リスクだ、というのがこのスタディー。白人だったり条件の問題はありますが、RF高いと入院も増えるのですね。びっくり。
http://www.bmj.com/content/345/bmj.e5244
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リスクだ、というのがこのスタディー。白人だったり条件の問題はありますが、RF高いと入院も増えるのですね。びっくり。
http://www.bmj.com/content/345/bmj.e5244
投稿情報: 14:39 カテゴリー: journal club | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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研究は、ノイズを嫌うので、面倒くさい合併症を有する患者は除外する傾向にある。しかし、ぼくらの目の前にはそういう患者しかいないのだ。こういう研究はいいですねえ。
腎臓が悪いと出血のリスクは増す。この論文によるとワーファリンの使用で虚血性のストロークのriskも増すらしい(なんで?)。とにかく、話は面倒臭い。
結果、、、、透析患者ならワーファリン使ったほうが良い。でも、その効果は微妙。
微妙、なのが大事になる。では、足が不自由な患者ではどうか。目が見えない患者ではどうか。糖尿病ではよくある話だ。よって、患者の状態や価値観が重要になる。名郷先生がよくおっしゃることだが、EBMを勉強すればするほど、患者の個別な情報が重要になる。たいていのエビデンスは「微妙」だからだ。患者との対話は必然であり、それはヒューマニズムの発露ではない、と僕は言いたい。
こういうスタディーを読むと悩みが増える。臨床医学は難しいと改めて思う。それが大事なのである。臨床なんて簡単さ、と言い出したら、それは没落の始まりなのだ。
http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1105594
投稿情報: 21:01 カテゴリー: journal club | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
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まあ、タイトルはあまり気にしないでください。
本日のジャーナルクラブで、偏頭痛があるかどうかを検討したJAMAのRational Clinical Examを読んだ研修医がいた。そのとき、MichelらのPOUNDingクライテリアを使うとLRも24なんで、使えるぜ、というのが件の研修医の解釈であった。
しかし、POUNDing4点以上だとLR24ですよ、というその「4点」は、拍動性頭痛にして持続時間が4−72時間、片側性で、嘔気嘔吐を伴い、動けなくなってしまうのうち4つか5つを満たすとLR24ですよ、という意味である。言い換えるならば「だれがどうみても偏頭痛みたいな患者であれば、偏頭痛の可能性は高いですよ」という意味である。偏頭痛みたいな患者は偏頭痛の患者らしいですよ、というほとんどトートロジーに近い。ウィトゲンシュタインは言及がトートロジーになるかならないかを一所懸命議論したが、ここでもその問題が出ているように思う。
実際、POUNDing 2点以下ではLRは0.45とパットしない。非典型的な偏頭痛は、やはり難しいのである。
そもそも、偏頭痛は現象をコトバ化して診断基準としたコンセンサスによる診断を行う病気である。画像診断(除外以外には)もバイオマーカーも存在しない。要するに、多くの日本の医者が苦手とするタイプの病気である。
そのような現象をコトバの積み上げで表現するのが構成主義的な診断学とここで考えよう(言葉の定義に拘泥したくないので、「ここでは」と限定させてください)。
しかし、部分の積み上げは全体像を形作るであろうか。こてこてなものなら良いが、非典型像はこぼれ落ちてしまう。JAMAの分析は、「偏頭痛ってやはり難しいねえ、あいまいだねえ」という事実を明確に記述しているのである。もちろん、それは学的に意味がある。なんだかよくわからないのと、「なんだかよくわからないのが」よくわかっているのには天地の差があるからだ。
いずれにせよ、構成主義的なコトバの記述で全体を表現するのには無理があり、限界がある。それを強く感じたのは2001、2003年のセプシスの定義である。たくさんの学会が集まって作った精緻なsepsis criteriaは精緻なだけに「なんだかよくわからない」ものになってしまっている。欧米、特にアメリカではコトバに置き換える作業、コンセンサスづくりが大好きで、そういう圧力が強いからそうなるのであるが、実はここには無理がある。
部分の積み上げにより全体像を見るのではなく、全体を全体としてみましょう、というのがゲシュタルト診断学の考え方(by 岩田)である。でも、これは日常皆が行なっていることで、何も目新しいことでも珍奇なことでもない。
AKB48の一番偉い人は大島優子というのだそうだ。ファンは、彼女を見れば即座に彼女と見分けるであろう。街で歩いていても、もしかしたら多少の変装を施していても彼女と分かるであろう。
しかし、僕の目の前に大島優子がいたとしても、ぼくにはそれと分かるまい。全然別の女の子が歩いていて、「あれが大島優子だよ」と言われても、「ああ、そうなの」と思うであろう。ええと、ここまでで僕のAKBの知識のほどは分かったであろうから、ファンの人は怒らないでくださいね。ちなみに、僕は若いころ小泉今日子と中山美穂の区別がつかなくて両方のファンに怒られたことがある。たぶん、今でも区別はつかない。
さて、大島優子が大島優子と同定される根拠はどこにあるか。それはおそらく、コトバにはない。鼻の高さ、眼の形、首の幅、、、こうした要素をコトバにして積み上げていっても、大島優子にはならないし、その近似値にすらならない可能性は高い。また、見たことがない人にとって、そのような要素の積み上げは当の本人を想起させない。
見れば、分かる。ぼくらにとってのsepsisがそうである。それを、要素の積み上げで現象を説明しようとすると、コトバの積み上げで大島優子を表現するような無理が生じる。あるいは「絵にも書けない美しさ(かどうかは知らんけど)」のような特定の個人にしか通用しない、非科学的な言及になる。科学のコトバとは多くの人に共有され、最生産可能なコトバでなくてはならないのだから。
したがって、sepsisを感得するにはコトバではなく、現象を現象のままで見るという姿勢が大事になる。臨床試験をする時とは、異なるコトバの使い方をするのが診療においては大事だ、ということだ。
しかし、とある研修医が反論する。コトバによる表現を否定すれば、それは昔ながらの師匠から弟子への伝承という形をとる。それでもいいのか、と。
それでもいいのだ、と僕は思う。むしろ、そのような師匠から弟子への伝承が、コトバでは捉え切れない、こぼれ落ちる大事なエッセンスを伝えるのに必要なのだ。そういうことの過度な軽視、B29のパイロットを養成するような政治的で経済的な研修医・学生教育は、見直される必要があると僕は思う。それは「効率」を基盤にしない、教育だ。効率を無視しろ、と言っているのではない。基盤にするな、と言っているのだ。
精神科の教科書を読むとどの病気も自分に当てはまり、うつ病かな、人格障害かな、と思ってしまうのは、このゲシュタルトが抜け落ちたコトバを見ているからなのだと思う。実際にうつ病患者や人格障害患者を見ていると、峻別は容易だ(たいていは)。コトバに移せないゲシュタルトがそこではこぼれ落ちずに診察室に現存している。
ソクラテスが本を書かなかったことと、このことは実は深く関係している、、、そういうふうに僕は思う。コトバに置き換えたとたん、わからないものが分かったかのような錯覚に陥るのだ。
しかし、さらに、、と僕は思う。そのコトバ化できないゲシュタルトを、それでもコトバに近似するなんらかの方法があるのではないかと。それが、いまとっくんでいる本の企画です。さて、どうなるか。
投稿情報: 10:36 カテゴリー: 考え方のピットフォール | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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ぼくのアイドル(ロールモデルではない)はポール・ファーマーだが、日本にも國井修先生がいる。たぶん学生の時にAMDAかESSかなにかの講演会をお聞きしたのが最初の邂逅で、とにかく桁外れなスケールとデターミネーションにはああ、と口あんぐり状態になったのを覚えている。
今回、JICA関西のプログラムで神戸大学にお招きすることができた。金曜日にレクチャーをしていただくので、今から楽しみである。
國井先生は、学生時代からインド留学、インドの伝統医学を学び、その後も遺伝子組み換え作物や代替医療にも高い関心をお持ちであった。その反面、先端の感染症学や疫学、公衆衛生学にも精通しており、その複雑で多様な世界観は強く共感できる。活躍の場も、カンボジア、アフガニスタン、ミャンマー、ソマリア、ルワンダ、インドネシア、シエラレオネ、ペルーなど数え切れないほどである。これほど地に足がついたやり方で世界中で活躍した医療者は、そういないはずだ。
医学生や研修医、ナースなど、多くの人にぜひご一読いただきたいのが本書である。口あんぐりを保証します。
投稿情報: 09:31 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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注意! これは神戸大学病院医学部5年生が提出した感染症内科臨床実習時の課題レポートです。内容は教員が吟味し、医学生レベルで合格の域に達した段階 で、本人に許可を得て署名を外してブログに掲載しています。内容の妥当性については教員が責任を有していますが、学生の私見やロジックについてはできるだ け寛容でありたいとの思いから、(我々には若干異論があったとしても)あえて彼らの見解を尊重した部分もあります。あくまでもレポートという目的のために 作ったものですから、臨床現場への「そのまま」の応用は厳に慎んでください。また、本ブログをお読みの方が患者・患者関係者の場合は、本内容の利用の際に は必ず主治医に相談してください。ご不明な点がありましたらブログ管理人までお問い合わせください。kiwataアットmed.kobe-u.ac.jp まで
酒さについて
【疫学、症状】
主に顔面中央に発症する炎症性病変で、肌の白い人(特に北欧出身の白色人種)に最も良く見られるが、黒人にも見られる。30~60歳によく発症し、女性に多く、男性には少ないが発症すると重症なことが多い。まれにではあるが、小児にもみられる。小児においては、腫瘤型以外を起こしやすく、症状は成人まで持続することが多い。治療をしなければ、どんどん悪化していく病気である。症状は顔面中央の紅斑、潮紅が主であるが、丘疹、膿疱が持続的な潮紅に加わることもある。また熱い食べ物や辛い食べ物の摂取、飲酒、熱、日光、ストレスなどの感情刺激により顔面の強い潮紅が見られることがある。
【分類】
4つのサブタイプに分けられるが、このうちのいくつかにあてはまる場合もある。
・血管拡張紅斑型:持続性の顔面紅斑や再発性の顔面潮紅がみられる。
・丘疹膿胞型:主に顔の中心に丘疹と膿胞がみられる。
・腫瘤型:組織肥厚により、不整に皮膚が厚くなる。鼻におこる事が多い。
・眼性型:皮膚の疾患の有無に関わらず、眼瞼や眼球の前方に結膜充血、角膜炎などの症状がみられる。
【診断】
酒さは上記にあげたような症状が特徴的であり、身体所見で診断することが多い。皮膚生検に関しては、例えば血管拡張紅斑型では血管拡張や末梢組織への炎症細胞の浸潤が見られ、腫瘤型では皮脂腺の増殖やムチンの増加が見られることが特徴的である。しかし、これらの所見は非特異的であるため皮膚生検が行われることは少ないが、身体所見において鑑別にあがった他の病理組織学的特異性のある疾患を除外するために皮膚生検を行うことはある。
身体所見上の鑑別疾患としては、血管拡張紅斑型は、日焼けや脂漏性皮膚炎、皮膚筋炎、急性皮膚エリテマトーデスなどがあげられ、腫瘤型ではニキビや局所ステロイド使用によるざ瘡様発疹、口囲皮膚炎などがあげられる。いずれも問診や身体診察、場合によっては皮膚生検により鑑別が可能である。
【治療】
・血管拡張紅斑型:軽症の場合、日焼け対策などを行い、これらで十分に効果がでなかった場合にレーザー、intense pulsed light、メトロニダゾール、アゼライン酸、ブリモニジン酒石酸塩などで治療する。
・丘疹膿胞型:軽度から中等度の場合、メトロニダゾール、アゼライン酸、スルファセタミドイオン化合物などで治療する。多数の炎症性病変を持つ場合や、局所薬で十分な効果が得られない場合はテトラサイクリン系の抗生物質の経口投与が行われる。これでも効果のでなかった場合はイソトレチノインを使用する。
・腫瘤型:まずはイソトレチノインを使用し、さらに悪化するようであればレーザーアブレーションや外科的切除も考慮する。
・眼性型:まずは非ステロイド性抗炎症薬やステロイドの目薬での治療を行い、それでも治らない場合は、経口ステロイドやテトラサイクリン系抗生物質の投与を行う。
【参考文献】
Up To Date; Rosacea: Pathogenesis, clinical features, and diagnosis;7 19, 2012
Up To Date; Management of rosacea ;1 19, 2012.
Up To Date; Ocular rosacea ;3 27, 2012.
Up To Date; Patient information: Rosacea (The Basics) ;8 24, 2011
投稿情報: 20:38 カテゴリー: 学生レポート | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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注意! これは神戸大学病院医学部5年生が提出した感染症内科臨床実習時の課題レポートです。内容は教員が吟味し、医学生レベルで合格の域に達した段階 で、本人に許可を得て署名を外してブログに掲載しています。内容の妥当性については教員が責任を有していますが、学生の私見やロジックについてはできるだ け寛容でありたいとの思いから、(我々には若干異論があったとしても)あえて彼らの見解を尊重した部分もあります。あくまでもレポートという目的のために 作ったものですから、臨床現場への「そのまま」の応用は厳に慎んでください。また、本ブログをお読みの方が患者・患者関係者の場合は、本内容の利用の際に は必ず主治医に相談してください。ご不明な点がありましたらブログ管理人までお問い合わせください。kiwataアットmed.kobe-u.ac.jp まで
不明熱は古典的不明熱、院内不明熱、好中球減少性不明熱、HIV関連不明熱の4つに分類されている。
古典的不明熱とは「38.3℃以上の発熱が3週間以上の間に何度か認められ、3回の外来受診または3日間の入院で原因がわからないもの」と定義されている(1)。主な原因は①感染症(26%)、②腫瘍(13%)、③非感染性炎症疾患(24%)、④その他(8%) である(2)。鑑別疾患の一部を挙げると、
①感染症:肺炎(4%)、膿瘍(4%)、尿路感染症(3%)、CMV感染症(3%)、心内膜炎(2%)、結核(2%)など
②腫瘍:血液悪性腫瘍(8%)としてホジキンリンパ腫(3%)、非ホジキンリンパ腫(2%)、急性白血病(1%)など、固形癌(5%)として乳癌(2%)など
③非感染性炎症疾患:膠原病(11%)として成人Still病(4%)、混合性クリオグロブリン血症(3%)、SLE(1%)、リウマチ性多発筋痛症(1%)など。血管炎(8%)として側頭動脈炎(2%)、多発性結節性動脈炎(1%)など
肉芽腫症(4%)として炎症性腸疾患(1%)(クローン病、潰瘍性大腸炎)、サルコイドーシス(1%)など
④その他:薬剤熱(2%)、詐熱(1%)、DVT(1%)、甲状腺機能亢進症(1%)など が挙げられる(2)。
さて不明熱に対して抗菌薬やステロイドを使用すると何が問題となるかについてであるが、それは確定診断がつく前にこれらの薬物を安易に使用することにより診断が困難となり、その結果適切な治療がなされない可能性があることにあると考えた。例えばTalらの報告によると、不明熱の原因の約1/3が膿瘍や感染性心内膜炎(IE)、結核など治療可能な疾患であることが示されている(3)。しかしながらこのような疾患に対して不用意にステロイドが投与され一時的にでも症状が改善してしまった場合は、真の病気が見逃されてしまう危険がある。また別の報告では、結核患者にて診断前にニューキノロン系抗菌薬が使用されていた場合は、使用されていない場合と比較して、診断がついてから治療が開始されるまでに16日間の差が生じたとされている(4)。これは盲目的に投与された抗菌薬により結核が部分的に治療され、その結果培養が陰性化するなどして確定診断および治療が遅れた典型例である。IEについてみてみると、診断が困難になることもさることながら、その後の治療が大きく左右されることが考えられる。表1のとおり現在IEの起因菌としては黄色ブドウ球菌、緑色連鎖球菌などのものが示されている(5)が、ガイドライン(6)によると、そのそれぞれの起因菌について治療薬が細分化されており、菌の同定を行ってから治療を開始することの重要性が強調されていた。 表1 IEの原因微生物とその頻度
また培養前に既に抗菌薬が開始されているなどの理由により培養 黄色ブドウ球菌:32%
が陰性であるIEについても、患者状態の如何によっては薬をい 緑色連鎖球菌:11%
ったん止めてから再検するなど、可能な限り菌の同定に努めるこ 腸球菌:11%
とが重要であるとされていた。これらを曖昧にし、症状が出た度 コアグラーゼ陰性ブドウ球菌:11%
に適当な抗菌薬治療が行われれば、弁破壊が進行してしまう可能 Streptcoccus bovis:7%
性があるなど、患者が被る被害は多大なものがある。 他の連鎖球菌:5%
以上の理由から我々は、不明熱患者に対しステロイドや抗菌薬 非HACEKのグラム陰性桿菌:2%
を使用は問題であると考えた。確かにこれらの薬物は、患者が訴 HACEK:2% (Fowlerら 改変引用)
える発熱や疼痛などのcomplainを改善しうるという意味で、良好な医師‐患者関係を築いていく上では重要な薬物であることは間違いない。しかしながら、だからといってこれらを安易に投与することは、結局のところ医療者側および患者側双方の不利益につながることになる。不明熱患者の診療において重要なことは、原因が特定できるまで患者の観察やあるいは検査を繰り返し頭を使うことであり、考えることを止め診断がつく前に“場当たり的に”抗菌薬やステロイドを使用することでは決してない。
<参考文献>
1. Harrison’s principles of internal medicine 18th edition, Longo DL et al., 2012 New York
2. de Kleijn EM et al: Fever of unknown origin (FUO). I A. prospective multicenter study of 167 patients with FUO, using fixed epidemiologic entry criteria. Medicine 76:392,1997
3. Tal S. et al., Fever of unknown origin in the elderly. J Intern Med. 2002; 252(4):295-304.
4. Dooley KE et al:Empiric treatment of community-acquired pneumonia with fluoroquinolones, and delays in the treatment of tuberculosis. Clin Infect Dis. 2002 ;34:1607-12.
5. Fowler VG et al., Staphylococcus aureus endocarditis: a consequence of medical progress. JAMA. 2005; 293(24):3012-21.
6. 感染性心内膜炎の予防と治療に関するガイドライン(2008年改訂版) 日本循環器学会他
投稿情報: 20:34 カテゴリー: 学生レポート | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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側頭動脈炎(temporal arteritis)
中型及び大型の動脈の血管炎であり、主に内頚、外頚、椎骨動脈、鎖骨下動脈やその枝において血管内皮障害および血管狭窄と閉塞を生じ、最終的には組織虚血や壊死をもたらす。重要なこととしては内頚動脈とその分枝である眼動脈の閉塞を招くということであり、治療が遅れれば失明を招くということである。
病理組織学的には炎症性単核球が血管壁に浸潤する動脈炎であり、肥厚した内壁の中に多核巨細胞が見られるので巨細胞性動脈炎(giant cell arteritis)とも言われる。
診断のための臨床症状
50歳以上の患者における頭痛、頭皮の痛みやこめかみの痛み、顎跛行、視覚に関する訴え、赤沈亢進が一般的な所見であるが、どの特定の症状がなくとも側頭動脈炎を除外したり可能性を有意に低下することはできないため、常に疑っておくべき疾患である。側頭動脈の数珠状変化、突出および拡張は他の臨床的特徴と比べて高い陽性尤度比である(4.6および4.3)。しかし、側頭動脈の数珠状変化や拡張は進行した症例で見られることが多い。顎跛行は陽性尤度比が4.2と高く、感度には乏しいものの特徴的な症状であるといえる。また複視の陽性尤度比も3.4であるが、複視の存在はこの疾患の存在を疑わせるが感度が低いため(全研究の統合で9%)複視がないことではこの疾患を否定できない。側頭動脈炎治療の最重要点は「如何に視力障害が不可逆になる前に治療で押さえ込むか」ということであり、視力障害が認められその他の症状からも側頭動脈炎が疑わしい場合は生検を待たずして治療を開始することが必要である。ステロイド剤投与後14~28日でも生検にて陽性所見を得ることもある。失明の危険性のある頭痛の疾患としては、急性緑内障発作・側頭動脈炎・脳腫瘍・下垂体卒中などが挙げられる。確定診断は側頭動脈の生検によって行われる。リウマチ性多発筋痛症(PMR)の10~20%の患者に側頭動脈炎が合併するので、PMRの患者に側頭動脈炎の症状がでないか注意が必要である。このように様々な臨床所見が見られ、例えば頭痛あり+顎跛行あり+頭皮圧痛あり+60歳+ESR:50mm/時ならば84%の事後確率が得られる。
側頭動脈炎スコア(50歳以上の患者用)
スコア=-240+48×(頭痛)+108×(顎跛行)+56×(頭皮圧痛)+1.0×(ESR)+70×(虚血性視神経症)+1.0×(年齢)
推定確率=exp(スコア/50)/[1+exp(スコア/50)]
スコア<-110:低リスク(生検結果が陽性となるのは10%未満)
-110~70:中等度リスク(生検結果が陽性となるのは10%~80%)
スコア>70:高リスク(生検結果が陽性となるのは80%以上)
(Yong BR、Cook BE Jr、Bartley GB,Hodge DO,Hunder GG.Initiation of glucocorticoid therapy:before or after temporal biopsy Mayo Clin Proc.2004;79(4):483-491)
治療
眼症状・神経症状がない症例ではPSL30~40mg/日、眼症状・神経症状がある症例ではPSL1mg/kg/日。いずれも3,4週間継続投与し、赤沈・CRPを指標に減量する。減量としては20mg/日までは2週ごとに10mgずつ,10mg/日までは2週ごとに2.5mgずつ,それ以降は4週ごとに1mgのペースで減量する。赤血球沈降速度は炎症性疾患の活動性を評価する重要な指標となり、、ステロイド減量のペースを決定する際に有用であるとされている。ステロイド減量中に60~85%で再発がみられるとされており、ステロイドの増量が必要となる。
参考文献:JAMA版論理的診察の技術(日経メディカル)、膠原病診療ノート(日本医事新報社)、血管炎症候群の診療ガイドライン(日本循環器学会)
投稿情報: 20:30 カテゴリー: 学生レポート | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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iPS細胞を用いた臨床試験絡みの捏造問題で、読売新聞ら複数の報道機関が誤報した件が問題になっている。読売編集局長は「おわび」の文を発表した。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121013-OYT1T00115.htm?from=popin
しかし、
(引用)京都大の山中伸弥教授がノーベル生理学・医学賞を受賞することが決まった直後で、難治の病に苦しむ患者さんにとって「夢の治療」を身近に感じられる記事だったに違いありません。本社には、読者の方から「心強く勇気付けられた」という声も届きました。(引用終わり)
と、患者さんのニーズがあったから、やむを得ない事情もあった、、、、同情の余地あり的なニュアンスのコメントもあるし、
(引用)自ら本紙記者に売り込んできた東大医学部付属病院特任研究員で「ハーバード大客員講師」を称 する森口氏は、口頭での発表を予定していた日、国際会議の会場に姿を現しませんでした。また、ハーバード大も、手術を実施したとされた病院も、移植手術を 否定し、論文の共同執筆者に名を連ねる研究者も、論文の存在やその内容を知らないなどと答えました。「事実だ」と主張し続ける森口氏の説明は客観的な根拠がなく、説明もまったく要領を得ません。私たちはそれを見抜けなかった取材の甘さを率直に反省し、記者の専門知識をさらに高める努力をしていきます。(引用終わり)
と、悪逆な研究者の不当な行為に振り回された、我々も被害者なんだよ、という思いがにじみ出ている。それでも「被害」にあったのはこちらの甘さだから、そこ(だけ)は反省していますよ、と。
事実、新聞週間をネタにした同誌14日の社説ではこの「誤報」について一言も触れていない。この社説が、実にひどい。東日本大震災を始め、自分たちが報道してきたニュースの価値の高さを喧伝し、「世論調査では、「情報や知識を得るために新聞はこれからも必要だ」と答えた人が89%に達した」と「まだまだ新聞は必要」だとアピールする。こういう質問の仕方をすれば、大抵の人はイエスと答えるだろうけど。「新聞」をラジオやテレビや雑誌に変えても同じようなパーセンテージになっただろう。
「新聞が果たすべき役割は大きい。読者の期待に応えて、正確な報道と責任ある論説を提供できているのか。日々、自問しながら、最善の紙面をお届けしたい」とまで書く。ここまで書くならiPSの誤報について全く触れないのはむしろ不自然だ。続く文章はほとんどブラックジョークで苦笑を禁じ得ない。
(引用)「事実を丹念に掘り起こし、真相に迫っていくことも、新聞に課せられた大切な使命である。今年度の新聞協会賞(編集部門)を受賞したのは、読売新聞の「東電女性社員殺害事件の再審を巡る一連の特報」だった。無期懲役が確定していたネパール人元被告が冤罪(えんざい)である可能性を示すDNA鑑定結果を報じた。元被告に有利な証拠を検察側が弁護側に開示せず、捜査を尽くしていなかったことも明らかにした。見立てに合わない物証を軽視する、ずさんな捜査を浮き彫りにしたと言えよう。ただ、元被告は1997年に逮捕されて以来、一貫して無実を訴えていた。なぜ、もっと早く、捜査の問題点に切り込めなかったのか。過去の報道を振り返る時、忸怩(じくじ)たる思いが残る。公権力が適正に行使されているか、厳しくチェックする。改めて報道の原点を確認したい」(引用終わり)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20121013-OYT1T01199.htm
新聞も立派な「権力」であるが(「公」権力かどうかは、微妙、、、)、しばしば新聞は自分たちは権力の側ではなく、民衆の立場にいると思わせたがる。「見立てに合わない物証を軽視」してきたのは、いったいどちらなのか。
さて、読売などのメディアは悪逆な研究者に騙された被害者だった、でよいのだろうか。もちろん、この研究者を弁護する気は毛頭ないが、メディアが無垢でかわいそうな被害者で、「甘かった」だけが問題だとするならば、大きな誤謬である。
日本の科学記事は非常に質が低い。そのことをぼくは、あちこちで何度も指摘してきた。この質の低さが今回のような事件の温床になったのである。
日本の医学記事は、「自分で考えていない」記事である。科学者の提灯担ぎなのである。そして、伝統的に研究者の自己申告、要するに研究者の宣伝である。その宣伝のお先棒をメディアは担いでいるのである。だから、iPS細胞の話を研究者から記者に「持ちかけてきた」のである。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121013-OYT1T00140.htm?from=popin
ニューヨーク・タイムズなどアメリカのクオリティーペーパーにも科学記事は良く載るが、ほとんどが「ニューイングランド」や「サイエンス」といった雑誌に「掲載された」論文を紹介する記事である。しかし、日本では論文になった記事がニュースになることはほとんどない。「この研究の成果はネイチャーメディシンに掲載される予定」、、、みたいなのがほとんどだ。「掲載される前に」報道されるのだ。
ネイチャー・メディシンが記者会見を開くことはほとんどない。研究者自身が、「こんど、俺の研究がネイチャー・メディシンに載るんで、記事にしてくれ」とリークするのである。それにホイホイと記者が乗っかるのである。
今回の研究者もネイチャー、ニューイングランド、ランセットなどにレターを掲載し「論文を載せていた」と述べていたという。調べればすぐ分かる話だ(pubmedで調べたらこの研究者の業績27、、、本日分、、、はすべて簡単にわかった)。研究者の話だけを取材して、元論文を読まないからこうなるのである。このようにして、昔ランセットにインフルエンザ脳症に関する「レター」が報道され、「へんだなあ」と思ったことがある(報道元忘れました。ご存知のかたは教えてください)。
http://blogs.yahoo.co.jp/slow_eco_life_is_beautiful/30855539.html
したがって、日本のメディアが報道する医学記事は大多数が「日本の研究者発」の研究だ。アメリカやヨーロッパの研究者は読売新聞に電話をかけたりしないからだ。本来、科学記事とは科学の成果がなんであるか、を記事にするものだ。研究者がなに人であるかは本質的に関係ない。しかし、日本の場合はそれが「誰が」行ったかを主体にして記事にしているのである。よって、ノーベル賞も受賞内容よりも「日本人か否か」だけが話題の種となる。
研究者が自身のアピールのためにメディアを活用し、メディアは原著論文を読む能力の欠如を研究者のエゴにより補填されている。このような共犯関係は、いわば利益相反に抵触する。
研究者の「アピールだから」当然、業績は誇大広告になる。論文であれば、業績は精緻な議論と制限が加わるが、科学者自身は「偉大な業績」とアピールし、その臨床応用もすぐ近い、、的に言ってしまいがちだ。だから、日本の医学記事ではマウスの実験レベルで「なんとか病の新治療に期待」みたいな記事を作るのだ。日本の新聞が出す科学記事は、だから見出しを読んでも何の話だかさっぱり分からない。記事を読んでもよく分からないものも、少なくない。
これはメディア側だけでなく、それを期待する読者のリテラシーにも問題がある。このような読売新聞の科学記事のあり方を支持してきた1000万人近くの読者のリテラシーが問題なのである。
今回の問題には経歴詐称が絡む。もちろん、経歴詐称はよくない。しかし、詐称は何故起きるのかというと、詐称による利得があるからだ。権威に阿るメディアと読者がいるからなのである。「ハーバードの日本人研究者」と聞いただけで涎を流して飛びついてしまう記者と、デスクと、読者の権威主義が問題なのである。本来、権威主義とは科学の最大の敵なのにね。拙著「リスクの食べ方」では、「ハーバードの研究者」が書いた健康本がいかに「とんでも」なのかを検討している。こういう本が売れている事自体、我々がいかにイメージだけでものを見ているのかがよく分かるのである。
したがって、読売新聞が「かわいそうな被害者」だと自己を認識している限り、同じようなことはまた必ず起きる。リーク、速報、特ダネ的な報道を重視し、速報を重んじ、地に足のついた、熟慮と主体性をもった報道をしない限り、同じことは必ず起きる。そうでないという反論があるのなら、ぜひそれを成果(=意味のある記事)にして、プロの矜持を見せていただきたい、ほんとに。
投稿情報: 08:22 カテゴリー: 考え方のピットフォール | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)
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北里大学北里生命科学研究所の中山哲夫氏が、ワクチンの同時接種に慎重な意見を表明しています。同時接種の安全性に吟味が十分ではない点、欧米で行なっていること「そのもの」を日本で行う根拠にしてはいけないという点はそのとおりで、氏の論考は傾聴に値するものだと思います。
http://medg.jp/mt/
それを踏まえて若干の反論もありますので、ここで述べさせていただきます。
氏は北里研究所でワクチンを開発・製造し、市販後調査を行い、インフルエンザワクチンなど2億もの販売を行なってきたが、死亡例は一例もなかったといいます。そして、それを根拠に有害事象が発生した同時接種に安全性の懸念を表明しています。
しかし、私はむしろ逆に、これまで「一例もなかった」ことが不自然だと考えます。
肺炎球菌ワクチン、ヒブの同時接種後に死亡例が出ていますが、その原因の一つに乳幼児突然死症候群(SIDS)や感染症の発症が考えられています。
厚労省によると、SIDSの発症率は日本で出生4000あたり1人。日本では毎年100万人くらいの赤ちゃんが生まれていますから、ざっと考えると毎年250人くらいの発症になります(SIDSの発症は生後2ヶ月から6ヶ月に多いので、概算ですがそう外れた数字ではないと思います)。平成19年においては158人の赤ちゃんがSIDSで死亡していますから、その死亡率はかなり高いものです。2,3日に1人はSIDSで亡くなっている計算になります。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kodomo/sids.html
予防接種に詳しい方には周知のことですが、ワクチン接種後の死亡報告は「ワクチンを打った後に死亡した」という意味で、「ワクチンを打った『から』死亡した」という意味ではありません。他の原因で死亡する可能性だってあるわけです。中山氏が外国のデータを引用して、「10万人に0.2〜0.5人」の死亡は決して少なくないと述べています。それが「ワクチンが原因で」死亡した場合はそうかもしれませんが、因果関係が明確でない有害事象のデータでは、この数字のみでワクチンの安全性をどうこう断ずることは困難です。
さて、2億も予防接種を行い、その後の「有害事象」として死亡例が「ゼロ」というのはSIDSの発症を考えてもかなり不自然なことと私は考えます。SIDS以外の病気、例えば感染症のリスクなどを考えると、さらに不自然になります。
私は感染症の専門家ですが、「院内感染が起きていない病院」「耐性菌が出ていない病院」というのは一番恐ろしい病院です。ハザード・ゼロとは、ハザードが本当に起きていないのではなく、きちんと報告されていない可能性が高いからです。犯罪ゼロの国が仮にあったら、そこはおそらく警察がきちんと仕事をしていないのです。2億もワクチンを打っていて有害事象たる死亡例がゼロというのはあまりに不自然です。調査が十分ではなかったと考えるのが普通です。
アメリカの予防接種後の有害事象報告システムですら、underreporting、報告漏れの存在が指摘されています。
https://vaers.hhs.gov/data/index
主治医が予防接種との関係性を想起しない場合、有害事象として報告がされない可能性は十分にあります。肺炎球菌、ヒブ共に(不幸なことに)日本では比較的新しいワクチンで、同時接種も新しい概念でした。有害事象報告に対するインセンティブは従来のワクチンに比べて高いのは当然です。
また、今回の同時接種後の死亡例では基礎疾患があった方が3名いました。これまで日本では基礎疾患のある患者へのワクチン接種にはとても消極的でした。ワクチンの副作用のリスクを恐れたからですが、それは同時に感染症に弱い基礎疾患を持つ患者が感染症に苦しむことを看過する態度でもありました。このように、「副作用が起きなければ、感染症で苦しむのも仕方がない」態度のために、日本ではワクチンによる副作用は起きにくかったのです。それが全体としては、子どもの健康、幸せには寄与していなかった可能性が高いのですが。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r985200000167mx-img/2r985200000167oe.pdf
同時接種について、これからもデータを集積していくことは私も大事だと思います。しかし、中山氏が述べる、「これまでの日本のワクチンは単独接種でよかったのに」という論拠は、上記の理由で弱く、説得力を欠くものなのです。
投稿情報: 06:52 カテゴリー: 考え方のピットフォール | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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という話でした。最近のClinical Problem Solvingから。診断前のアプローチは極めてまっとうで、議論が成熟してきたなあ、と思いました。
http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMcps051960
投稿情報: 08:45 カテゴリー: clinical problem solving | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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