昨日は、阪神感染症懇話会で、検疫所や保健所のみなさんの前で「コヒーレントな感染症対策」についてお話する。休憩時間を5分入れたとはいえ、3時間の長丁場である。しゃべるほうもたいへんであったが、聞くほうもたいへんだったでしょうね。ご苦労様でした。
講演はほとんどお断りしているが、つきあいやらなんやらでどうしても断れないものが蓄積する。先週は亀田総合病院でリスク・コミュニケーションについて、その後神戸大学病院の指導医講習会でレクチャー論と初期研修医枠のケーススタディー、音羽病院で総合診療について、翌日は大学病院でグラム染色の演習(学生向け)、姫路で性教育、それで今回のお話。毎回、全部異なる演題で死のロードであった。疲れたピー。
院内感染症については、院内感染対策のプロのほうが圧倒的に経験値も知識も技術も高いのだから、保健所とか行政のような素人が、ああしろ、こうしろと言ってはいけないのだ、現場のことはできるだけ現場に任せるのが正しい、、という話をする。そしたら質疑応答で保健所の方に質問された。確かに院内感染とか耐性菌について保健所はなんのノウハウも持っていないのだけど、医療監視には入って指導しなければならない。どういう指導をすればよいのでしょうか、という質問である。しごくもっともな質問だ。
僕の答えはこうである。私たちの話を聞いてください。重箱の隅をつつくように、あれができてない、これがいけないと手続き論を形式的にあげつらって喜ぶのではなく、「どうして○○ができないのか」「どうやったらもっとよい病院感染対策ができるのか」質問をして欲しい。対話を持って欲しい。
オランダの感染対策行政はそうであった。20年以上の感染対策のベテランが病院監視を行う。できていないことがあれば、「ちゃんとやりなさい」ではなく「どうしてできないのか」事情を聞く。予算やヒトの関係で難しい、ということであれば、「この病院では仕方がないね」と寛恕することもあれば、中央に上げて「もっと予算が必要です」と陳情すらしてくれる。医療監視は病院の敵ではなく、味方なのである。
感染症にまつわる職種、エクスパティースは多い。多いがしばしば同じ方向を向いていない。行政も病院の職員も目指すところは同じである。もっとよい病院になって、社会や患者に貢献することである。同じ目的を持ったもの同志が、なぜ反目しあう必要があるのだろうか。
もっと話を聞くこと。それが、院内感染症のエクスパティースを持たない保健所が医療監視をする際の、正しい態度である。
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