病院では患者への見舞いの花が持参されることは多い。しかし、それが感染管理上の理由で禁止されることが国内でも国外でもある。日本では2005年2月25日の朝日新聞の記事「病室 花はどこいった」以来、禁止の態度を取る医療機関が増えていると聞く。
これをぼくは短見だと思う。医療機関は患者に送られる花を断るべきではない。以下、その根拠を述べる。
生花やドライフラワー、鉢植えに病原性のある微生物がいるのは事実である。水には緑膿菌やセラチアなどが繁殖しやすいし、土壌にはレジオネラなど土壌に常在する微生物がいることがある。
しかしながら、「そこに微生物がいる」というのと「それが感染症を起こす」というのは同義ではない。感染症は感染経路が成立していないと発症しないからだ。微生物は感染症の原因であるが感染症「そのもの」ではない。微生物学は感染症学の基盤であるが、感染症学そのものではない。両者を混同しているのが日本の最大の問題点だ。
花瓶の中に緑膿菌がいても、それが肺に入らないかぎりは肺炎の原因にはならない。血液に入らなければ血流感染の原因にはならず、尿に入らなければ尿路感染の原因にはならない。緑膿菌は花瓶から飛び出して患者の口に入るわけではない。理論的に花瓶の水や花が患者に感染症を起こす可能性は極めて低く、また実際にそのような報告はない。患者の机においてある花瓶よりも、患者についている尿カテーテルの方がずっと感染症のリスクは高い。そちらのほうは無頓着に留置しているのに花瓶を排除するなどとは、リスクの階層作りがちゃんとできていない証拠だ。花瓶(かびん)よりも、尿瓶(しびん)の方がリスクはずっと大きいのである。
患者は易感染性だから、という意見もある。しかし、ほとんどの患者は退院してからも易感染性である。CD4値が低いエイズ患者など、特殊な場合を除けば、医師は患者が自宅で花を生けたり庭いじりをするのを禁じていないはずだ。自宅で禁じていないのを、病院内「だけで」禁じるのは、患者の安全というより、「自分たちの責任回避」を優先させているからである。
病院は無菌空間ではない。壁にもカーテンにも床にも医療器具にも医療従事者にも微生物がついている。完全なる無菌空間を作るのは事実上不可能で、現実的でもない。というか、当の患者自身が口にも腸にも皮膚にも微生物を有しており、それはときに日和見感染の原因になる。じゃあ、患者の菌も排除すれば良いかというとそうではなく、常在菌を排除すると逆に感染症のリスクとなる。偽膜性腸炎(Clostridium difficile infection, CDI)がそのひとつである。微生物は人間の生活になくてはならない存在でもあるのだ。
花は感染症以外のリスクをはらむ場合もある。花粉がアレルギー反応を引き起こし、くしゃみや結膜炎を起こす可能性もあるし、花の香りを不快に思う患者もいるかもしれない。しかし、香りについていえば強い匂いを回避したり、苦情に応じて対応すればよいだけの話で、全面的に禁止する根拠には乏しい。というか、病院はもっともっと他の悪臭に満ちているではないか。アレルギーについても問診で回避できる可能性が高いし、そんなことをいうのであれば、差し入れの食べ物などもみな同様の根拠で禁止されるべきであろう(臭いもね)。
「万が一何が起こったら誰が責任をとるんだ」と人はすぐにいう。もちろん、プロのぼくらが責任を取るべきだ。しかし、責任を回避するために患者から全てを奪うのは医療のプロがやる所行ではない。旅行医学のプロは「どうやったらリスクを最小にして旅行に行けるか」を一所懸命考える。「旅行に行くな」はリスクをゼロにする方法だが、それは相手の思いと全然噛み合っていないリスクヘッジ方法だ。我々医療者は、患者の心を慰め、気持ちを強くしてくれるアイテム(花)をできるだけ活用すべきである。自分たちのほうではなく、患者の方を向いているべきである。
常に患者目線の亀田総合病院では花を容認するどころか、施設内にフラワーショップをもっている。さすが、院内レストランで患者がビールを飲める先進的な病院である。聖路加国際病院も移植患者など特殊なケースを除けば花の持ち込みは禁じていない。両施設とも国際医療機能評価機関(JCI)の認証を得ている。世界的な基準での医療機関としての質の高さと、花の持ち込みは抵触しない、ということだ。
患者といっても社会に生きる人間である。彼らの自由は、他の患者の迷惑とバッティングしないかぎりできるだけ容認するのがこれからの医療機関のあり方である。うるさい、まぶしい、臭い、といった病院の特殊環境に患者を強いるのはよくない。尿道にカテーテルを突っ込み、自分の尿が他人にあらわになるのを奇異に感じないのは、我々医療従事者の常識がおかしくなっているからである。世間の常識でものを考えるべきだ。病いに苦悩している患者に、花がどれだけ慰撫となり、勇気付けとなるかを真剣に考えるべきだ。
もちろん、いろいろなルール作りは必要であろう。他の患者に迷惑にならないこと。花や水の世話は患者本人がしない、という条件下で許可すること、腐った水を放置しないことなど。ICUやNICU、血液内科病棟などでは(たとえ感染を助長するエビデンスがないとはいえ)ぼくも生花を推奨しない。しかし、一般病棟できちんとルールを作った上であれば、ぼくは(あるんだかないんだか分からない)懸念よりも、患者のコンフォートを優先させるべきだと思う。二元論的な「花はありか、なしか」ではなく、「病院で花を認可するのであれば、どのような条件下でか」というクールで理性的で科学的な(そして患者目線の)議論を行うべきだ。
徳永進先生は、ぼくが学生時代、患者がそこで酒を飲めるホスピスを作った。できるだけ患者にノーと言わないその先進性に驚いたものだ。患者中心の医療なんて玄関の壁に飾っていても患者中心の医療にはならない。患者と同じ目線と、具体的な行動だけがそれを現実にするのだ。
文献
LaCharity LA, McClure ER. Are plants vectors for transmission of infection in acute care? Crit Care Nurs Clin North Am. 2003 Mar;15(1):119–124,
Gould D, Chudleigh J, Gammon J, Salem RB. The evidence base and infection risks from flowers in the clinical setting. British Journal of Infection Control. 2005 Jun 1;6(3):18–20.
Where have all the hospital flowers gone? | The BMJ [Internet]. [cited 2014 Aug 20]. Available from: http://www.bmj.com/content/339/bmj.b5406
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