毎週金曜日は、感染対策と英語についてのコラムです。
W「「病気がみえる」も欠点ばかりではないっておっしゃってましたね」
I「はい、「病気がみえる」の最大の長所は読みやすさです。カラーも多いし、イラストも多い。この読みやすさにおいては(言語の違いを差し引いても)ハリソンなんかはまったく歯がたたないところだと思います。少なくともここ10年くらいにおいては、日本の医学書は「読みやすさ」という観点からは非常に工夫が凝らされています。文体なんかも含めて。世界的にもかなりレベルの高いとこ、行ってるんではないでしょうか」
M「昔はそうじゃなかったんですか」
I「昔の日本の医学書はそりゃあひどいものでして、「読みにくい」「分かりにくい」の典型だったと思います。医学書に限らず、アカデミックな文章は「読みにくい」「分かりにくい」のが偉い、みたいな間違った観念もあったと思いますし。ニューアカ時代なんかはその代表かな」
M「ニューアカってなんですか」
I「ニュー・アカデミズムの略で、1980年代に「これが最新の思想、学問だ」みたいに流行ったやつです。バブル景気にもシンクロして、やたら難解な言葉をこねくり回して世界や世間をヘラヘラと嘲るような雰囲気がそこにはありました(私見です)。まあ、恥ずかしながら私もそういうの知らないと「ダサい」「ナウくない」という風潮があったので、一所懸命追いつこうと思ったりもしました(反省してます)」
M「や〜、ダサいって死語ですねえ」
W「ダサいってなんですか」
I「知ってる時点で自爆ですね」
M「むぎゅ」
I「「病気がみえる」はサラサラと読んで、病気についてのコンセプトをゆる〜く、がっつりつかむのにとても向いています。初学者が導入部として使うのが適切だと思います。あと、試験対策としてもけっこうイケているのではないでしょうか」
W「どうしてですか」
I「現実世界においては患者さんや病気には多様性があります。いろいろな所見はあることもあれば、ないこともある。平均点が77点のテストでも、実際に77点とっている人は少数派でしょ。77点周囲のぼんやりとした空間を見据えることが大事で、「病気がみえる」ではそのような空間的な疾患把握はできません。ピンポイントで77点の患者の状況しか説明していない。だから、分かりやすいってのもあるんですけどね」
W「なるほど」
I「だから、現実世界では「病気がみえる」で勉強すると、77点以外の患者をこぼれ落として、誤診、見逃しの原因となります。しかし、例えば医師国家試験なんかでは典型像しか問題には出てきません。非典型例は不適切問題扱いされかねませんから。なので、「病気がみえる」で勉強してもうまくいく確率は高いと思います」
W「試験前は覚える分量も多いので、ハリソンとかでゴリゴリ勉強するのは非効率的ですね。そうやって使い分ければよいってことですか」
I「そう、基本的には目的に応じて、それにふさわしいテキストがあるってことです。だから、「何が目的か」を明確にしておくことはとても大切なんですね。さらに言うならば、日本語テキストの、英語テキストに対する最大のアドバンテージ(長所)は「読みやすい」にあると思います。だから、短期的に新しいコンセプトをがっつりつかみたい、みたいなときは日本語テキストを使うほうがより効率的で、効果も高いと思います」
W「決して、日本語全否定しているわけではないんですね」
I「それは、ありがちな誤解ですね。冷静に考えてみてください。我々日本人の最大のアドバンテージは何ですか。日本語ができることです。英米人で日本語読める人なんてごく少数派(いますけど)。しかし、もし我々が「日本語しかできない」ならば、それはアドバンテージとはいえません。外的にはそれは、「特殊能力を持っているけど我々とは関係ない人たち」になってしまうからです」
W「なるほど」
I「我々日本人にアドバンテージがあるのは、英語を勉強して「日本語と英語と両刀使いできる」ときです。そのとき、我々が日本語を使えるという能力が、初めて外的に活きてきます」
M「よく分かりません」
I「うん、これは一瞬で理解できることじゃないかもしれませんが、英語力と日本語力は対になって初めて活きる能力なんです。どっちか片方だけだと活用の広さも深みもまったく足りないのです」
M「金のマスクと、銀のマスクみたい、ってことでしょうか」
I「、、、、まあ、そうです」
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