以下の要望書を厚労省に提出しました。賛同頂ける皆さん、病院、医師会、学会などは同じような声を上げてください。医療政策にも正当な根拠(あるいはエビデンス)が必要です。
要望書
厚生労働省保健局医療課 殿
感染防止対策加算について
3月31日に連絡のあった診療報酬に関する疑義解釈資料において、「感染防止対策加算において、感染制御チームによる院内巡回を「構成員全員で行なう」こと、そして各病棟を毎回巡回し、病棟以外の全部署を毎月巡回することを義務付けている。これは悪策故に、改善を要求する。
構成員全員で巡回することは、その間、感染対策に関わるその他の業務を一切できないことを意味する。役割分担を行ない、構成員がそれぞれ異なる業務を同時に行ったほうがはるかに生産性は高い。構成員全員での巡回は作業効率が悪すぎるのだ。かつて大学病院では教授回診という悪弊があり、多数の医局員・学生がゾロゾロと行列し、その間病院機能の多くが停止した。貴殿らの政策はそれと同じである。
集団が一つの業務を行えば作業効率は落ちる。作業効率が落ちた場合の選択肢は2つしかない。仕事を減らすか、残業するかである。前者であれば感染対策という貴殿らのミッションに支障をきたす。後者を選べば男女共同参画、一億総活躍社会、あるいはワークライフバランスといった政府と貴殿らのミッションにやはり支障をきたす。貴殿らの政策はあらゆる方面から合理性を欠いている。
各部署・病棟ともにプライオリティーの高低があり、頻回に、ときに毎日巡回しなければならない病棟もあれば、そうでない病棟もある。軽症患者と重症患者を同レベルのエネルギーを用いた診療はプアな診療である。感染対策も同様であり、ICUと緩和ケア病棟を同じ頻度で巡回するのは間違いだ。業務の重要性に応じた業務量の濃淡を付けさせないと、構成員が頭を使って感染対策を行なう戦略性を損なわせ、チームはその知性を劣化させていく。大切なのは毎週の巡回を強要することではなく、どの病棟をいつ、どのような根拠で巡回したかを明示するドキュメンテーションである。
貴殿らは(5)において「最新のエビデンスに基づ」くよう我々に要請している。ならば、なぜ貴殿ら自身はエビデンスを無視するのか。構成員全員でゾロゾロ全病棟を巡回すると院内感染や耐性菌が減るのか。そのようなエビデンスが皆無な中で、なぜアウトカムではなく、(ムダな)努力のみを要請するのか。私が勤務していた米国の病院では感染対策において構成員全員による巡回などしていなかったし、全病棟を毎週回ったりもしなかった。現在もしていないはずである。そのような徒労を要請する政策をとる国を私は知らない。ご承知のように英米などでは感染対策はアウトカムベースとなっており、院内感染や耐性菌の減少が診療報酬に反映されている。なぜ貴殿らはあいも変わらずアウトカムに影響しないプロセス=徒労のみを要請するのか。付言するならば、抗菌薬届出制・許可制も明確なエビデンスはない。神戸大学のような「BigGun」=広域抗菌薬使用のモニタリングと事後的な適正化介入などを行なっている施設においては、かような制度は現場にとって迷惑なだけである。
我々は長年、日本の感染症診療の質が向上し、抗菌薬仕様の質が向上し、患者のアウトカムが向上し、病院で患者が感染症に苦しむことがないよう奮闘してきた。しかし、奮闘そのものは目的ではなく、奮闘のもたらすものが目的である。よって、我々の奮闘が医療のアウトカムに直結するよう、サポートするのが貴殿らのミッションではないのか。我々はアウトカムをもたらすための努力は惜しまないが、徒労を強いられるのは御免被りたい。
貴殿らの意図は理解している。感染対策を形式的にしか行わず、感染防止対策加算を掠め取っているだけの悪劣な医療機関に、形式以上の実績を要請したいのだろう。それは構わない。しかし、一部の悪劣な医療機関を懲らしめるために、真摯に感染症と対峙する医療者、医療機関の足を引っ張る結果をもたらすのはおかしい。上記のように、巡回の日時と場所、参加者、内容が十分にドキュメンテーションできていれば、悪劣な医療機関を検出するのは難しくない。これならば質と効率をスポイルすることなく、悪劣な医療機関の不当な加算要求を牽制できよう。
全ての医療機関に要請できる、すなわち「一般化可能」な感染対策は、貴殿らがいみじくも口にする「エビデンス」の明確なものでなければならない。有効なのか無効なのかも判然としない、あるいは無効なことが分かりきっている対策を全医療機関に共用するのは全体のパフォーマンスという観点から好ましくない。たとえそれが一部の悪劣な医療機関への正当な牽制になったとしても、失う不利益とのバランスが悪すぎる。
貴殿らに再考を促す根拠は以上である。
平成28年4月9日
外来改善専門部会
神戸大学大学院医学研究科感染治療学分野教授
神戸大学医学部附属病院感染症内科診療科長
県立加古川医療センター感染症内科
岩田健太郎
4月26日追記
その後厚労省のほうで方針の変更がありました。素晴らしい英断だと思います。坂本先生などたくさんの現場の声が「倍音」になって届いだのだと思います。
歴史的に官僚は無謬神話にとりつかれていて、自分たちは間違えてはいけない、間違えるはずがない、だから間違えない、という間違った三段論法で誤謬を全否定してきました。典型的だったのが指導医講習会の16時間神話で、ぼくは強く講義して、相手もロジカルには破綻しているにもかかわらず「だめなものはだめ」の一点張りでした。でも、近年は情報化が進んで(官僚の優位性は情報の独占にかつてはありましたから)官僚自身、無謬主義がバカバカしいと自覚しているように、少なくとも若手はそのように感じていると思います。朝令暮改、素晴らしいです。間違えることは仕方がありませんが、間違いを直視し、それを改善できない硬直性が悪いのですから。
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