あこがれのポール・ファーマーの著書を、これまたあこがれのみすず書房から出します。ぜひご覧ください。以下、あとがきドラフトです。
訳者あとがき
ポール・ファーマーの著書、Haiti After the Earthquake (Public Affairs,2011)の日本語版をお届けします。
ファーマーは日本ではそれほど知名度は高くありません。アメリカではピューリッツァー賞受賞作家のトレーシー・キダーがノンフィクションMountains beyond Mountainsでファーマーを紹介し、本書がベストセラーになったことで一躍有名になりました。この本は『国境を越えた医師』というタイトルで邦訳も出ていますが(竹迫仁子訳 小学館二〇〇四年)、あまり話題にはならず、すでに絶版になっています。
ポール・ファーマーは、医師に必要な全ての属性を備えた、一種の理想像だと思います。マサチューセッツのノースアダムスで生まれたファーマーは、デューク大学で医療人類学を学び、その後ハーヴァード医学校に進学して医師(MD)になり、さらに医療人類学の博士号(PhD)を取得しています。日本ではMDとPhDを両方持っている医師はざらにいますが、アメリカでは博士号取得のハードルが高いこともあって、両方持つ医師はごく少数です。自然科学に属する医学と、社会科学に属する人類学の両方を専門に持つファーマーの知性、幅の広さ、懐の深さが察せられます。
ファーマーは行動の人でもあります。一九八七年、彼は(本書にも登場する)オフェーリア・ダールやジム・キムらとパートナーズ・イン・ヘルス(PHI)を設立し、ハイチのカンジェで医療活動を開始します。貧しい人にまっとうな医療を提供しようと奮闘するファーマーとPIHの有り様は本書でも十分に描かれています。PIHは活動拠点をロシア、ルワンダ、レソト、マラウィ、ペルーと拡大していきます。ファーマーは各地を飛び回りながら、臨床医として患者を治療します。オーガナイザーとして組織を大きくしたり、資金獲得に飛び回ります。ときどきボストンに戻っては医学生たちを教育し、病棟回診をして研修医たちを教育します。ファーマーは貧しい人たちの味方ですが、金持ちの敵ではありません。ジョージ・ソロスやトム・ホワイト、ビル・クリントンといった大物たちと交渉し、説得して活動資金を獲得し、医療政策・海外支援政策を後押しさせます。
学術的にもファーマーは非常に優れています。ファーマーたちはペルーで難治性の多剤耐性結核を複数の抗結核薬を用いて大多数治癒できたという学術論文を発表したりしています(NEJM 2003; 348:119-28)。それはノーベル賞級の大発明・大発見ではありません。しかし、誰もが「途上国での多剤耐性結核治療なんて無理だよ」とあきらめていたとき、世界で初めて「それは可能だ」と実証したのです。ファーマーは実験室で新薬の開発をしたりはしません。しかし、既存の薬がちゃんと現場で用いられれば、貧しい国でも、貧しい患者でも治すことができること、ヘルスケア・デリバリーの重要性を学術的に実証してきたのです。ヘルスケア・デリバリーに関する学術研究は非常に少ないのですが(みんな、実験室での研究のほうが好きなんです)、ファーマーはこの領域において、『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』『ランセット』『ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・メディシン』といった一流誌に何度も論文を発表しています。
キダーの Mountains beyond Mountains に、訳者がとりわけ好きなシーンがあります。一九九九年一二月、ファーマーはボストンのハーヴァード系のブリガム病院である患者を診察していました。HIV陽性で、喫煙者で、アルコール多飲者で、コカインとヘロインを常用しているホームレスの男性が肺炎で入院してきたのです。食事も満足にとっておらず、やせこけたその男性の肺炎をファーマーは治療します。彼を説得してHIVの治療を継続させ、ホームレスのための施設に入所させます。そのとき、男性は半ダースのビールが飲みたいと言います。このままホームレスの麻薬常用者でいつづければ、男性は寒いボストンの冬を越せず、凍死してしまうでしょう。
「凍えて死んじまうか、あるいは」とファーマーは言う。「施設に入ってビールを半ダースか、夕食にワインかだ。どちらがいいかはわかっている。大事なのは、居場所が決まったら、薬を飲もうと思えば、ちゃんと薬が飲めるということだ」。[中略]
ファーマーの友人が、ジョーが入所できるホームレス施設を見つけてきたが、もちろん、ソーシャルワーカーはファーマーに飲酒は禁止されているし、いくらもっともな理由があってもそれは曲げられないと話した。それでも、ジョーの場合は特別に許してほしいと彼はねばった。議論に勝ちたかったのではなく、おそらく、約束を守りたかったのだ。
ファーマーはクリスマスもブリガム病院で働いていた。数時間、彼は病院を抜け出して、外の患者を見舞った。みなにプレゼントを持っていったが、もちろんジョーにもあった――中身が分からないように包んだ半ダースのビールだ。(竹迫仁子訳『国境を越えた医師』より)
そう、ファーマーは優れた臨床医にして、洞察力豊かな人類学者、教育者としても一流で、したたかなネゴシエーターでもあり、組織の運営や企画立案能力も高く、学術研究にも優れ、かつ患者に対する暖かいまなざしとウィットまで持っています。清濁あわせ吞む度量もあり、単にナイーブな正義漢ではありません。医師としての理想像がここにある、と訳者が思うのは、そういう理由からです。ファーマーは訳者にとって、ロールモデルですらありません。あまりに気高すぎて、近づこうという気を失わせるくらい、偉大な存在です。その徹底的に利他的な人柄故、ガールフレンドだったオフェーリア・ダール(ロアルド・ダールのお嬢さんです!)も気後れしてしまい、別れてしまいます(友情は続きますが)。ファーマーの愛情は患者のほうに、貧しい人たちの方にいつも向いてしまうのですから……。
さて、本書はそのポール・ファーマーが二〇一〇年一月一二日に起きたハイチの大地震後の奮闘の記録です。
この地震では三〇万人以上の人が亡くなっています。なぜハイチでこれほど多くの被害が起きたかについては本書のファーマーの説明をお読みいただくのがよいと思います。が、これほどの大震災のことを、我々日本人のどれくらいが記憶しているでしょうか。確かに、当時日本からも支援チームが派遣されたりしましたが、地球の遥か離れた場所で起きた大震災について、我々は比較的無関心だったのではないでしょうか。心を乱されたり痛めたりすることなく、普通に日常生活を送っていたのではないでしょうか。
現に、この文章を書いているのは二〇一三年一二月二〇日のことですが、そのほんの一カ月前に起きたフィリピンの台風についてなど、我々はすっかり忘れてしまったような気がします。辞任した東京都知事や射殺された餃子店の社長や、オリンピックやクリスマスの話題で、フィリピンのことは誰も話題にしなくなりました。
それは訳者自身の反省でもあります。自分のブログ(http://georgebest1969.typepad.jp/blog/)を読みなおしても、ハイチの地震に関する記載は一回だけ。いかに自分がこの地震に無関心であったかが分かります。いや、それを言うなら、ハイチのこれまでの困難、地震の前からすでにあった困難の歴史についても訳者は無知、無関心でした。一〇〇万人以上が死亡したといわれるルワンダの内戦、虐殺についても無知、無関心でした。フツ族とツチ族が争って、くらいの知識はありましたが、「なぜ」そんな争いが起きてしまったのかは、本書を訳出しながら慌てて勉強せねばなりませんでした。
そして、ファーマーは、我々に「そういう貧しい人々の苦悩に無知、無関心でいてはいけない」とメッセージを発し続けています。行動し続けています。本書もそういう思いで書かれたものだと思います。
いくら訳者がハイチの苦悩に無知、無関心だったとしても、「今」この時期に本書を読むと、胸をえぐる強い感情が沸き上がるのを抑えることはできません。言うまでもなく、二〇一一年の東日本大震災という体験が、ハイチの地震の記録をずっと近いものにしています。今なら、これまでにない大きな共感を持って、ハイチの苦悩の歴史、震災時の奮闘を学ぶことができます。日本人が「今」、二〇一〇年のハイチ地震とポール・ファーマーたちの奮闘を読み返すことに、大きな意味があると訳者が考えるのはそのためです。本書を訳出しようとした最大の理由はそこにあります。
ファーマーは今も戦い続けています。貧しい国と豊かな国で、受ける医療が違っているのは当たり前だ、というあきらめ感と戦い続けています。そんなの、当たり前じゃない、と訴え続け、そしてそれを実証しています。ハーヴァードに来る患者とハイチやルワンダの患者は同じ治療を受けられるべきだ、受けることは可能なはずだ→?と活動を続けています。
ハイチでHIV陽性者への抗ウイルス薬(ART)の提供率は二〇〇九年に三〇パーセント程度しかありませんでした。二〇一二年にはこれが六〇パーセントまで上昇しています。二〇一二年のハイチにおけるHIV感染者の割合は二・二パーセント、これは一九九三年の六・二パーセントからの大幅な減少です。ルワンダではHIV陽性者全員にARTへのアクセスがあります。アフリカで同じことができているのは、はるかに豊かなボツワナだけです。ルワンダの分娩時母体死亡率は激減し、小児死亡率は世界平均と同じレベルにまで減少しました(NEJM 2013;369(25):2424–36)。ファーマーは理念の男です。そして、その理念を実践する男でもあるのです。PIHはメキシコで新しいプロジェクトを立ち上げ、我々はミバレに完成した美しい病院をホームページから見ることができます(http://www.pih.org/)。ファーマーとPIHはこれからも貧しい人たちのため、病人のために奮闘し、活躍し続けることでしょう。そして、我々も彼らに無知・無関心でいることなく、自分にできることをささやかながら続けていきたいと思っています。
もうひとつ、前述のように、訳者はファーマーを医師の一つの理想像、スーパーヒーローとして捉えていました。しかし、本書では”Mountains beyond Mountains”には見られなかった弱気なファーマー像も描出されています。キダーの目には鋼鉄の意志を持つ男に見えたのでしょうが、本人にしてみればつらいこと、悲しいこと、悩ましいこと、不安なこと、不明確なことでいっぱいなのでした。ハイチの圧倒的な悲惨な状況を考えれば、無理なからぬことです。でも、本書を読んで訳者は益々ポール・ファーマーのことが好きになりました。そのような人間的な弱さと、スーパー・パフォーマンスの共存が、彼をより魅力的な人物に感じさせたのだと思います。
本書の訳出はもっと早く行う予定でした。日常業務に謀殺されて、訳出が遅れてしまった――というのは言い訳に過ぎません。訳者の英語力不足、ハイチやルワンダの知識不足。ファーマーの頭脳の回転が速すぎ、訳者の回転が遅すぎて、あちこちにトピックが飛び回るのについていけない。いろいろな困難が訳出を遅らせ、訳者を怠惰にし、作業は大幅に遅れてしまいました。本書の刊行にご尽力いただいたみすず書房の中川美佐子さんにこの場を借りて心からお詫びと御礼を申し上げます。
二〇一三年一二月 厳寒の神戸より
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