日本学術会議が遺伝子の「優性、劣性」を「一方が劣っているかのような誤解を与える」という理由で「顕性」、「潜性」に変えるよう提案している。
この手の短見は昔から非常に多い。つまらぬことだと思う。
では、問いたいが「劣性」という遺伝子の呼称を根拠に「劣っている」と罵られて何らかの実害を被った方がどのくらいいるのだろうか。日本「学術」会議というくらいなのだから、そのくらいの基礎データはちゃんととってからこの「頭の中」の懸念のリアリティを吟味すべきではないのか。
昔、ぼくが文章で「子供」という言葉を使ったら、「供」に差別的な意味があるから「こども」と書くべきだと意見した人物がいた。その人物は当然大人である。もし、子供という漢字を見てその差別性を苦痛に感じ、ひどい目にあった子供が実際にいたら表記を改めると僕は述べた。その後、そのような苦情を子供から受けたことは一度もない。こういうことを言うのは決まって重箱の隅をつついていい気になっている大人だけである。
コトバは記号に過ぎない。その使い方がインプライするものだけが差別性を決定する。その表現型「そのもの」に差別性はない。そこに差別性を感じた人物自身が、内的に差別感情を内包している可能性はあるけどね。「優性、劣性」と聞いてもぼくはメンデルの豆とか染色体をまず想起する。たいていの人はこのくらいのイメージだろう。医療者なら、常染色体優性遺伝の疾患のほうが臨床的インパクトが強いなあ、と次に思うかもしれない。
要は、「優性、劣性」というのは我々的には「ユーセー、レッセー」という記号に過ぎないのだ。なんなら、「You say, Let's say」とラップ調に表記を変えようと日本学術会議が提案したのなら、少しは話がわかる人たちだ、とぼくは思ったであろう。センセイ、ケンセイでは、現場レベルの聞き間違いの「誤解」で実害を被る可能性が高いはずだ。
花王は「ホワイト」の表記が「肌の色を連想させ、肯定する表現が人種差別に当たる」との理由で取りやめにしたのだそうだ。世のホワイトさんやブラックさんはさぞ困惑したことであろう。ならば、(この手の言葉狩りがわりと盛んな)英国で今やっているウインブルドン大会も白装束だけというルールは人種差別を想起させるから(まさに)玉虫色にしてはどうかと提案し、葬儀のときに黒装束も黒人差別のメタファー(かもしれない)から、レインボーカラーでやってはどうかと提案してはどうだろう。
この話は何度もしているが、キング牧師のスピーチを聞くと、自分たちを「ニグロ」と称している。彼に横から、「キングさん、キングさん「ニグロ」は差別語ですよ」と注進し、そのスピーチを放送するとき放送局が「ピー」と音をかぶせて放送禁止用語扱いにしたら、噴飯ものであろう。「ニグロ」という単語は記号に過ぎない。使い方のみが差別性を醸し出すのだ。
中日ドラゴンズの応援曲に「お前」と入っているから、応援団に使用自粛を要請したそうだが、これも記号たるコトバの重箱の隅をつついているだけのつまらない話だ。お前が元来は尊敬語だとか、そういう語源物語をしたいのではない。語源なんてどうでもいい。今使われている言葉の意味だけが、コトバの意味だからだ。語源主義者は、本当に語源ベースでコミュニケーションを取りたいのなら、目上の方に「お前」とか「貴様」と言っていればいい。そうではなく、応援団が曲に乗せて「お前」といったとき、本当にそれが選手に対する侮蔑や差別の意味を込めていたと信じたのだろうか。もしそう信じているのであれば、そうとうコミュニケーション能力が失調している。上記の「優性、劣性」問題や、「ホワイト」問題などは全て、コミュニケーション能力の著しい欠如を原因とした問題なのである。
コトバの使い方であれば、もっとリアルな問題にメスを入れてほしいと僕は思う。おととい、伊丹空港から秋田に出張したが、初老の男性が若い女性の空港職員をつまらぬ問題で怒鳴りつけていた。「俺様はお前を公の場で怒鳴りつけても許されている立場の人間だ」という態度を顕にしていた。特権的な立場がある、と信じ込んでそれを態度に示すのが差別である。こういう場所で年齢性別関係なく「お願いします」「ありがとうございます」「すみません」というコトバを使えない中高年男性は非常に多い(中高年の女性にも少なからずいる)。これが、リアルな差別だ。真に問題視すべき、コトバの使い方の問題だ。
日本学術会議のメンバーの皆さんは、空港や新幹線やお店でこういう態度、取っていませんか?胸に手を当てて一度考えてみてほしい。
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