ときどき、用事でオペ場に入る。さて、もし僕が、
「先生、その腹腔鏡、もう少し右に持ち上げた方がいいと思いますよ」
と「野晒し」の枕みたく「知ったふうな」台詞をはいたら術者はどう思うだろうか。「うるせえ」と怒るか、「こいつ、バカか」と呆れるか、まあ、そんなところだろう。
もちろん、ぼくはそんなことは絶対に口にしない。ぼくは外科領域の素人であり、素人には素人の「分」というものがある。質問はするかもしれないが、意見はほとんどしないし(する場合は、そうとう周到な準備を要する)、ましてやアドバイスなんてあり得ない。
大切なのは、「無知の知」である。自分が知らない領域を「知らない」と認識し、それを熟知した玄人への最大限の敬意を保ち、そのうえでコミュニケーションしていくのである。疑義があればもちろん質問はする。でもそれは「わたしは素人なので分かりませんから、ご指南ください」という意味であり、「こうすべきじゃないんですか」と食いついたり、「こうだとは思いませんか?」的な質問の形式を採った修辞疑問を行うべきではないのだ。
橋下大阪市長が、内田樹先生の教育行政への提言に対し、行政の実務体験がない者が反論するな、という主旨のツイッターでのコメントを残している。一理ある。行政の実務体験がない者が、行政のテクニカルなあり方について指南するのは好ましくない。ただ、橋下氏が誤解しているか、意図的に無視しているのは、内田先生が指摘しているのはテクニカルな部分ではなく、もっと大きなビッグピクチャー、「ビジョン」の部分だということだ。もっと重要なことは、「実務体験のない者が文句を言うな」という橋下氏が、教育の実務体験がないくせに教育の現場に「ああしろ、こうしろ」と指南している矛盾である。語るに落ちているのである。
MRSAのバンコマイシンMIC2が検出されている患者が敗血症を起こし、当然このMRSAに対峙せねば、という話になった。バンコマイシンを使いたいという執拗な主張を受ける。しかし、その人物はMIC2のMRSAへのグリコペプチドの治療がもたらす影響について臨床的なデータを知らず、ガイドラインの推奨を知らず、そのくせ自らそのような菌に対峙する臨床経験すら持っていない。代替薬たるリネゾリドやダプトマイシンがどのような臓器にどのような副作用をどのような確率でどの時期に発生するのかも勉強していない。
「五人廻し」のキャラではないが、こちとらどの抗菌薬がどの菌にどのくらい効いて、どの臓器にどのような副作用をどのくらいの頻度起こして、どの副作用が可逆的で、どの副作用が非可逆的で、どの副作用が重要でどの副作用はさらっと流せるモノで、どのガイドラインが信じるに値してどのガイドラインが「これはちょっとなあ」なもので、どの患者にはどの抗菌薬が一番フィットして、どの抗菌薬が好ましくない、、そういうことをすみからすみまで全部お見通しなんでえ、べらぼうめ。習慣と雰囲気と上の指示だけで抗菌薬使ってるおあ兄さんとはわけがちがうんだ!と啖呵を切りたくもなるのである。
要するに、ぼくのような内科医が「外科医に手術の指南をする」ような真似はしないでください、皆さん、という話である。
最近のコメント