団だし、やってることは魔女狩りと一緒でまったく意味がない。
どういうことかというと、ぼくはトラベルメディスン、渡航医学ということもやっているんですが、海外に行く場合、様々なリスクがありますね。マラリアに罹ったり、交通事故にあって輸血を受けたら疾病に感染してしまったりとか、アフリカではエボラ出血熱とか怖い感染症に罹るリスクもある。いかにそのリスクをヘッジするかということなんですが、一番簡単なリスクヘッジは「行くな」です。海外に行くのはリスクが高いから行かない方がいい、と。でもこれはトラベルメディスンのクリニックではなくて、何もしていないのと一緒です。ぼくたちがどう専門性を発揮するかというと、例えばマラリアは蚊に刺されて感染するので、蚊に刺されないようにするその最善の方法を探る、殺虫剤の使い方、蚊帳の釣り方等々。それでもマラリヤに罹ってしまった場合はその治療の仕方とか、そういうことを伝授する。もちろんそれでマラリアに罹るリスクがゼロになるわけではありませんが、最大限のリスクヘッジをするために専門性を発揮するわけです。
つまりぼくたちのミッションは「行くな=ノー」と言うことではない。ノーと言うのは簡単です。リスクを負いたくなければ海外に行くな、インフルエンザに罹りたくなければ外に出るな。これは一番簡単なリスクヘッジの方法だけれど、一番レベルも低い。そうではなくて、リスクは負うんだけどそれをいかに最小限に抑えるか。
たばこについても同様で、たばこは吸わない方がいいに決まっている、ではなくて、たばこを吸いたいという人に対して、そのリスクをいかに扱うか、ということが求められる。まずリスクをきちんと把握して、理解してもらって、それとどう向き合っていくべきかを考える。リスクをゼロにしようとたばこをただ全否定してそれでおしまい、というのは素人の振る舞いです。だから、喫煙のリスクを教えてくれという人にはこんな怖いことがあるんだよと説明する。実は禁煙したいんだという希望があれば、禁煙するためにはこんなツールがあってこれこれの効果があるんですよとお伝えする。さらに求められればぼくだったらこうしますよとかのアドバイスもする。ところが世の反喫煙団体は、「ノー」=たばこ全否定が前提になっていて、最初から結論ありき、何を言っても通じないわけです。禁煙学会という団体もありますが、そもそも学会とは学術をやるところで、学術というのは自らがフラットな立場、ゼロベースでなければならない。ゼロベースというのは、自分がある立場、たばこは絶対にダメだとかいいだとかいう立場に身を置かずに、どんなデータが出てきてもそれが真っ当なものならば認める、という立場です。ところが禁煙学会というのは、「たばこ=悪」に凝り固まっていて、これはゼロベースではもちろんありません。ゼロベースでないものは科学ではなく、科学の名を借りた宗教、もしくはイデオロギーでしかない。
さらに言うと、よく医学誌なんかでたばこ会社がスポンサーになっている学術研究は一切受け付けない、という姿勢のものがありますが、あれは間違いです。どんなスポンサーがついていようと、論文というのは中身で勝負じゃないですか。それがきちんとしたものだったら採択されるべきだし、だめなものならリジェクト(不採用)だと。それだけなのに、どこがスポンサーだ、誰がパトロンになっているかで判断するのは、政治的判断というものです。これは、学問する上で最も忌避されるべき態度。その時点でゼロベースでなくなっていますからね。
物事は相対的に見るべき
「健康」は価値の一つに過ぎない
あ、はっきり言っておきますが、たばこが健康にとって有害だというのはほぼ間違いないことで、その点に関して議論の余地はないと思います。たばこを吸っても長生き、という人は確かにいます。ただそれは個人差であり「まぐれ値」。たばこを吸って長生きの人もいれば、平均よりうんと早く亡くなる方もいる。例えて言えば、スピードを出して車を運転しても事故る人と事故らない人がいるのと同じで、スピードを出す=たばこを吸うっていう行為が事故のリスクを高めることはほぼ間違いないわけです。だからリスクを負いたくない人は、スピード運転をする=たばこを吸うっていうことはやめた方がいい。
ただ、たばこを1日20本、何年吸い続けたら寿命が平均何年縮まるみたいな客観的なデータはありますが、この人生100年時代にそれが80年になるということと、いま、たばこを吸って今日も元気だ~、みたいに思うこととどちらに重きを置くべきかというのは、ぼくには判断できないんですね。それは主観が決める問題なので。1万円というお金は客観ですけど、その1万円にどれぐらい価値があるかは人によって違う。はした金だと思う人もいれば大金だと思う人もいるはずです。それをぼくが、1万円は大金ですよ、あんなものはした金です、って他人に自分の価値を押し付けることはできない。それは本人が決めることだから。
ちょっと話が飛躍してしまうかもしれませんが、ぼくは自分が今いる世界が世界のすべてだという考え方って危ういと思っていまして、つまり世界は、物事は、相対的に見るべきではないかと。例えば「健康」っていうのは非常に大事な価値ですけど、価値の一つに過ぎないわけです。決して健康が価値のすべてではない。さまざまな価値がある中での、ワンオブゼムとしての健康です。
そう考えると、たばこの問題も、問題ではあるわけですが、問題の一つに過ぎない。重大だという一方で大した問題ではないとも思う。『風立ちぬ』のときに禁煙学会は批判に一生懸命でしたが、ぼくが馬鹿々々しいなと思ったのは、人間の健康が大事だと言い募っている割には、もっと大きなテーマである戦争については全然ほったらかし。世界をこんなに矮小化してしまっては……。
ただ一つ、たばこで看過できないのは受動喫煙の問題です。これは他人に害を及ぼすということで、個人の問題だから、ということにはならない。医者の正義として介入をかけるべきだと思っています。
「陰圧個室」型スペースで
受動喫煙対策を万全にすれば
受動喫煙が様々な健康被害をもたらすことは、ほぼ分かっています。がんや心筋梗塞、あまり知られていないところでは糖尿病とかね。ですから、これには徹底的な対策が必要です。ただしぼくの言う受動喫煙とは、恒常的・慢性的な受動喫煙のこと。一緒に住んでいて、ある空間で1日何時間も、毎日たばこ煙の暴露を受け続けるとか。これには医学上のデータもあり、健康リスクがあることはまず間違いありません。
その一方で、歩きたばこの人とすれ違ったとかいう場合は、確かに煙の暴露は受けていますが、健康リスクはほぼないということも分かっている。もう一つ、部屋の壁などに以前のたばこの煙成分が染み付いていて、といういわゆるサードハンドスモークと呼ばれるもの、健康リスクについてはほとんどまったくといっていいほどデータがありません。
これらについても反喫煙団体は必要以上に大騒ぎしますが、それは単に「快、不快」の問題と取り違えているに過ぎない。たばこの煙が嫌いだとか臭いとかっていう嫌悪の感情を合理化して、もっともらしいことを言っているだけです。
自分の好き嫌いと科学的な判断をごっちゃにするのは、少なくとも医者としてやってはいけないことなのに、それがいま、今日外来でこんなにたばこ臭い患者が来て、まったく、とかってSNS等で公言する医者がたくさんいるんです。本来プロは、自分の好き嫌いを仕事の根拠にしてはいけない。そこがグチャグチャになっている人が非常に多くて、あれは極めて危ういな、と感じます。
その医学的な意味での「受動喫煙」に関してですが、これは望んでもいない健康被害が生じるわけですから、しっかり対応しなければならない。で、これを実現したのがスペインです。スペインに限らずヨーロッパのほとんどの国がそうなんですが、屋内での喫煙は禁止されています。会社とか喫茶店とかバーまでも、その屋内での喫煙を禁止することによって、恒常的な受動喫煙による健康被害をゼロにする。じゃあスペインは受動喫煙対策をきちっとやって素晴らしい国なんだと思って行ってみると、みんな街中でたばこを吸ってるんですね。
それでショックを受ける人が結構多いんですが、スペインは屋内の喫煙は完全にブロックするんだけど、外でたばこを吸うのは他者に対する健康被害はほとんどないし、吸ってる当人にとっては個人の問題だから、あとはマナーを守って、ということなんです。よく歩きたばこで火が付いたとかってありますが、これは歩きスマホで人にぶつかっちゃいけないというのと同じで、スマホをやっちゃいけないということではない。で、マナーに気をつけて外でたばこを吸うのは勝手にしなさい、というのがスペインの考え方です。
ところが日本はその逆で、まず路上での喫煙を完全に排除して、屋内での喫煙を中途半端に許容するというまったく非科学的、観念の議論でもって物事が進められた。つまり初めの路上喫煙の排除は、外でたばこ吸ってる奴がいる、気に入らないっていう好き嫌いの問題が全面に出て、マナーの問題が制度になってしまったんです。これで屋内でもたばこが吸えなくなると……だからぼくはこれ、外での喫煙をOKにすればいいんだと思いますよ。
もっと言うならば、受動喫煙さえゼロにすれば屋内でも喫煙は構わないと思う。受動喫煙をゼロにする方法なんていくらでもあって、例えば病院にある「陰圧個室」の技術を用いればいい。陰圧個室というのは、例えば結核の患者さんの菌が外に出てしまわないよう、部屋の気圧をちょっと下げてある部屋のことです。気圧が下がっていると――といっても息苦しいとかそんなことは全然ありません、下げるといってもほんのちょっとですから――ドアを開けても部屋の空気が外に出て行かずに、周りの空気が中に入っていくだけ。空気の流れをこれだけ作って、という厚労省の基準もありますが、陰圧個室の方がもっと確実です。
だから喫煙者の皆さんだったりたばこ会社が、自分たちがゆっくり過ごすための陰圧個室型の専用スペースを作れば、それで問題は解決するんじゃないでしょうか。
健康に悪くない「たばこ」の開発を
最後にこれはぼくの予言なんですが、長いスパンで見ると、今の紙巻たばこって滅びゆく運命、なくなるんじゃないかと思っています。それは歴史を振り返ってみれば分かることで、例えば煙管やパイプって、今、カルト的なファンはいるかもしれないけど、江戸時代に煙管がそうであったように、もはや日常のコモディティとしては存在しませんよね。同様に、いまどんどん減っている紙巻たばこは、もはや別のタイプのものにリプレイスされるであろうと。それが現在の加熱式たばこなのかどうかは分かりませんが、あと20年経ったら紙巻たばこを吸っている人を街で見かけることはなくなるんじゃないかな。
問題はその先で、さっきたばこ会社がスポンサーでも云々の話をしましたが、いま、たばこが良くないって言われるのは、健康に良くないからですよね? ならば、健康に悪くないたばこを開発すればいいわけです。たばこの嗜好性というか楽しみと、健康リスクを相反するものとして見ずに、健康には悪くないし、もしくは今よりもいい形でたばこを楽しめるものを開発すればいい、で、そのノウハウはたばこ会社が一番持ってるわけです。
それが50年後なのか100年後なのかは分かりませんが、たばこがそういう形で未来につながれるのか、もしくはそれを開発できなくてたばこ文化が廃れていくのか。そのどちらかだと、これは希望とか願望というわけではなく、純然たるぼくの予言です。
(プロフィール入る)
岩田健太郎(いわた・けんたろう)
71年島根県生まれ。島根医科大(現・島根大学医学部)卒。米国アルバートアインシュタイン医科大学ベスイスラエル・メディカルセンター、北京インターナショナルSOSクリニック等を経て、08年より神戸大学。現在、同都市安全研究センター感染症リスクコミュニケーション分野教授、同医学部附属病院国際診療部長ほか。専門は感染症など。『食べ物のことはからだに訊け!』など著書多数。日本ソムリエ協会認定のシニアワインエキスパート。「数年に1本ぐらいのペース」でシガーも嗜む。
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