医療者に対する暴力事件は普遍的に起きている。看護師を殴ったり、あるいは刺したり。アメリカでは医療者に対する暴力は、他の職種に対する暴力よりも4倍も多い。そして、2000年から2011年の間に91件も病院での発砲事件が起きている。銃の発砲、乱射はアメリカの重篤な慢性疾患なのである(The Lancet. 2014; 383: 1373-1374)。
このような暴力はアメリカだけの話ではない。心理学者である南フロリダ大学のポール・スペクター教授が世界中の15万人以上の看護師に対する暴力について調査したところによると、対象者の3分の1が肉体的な攻撃をうけ、残りの3分の2は暴言など、肉体的ではない形で攻撃を受けていた。とくに、救急センター、精神科、老年科の病棟がリスクが高い。
長い待ち時間、ストレス、病気や怪我の苦痛、不安、薬物使用など、医療の現場には暴力を助長する要素がたくさんある。医療者の方も忙しくてなぜそんなに待ち時間が長いのか、十分に説明する時間がない。これが怒りに火を注ぐ結果になり、さらに医療者に対する苦情につながる。その苦情を聞くために、もっともっと他の患者さんの待ち時間が長くなり、、、こうして悪循環が暴力的な環境を助長する。そして、それを完全に予見するのはどんなにがんばっても、医療者には不可能だと考えられている。
日本でも、まれに患者の暴力的な言動、行動を見ることがある。そのとき、多くのケースで、ナースや主治医が自ら暴力を振るっている患者に対峙し、またそれを周辺も期待する。
しかし、医療安全の観点からは、これは全く間違った態度だ。
患者の暴力は普通コードイエローマターであり、医療者が真っ先に行うべきは他の患者の安全確保であり、自らの安全確保である。つまり、「逃げろ」ということである。雪山遭難で捜査員が二次遭難に遭わないよう、津波で自らの命を優先させるよう、母体の生命を胎児のそれに優先させるよう、ものごとには優先順位というものがある。医療者の優先事項は暴力への対峙ではない。周辺と自らの安全確保により、さらなるけが人、病人、そして死者の発生を防ぐことだ。
アメリカの警備員は屈強でマッチョであり、腰には手錠や警棒をつけており、非常に有能である。その有能ぶりは何度も見せていただいたが(要するにアメリカの病院はとても危険ってことです)、日本の警備員は救急窓口の対応をするだけの、ただのおじさん、おじいさんなことが多い。これではいけない。警備員の能力は警備に対して発動されるべきで、警備ができない警備員はいてはならない。コードイエローが発動されたら、真っ先に先頭に立つのは警備員だ。
医者もナースも、護身術も武道も学んでいない。患者の暴力に対峙するような系統的な訓練を受けていない。訓練を受けていない事項を現場でやれ、というのは理不尽だ。患者が転倒して慢性硬膜下血腫を作っても、主治医が開頭手術をすることは期待されない。できないことは、できないからだ。同様に、患者が暴力を振るいだしても、主治医がこれを物理的に止める必要はない。主治医だから、なんでもやれ、というのは理不尽に過ぎる。もしそれが必要な医療者のデューティーである、というのならば医学や看護学のカリキュラムに護身術や武道を入れるべきだ。なにしろ、病院は他の場所より暴力が発生しやすいのだから。
日本の医療現場は、プロフェッショナルな仕事に対する敬意と意識が低すぎる。きちんと訓練を受けた有能な能力者の仕事が、プロの仕事のはずなのに、経験も訓練もないことを平気でやらせようとする。だから、ろくに臨床訓練を受けていない医者が適当な診療をすることを許容するのだ。抗菌薬の使い方を一度も習ったことがない医者が平気でそれをオーダーする。プロは、正当な訓練の先にしか存在しえない、ということをよく知っておくべきだ。
日本の医療安全はまだまだとても、情緒的であり、たいてい「人」が主体である。ルート・コーズ・アナリシス(RCA)なんて偉そうなことを言っていても、気をつけていないといつの間にか「誰の責任か」の話に転化している。「何が問題だったか」をクールに、プロフェッショナルに議論できない。日本の医療安全はまだまだアマチュアなのである。
患者が暴れだしたとき、「主治医は何してたんだ」は情緒の引き出すコメントである。「主治医が怪我をしないよう、どうしてセキュリティーのシステムとアルゴリズムがきちんと発動できなかったのだ」とRCAを行うべきなのだ。
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