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以下、「はじめに」を転載します。
はじめに
「診断のゲシュタルトとデギュスタシオン(以下,「ゲシュタルト」と略す)」 の第二弾をお届けします。今回も非常によい本になったと思います。
前回,「ゲシュタルト 1」を出したときに「単一著者の本ではない」という ご批判をいただきました。
確かに,単一著者の書物には一貫したメッセージやビジョン,文体があり, 医学書としての魅力を醸し出します。もっとも,その「単一の」著者がいけてなければ,全部台無しなんですけど。雑誌の特集なんかで,あっちのメッセー ジとこっちのメッセージが矛盾し合って玉石混合...みたいなものを見ている と,「共著より単著」というご意見には,一理あるものと思います。
しかし,です。本書「ゲシュタルト」においては,これは原理的に不可能な話なのです。
「ゲシュタルト」とは,何度も経験を重ねることによって得られるある疾患 のイメージです。「クオリア」と言い換えてもよいかもしれない。それは,実際に患者を経験していないと得られない「クオリア」であり,また何度も経験 していないと得られない「クオリア」であり,そして似たような,別の疾患も 十全に体験していないと得られない「クオリア」でもあります。
ある疾患を十全に経験しようと思えば,そこには適切なセッティングという ものが必要になります。大動脈解離の「ゲシュタルト」を感得するには,救急 のようなセッティングがもっともふさわしいでしょう。一般外来で急性大動脈 解離を経験することは極めてまれで,専門家外来ならなおさらです。心臓血管 外科の専門外来を,初発の急性大動脈解離が「未診断のまま」受診することは ありません。通常は診断の後に送られてくるのであって,そのような「後付け の」観察では,「ゲシュタルト」は涵養しがたいものだとぼくは思います。「心 筋梗塞だろうか,それとも解離だろうか」というフロントラインの切実な悩みこそが,「ゲシュタルト」を生むのです。
では,急性大動脈解離とベーチェット病と統合失調症とウイルソン病と Lewy 小体型認知症のゲシュタルトを執筆できるドクターとは,いったいだれ のことでしょうか。
急性大動脈解離とベーチェット病と統合失調症とウイルソン病と Lewy 小体 型認知症を「経験したことがある」医者ならいるでしょう(ぼくも,その一人 です)。これらを全部診断できる素晴らしいダイアグノスティシャンもいると は思います。しかし,これら疾患すべての「クオリア」を,これらを経験した ことがない医師に上手に説明できる鬼神のようなドクターは,ぼくはまだお目 にかかったことがありません。
急性大動脈解離の「ゲシュタルト」には,救急疾患としてのスピーディーに してリズミカル,そして簡潔な,DJ 的「林節」がよくフィットします。他方, 慢性疾患としてのベーチェット病の多彩でスローな症状のクオリアは,行きつ 戻りつのガルシア=マルケスの小説を読むような「本島(門下)節」こそがふ さわしいものとぼくは思います。各疾患のクオリアは,その疾患の「ゲシュタ ルト」を説明する文体にすら反映されます。単著ではおよそ不可能な話なので す。パーソナリティー障害を説明するとき,「春日節」以上にこの疾患(?) をうまく言い当てる文章を我々は知っているでしょうか。
ですので,むしろ読者諸兄は各疾患における執筆者の違いを文体やゲシュタ ルトの違いを生み出す源泉として,ぜひ肯定的に受け取っていただきたいと思 います。 本書のゲラを読むのは,監修者として大変楽しい体験でした。「そうか,プロはこういうふうにこの病気を見ていたんだ」という「見ている視線」を追体 験できるのはとても幸せなことでした。ぜひみなさんにもこの素晴らしい体験 を共有していただけるよう願っています。
2014 年 7 月
岩田健太郎
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