医療において、診断と治療は両輪をなすが、これまでは治療について語られることのほうが多かった。アウトカムが分かりやすいし、何よりお金になる(いや、まじで)。診断をいくら一所懸命論じても、トップジャーナルには載りにくいし、企業はのってこないし、アウトカムも分かりにくい。そもそも、診断とは何か、ということすら、よく分からない。
しかし、近年は脳科学とか認知心理学などの学問を援用したり、ベイズの定理が「復権」したこともあり、「学問としての診断学」にもようやくスポットライトがあたってきた。診断に関する本も多い。ぼくもいくつか書いたり、訳したりしている。
本書は志水太郎先生の新刊だが、ここのところの「診断本」でダントツに面白い。ぼくが書いた本らよりも、ずっと面白い。そのことが悔しくすら感じられないくらい、ぶっちぎりで面白い。
本書の何が面白いかというと、その最大の理由は「自分の魂と言葉が込められている」点にあるとぼくは思う。
診断関係の本の多くは、「診断学」についての本である。診断学は「診断がいかになされているか」「誤診はどのようにしておきるか」を説明する学問である。診断学を勉強すると、学問的な英知は増し、より上手に現象を説明できるようになるが、診断そのものが上手になるとは限らない。診断学のオーソリティーが診断能力そのものはとんちんかん、というのはよくある話だ。経済学者は起こった現象を上手に説明するが、「将来どうなるか」「これからどうすべきか」という問題になると異論続出になり、「俺以外はみんな間違っている」とお互い口汚く罵り合う(そして、彼らの予言はしばしば間違える)。ま、そんな感じである。
本書の場合、オーセンティックな診断学を十分に勉強し、しかしそれを実践に用いている、という魂がしっかりとかいま見られる。地に足のついた文章は、地に足のついた診療の姿がかいま見られる。本書の筆者は若いが臨床の経験値(経験数にあらずp18~)は高い。その智慧が学問上の知識を非常にリッチにしている。
魂を感じる理由はもうひとつある。通常、「お勉強」をしてしまうと、「海外ではこうなっている」「なんとかさんはこう言っていた」という伝聞口調になる。医学に限らず、日本の学問領域の過半数はこの「海外ではこうなってる」「なんとかさんはこう言っていた」に終始している。
ところが、志水先生の場合、海外ではこう、を血肉にして、自分のものにしてしまう。シンプルにモデル化は、海外でよく行われているが、それを、System 3, pivot cluster strategy, horizontal-vertical tracingと「自分の言葉」で概念化している。学問の形式ではなく、学問の魂をきちんと自分のものにしているのだ。
本書の内容の多くは類書にあるものであり、「そんなことは、おれもやっていたよ」と言う人もいるかもしれない。しかし、それを自分の言葉でモデル化し、言語化するところが新しいのであり、「コロンブスの卵」なのである。モデル化すれば、自分の頭は整理され、そして整理されたことが自覚される。また、ノヴィスに教える時に、それは活かされる。
多くのビジネス・モデルにはエビデンスがなく、またその賞味期限は短い。流行り廃りでビジネス・モデルを語ってしまい、「最新のビジネス・モデル」に飛びつくことがかっこいいと思ってしまうからだ。ビジネス・モデルに通じた人が「安っぽく」見えてしまうのは、そのためだ。
でも、流行の服や音楽に飛びつくようにモデルを振り回してはいけないとぼくは思う。モデルは手段であり、目的ではない。臨床上必要だから、モデルがあるのであり、とりあえずモデルを作って、学問ごっこをして、診療をもてあそんではいけないのである。本書のモデルが診断というニーズから必要に迫られて送出されたことは、文章の端々から察することができる。現場の診療が先にあって、その先にモデルがあるのだ。
診断の営為は複雑で、多くの熟練者はその複雑さを複雑さのままに診断努力を行う。それは、正しいやり方だ。しかし、それはノヴィス(新米)にはブラックボックスにしか見えない。シルクハットから兎を出すような診断にしか見えない。だから、複雑な概念もできるだけシンプルにモデル化する必要がある。アメリカはこの技術に長けているが、アメリカの直輸入ばかりでは「血肉」がない。多くの人はVINDICATEって言っても、実はCとかTとかあんまり関係ないよね、と心の底では思っている。でも、VINDICATEを知っている、というところで満足してします(ひどいのになると、VINDICATEを知らないと軽蔑の対象にすらする!)。でも、それをMEDICINEと書き直す努力と工夫は、ほとんどの人が(ぼくも含めて)やらない。それは、「VINDICATEなんてもう古いよ、今はMEDICINEの時代だよ」という知識の流行を追っかけるのとは全然違う態度である(今トレンドの知性、というのを追っかけるのは日本の知識人層や学術界の悪弊なんです、ほんと)。
本書はこのように、「学ぶこと(文献を読む)」、「行うこと(態度と実践、、、たとえば患者の前で30秒沈黙を保つこと)」、「考えること(新たなモデル化、概念化、ノヴィスへの教育方法の模索)」、そして「アウトプット」のバランスが見事に取れた本なのだ。そして、学び、行い、考え、そしてアウトプットというのは診断の営為そのものなのである。
今から予言しておくが、本書を非難する人(特にベテラン医師)はけっこういると思う。影に日向に。曰く、英語のmnemonicが多いアメリカかぶれだ、曰く、俺は前からそういうことは(言葉にはできなかったけど)知っていた、曰く、臨床現場はそんなに甘くない(俺の方がもっと苦労してんだよ)、曰く、最新のなんとかいう論文は本書に引用されてない(おれのほうが知ってんだよ!)、、、、でも、そんなのは全て、「後知恵」であり「負け犬の遠吠え」に過ぎない。われわれが紳士(淑女)として行うべきは、本書のように優れた本が日本で出たこと(諸外国にもこういう本は希有だと思う)に心から感謝し、明日からの診療と教育に最大限に応用して恩返しすることだ。LT、青木、藤本、徳田という診療の巨人たちが絶賛する本書を非難しても、己の嫉妬心は慰められても、その品位は下がるばかりなのである。
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