献本御礼。でも、実はその前に買ってました。実は第一版も買ったのだが、当時は「放射線科医のためのキャリアパスとネタ本」くらいにしか思ってませんでした。読みが甘かったと反省している。
ときどき誤解されることがあるのだが、ぼくは「不要な検査」にうるさい。でも、それは「検査が不要」という意味では、もちろんない。むだなレントゲンやCTは、検査技師さんや放射線科医を軽々しくこき使うことを意味するから、そういう失礼なことはしないでほしい、ということだ。何も考えずに画像検査をオーダーしていると、その先にあるのは患者の不幸だけである。
中部でもアメリカでも亀田でも、レディオロジーラウンドは貴重な勉強の時間であった。指導医クラスになって故あって放射線科を1年間ローテートした友人の内科医は「内科医の分際で読影が分かったつもりになるのは、極めて危険だ」といつも言っていた。そのとおりだと思う。だからぼくはCT、MRIは必ず読影してもらうし、必要があれば電話をして直接所見を伺うことにしている。そうやって画像診断については今も修行を続けている。おそらく生涯修行の身でいることだろう。優れた病理診断医の病理所見、優れた皮膚科医の「皮膚病変一発診断」とかには、アウトサイダーの追随を許さない圧倒的な「格の違い」を感じるものだ。
本書は本当は、放射線科医志望者や放射線科医にむけて書かれた本のはずである。しかし、なぜかぼくのところに献本されてきたし、ぼくも「内科医」やプライマリケア医にぜひ読んでほしいと思う。いろいろ学ぶところがあるからだ。「20年くらい前から「New England Journal of Medicine」の「Case Record」でも放射線科医が画像から診断がわかっていても、それを言ってしまうと討論が続かないので診断を言うことを控えるようなことがよくみられるようになりました」(p40)。という世界観を我々も、「自分の知の体系の外側にあって分からないもの」を垣間見る者として、覗いておくべきだと思う。
それにしても、西村一雅先生の文章はぼくにとってはいろいろ驚きで、38ページのイラストなんて、ぼくが提案したgenecialist manifestoそのまんまじゃないか、と思ってしまった次第である。この論文では査読のために図が取り除かれてしまっているが、本来はこのようなfigureを入れていたのである。この2番目の図と38pの図2-bはほとんどアイデンティカルなのである。
もちろん、画像診断は診断手法の1つに過ぎない。画像診断に親和性の高い疾患と、そうでない疾患がある。病歴聴取に親和性の高い疾患とそうでない疾患、身体診察に親和性の高い疾患とそうでない疾患があるように。例えば、急性白血病は画像とも病歴とも診察とも親和性が低い疾患だ。歯茎から血が、、、みたいな病歴で診断を言い当てるケースはアウトライヤーで、ほとんどは血液検査をしたらアラびっくり、か「まぐれ当たり」である。
ぼくの画像診断能力が放射線科医のそれに到達することは生涯ない。しかし、願わくば、画像診断に親和性の高いカテゴリーに属する患者とそうでない患者の峻別能力は、もっともっと高くなりたいと思うのである。
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