ビジネス、心理学、教育学などの領域で頻繁に引用されるマズローの欲求のヒエラルキー説(日本では欲求五段階説と呼ばれることも)。こういうピラミッドだ。
http://www.sice-net.com/andre/archives/2010/04/post-69.html
これはマズローが1940年代から開発してきたものだが、「自己実現が最高の欲求」という文脈でこのモデルは日本でもよく見られる。しかし、バブル崩壊後「お金」が価値の全てと言いづらくなった日本で、この「自己実現」はやっかいな産物でもある。自分探し、オンリーワン、、、なんとなく気持ち悪いこのタームにみんなが振り回されているように思う。
実は、マズロー自身はこのような三角形を書きはしなかった。アメリカでも日本でもマズローはとても好まれて利用されるが、正しく引用されていない、、、と指摘したのが「自身も間違って理解していた」というWiningerさんたちだ。
1943年にマズローはモチベーションについての理論をPsychological Reviewに発表する。この「欲求のヒエラルキー」(hierarchy of needs)について、マズローは次々に改定していき、1968、1987年(わりと最近!)と、新しいバージョンを発表してきた。
マズローは欲求をを満たすモチベーションをまとめる理論を開発しようとしていた。それは、ジェームズ、デューイ、フロイト、アドラーやゲシュタルト心理学の概念を借用し、臨床観察や経験的データを用いたものであった。それが、生理的、安全、愛、尊厳、そして自己実現のニーズである。これが人間の基本的な目的たる欲求なのだと彼は述べたのだ。
生理的欲求とは空腹、喉の渇き、セックス、睡眠、それに「母性行動」だとマズローはいう(最後はちょっと意外)。安全の欲求とは、野獣や犯罪などから脅かされたりしないことなどを指す。子どもでは秩序や安定の欲求もこれに入るとマズローはいう(予定通りにものが動くなど)。このような欲求が満たされると、愛・愛情・所属の欲求が芽生える。そして、このような欲求が妨げられると適応障害や心理病理の原因となりやすいのだとマズローは示唆する。
愛の欲求の次に来るのは尊厳の欲求である。これには2つあり、「達成の願望」と「他人からの評判・尊敬の願望」だ。最後に「自己実現」でえあり、これは「人がなれるもの全てになること」(to become everything one is capable of becoming)なのだそうだ。
これらの基本的な欲求に必要な前提条件があるともマズローはいう。「それはそれ自身が目的なのではなく、「ほとんど」そうなのである。これらが基本的欲求に非常に深く関わっているからだ」。そのような前提条件には、自己決定に関する自由、質問や表現の自由、正義を求めたり、事故を防御する自由がある。また、「知識を求めること」が認知欲求2つの最初にリストされている。もう一つの欲求は初期には書かれていなかったが、「美の欲求」(aesthetic needs)である。これは古典的なヒエラルキーには含まれていない欲求だ。
マズローのいう「ヒエラルキー」は、基本的なニーズが条件によって優勢になることをいった。つまり、環境が極端に悪い時には他の欲求が弱まり、生理学的欲求だけがニーズのほぼ全てになってしまうということだ。この「極端に」(extreme)がポイントである。また、下の階層が100%満たされていなくても、より上位の階層は満たされうるのであり、これは「程度問題」である。ヒエラルキーの構造はそれほどリジッドなものではないともマズローは(後に)述べている。人によってはこれが逆になっても良いとすらいう。人によっては自尊心(self-esteem)は愛よりも大事というわけだ。また、マズローは「行い」と「願い」は分けねばならないという。行いは、複数の願いから起きていることもあるのだ。マズローは欲求をかなりフレキシブルに理解していたことになる。特に後期はそうである。
これならば、わりと納得理解ができるモデルである。マズローのヒエラルキーは単なるモデルであり、モデルは道具にすぎないのに、その道具に使われている「かくあるべし」と自己を規定してしまっていることがアメリカでも日本でも多い。でも、マズローが主張した前提はあくまでも「自由」なのである。欲求の階層も強さも個人差があるのであり、またあってよいのである。「かくあるべし」はまじめな教育界で流行しやすい疫病のようなもので、よくよく注意して免疫を作っておかないとすぐに感染する。ということを考えされられた論文でした。
Wininger SR, Norman AD. Assessing Coverage of Maslow’s Theory in Educational Psychology Textbooks: A Content Analysis. Teaching Educational Psychology. 2010;6(1):33–48.
マズローについては拙著「悪魔が来たりて感染症」でも昔書きました。基本スタンスは同じです。
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