献本御礼。
さて、本書を読み始めて数ページで何をしたかというと、すぐに感染症内科実習の必須教科書に指定した。チュートリアル部屋と初期研修医部屋にも購入するよう提案。できれば、神戸大病院内科系(救急含む)指導医全員に配って回りたいくらいである。
本書は「レファレンス」であるから、本来は必要に応じて辞書的に読む本なのかもしれない。しかし、頭からお尻まで通読するのも、悪くない。すでに了解済みのところはとばしながらではあったが、あっという間に読み通せた。下手な小説よりも遥かにページターナーな本である。
しかし、内容は実に重厚である。本書は上田剛士先生の単独書であり、かつ酒見英太先生の監修が入っている。引用されていないものも含めると1万以上の論文を参照しているという。洛和会で7年近くかけての大著である。単独著でこれだけ重厚、エンサイクロピディックな本というと、青木眞先生の「マニュアル」、Marino、Cunha、Cope(Silen)、などが思い出される。しかし、感染症や集中治療といった一領域のみならず、外科や精神科も含めてこれだけの膨大な文献を読み通せるドクターはちょっと存在しないのではないだろうか。
本書は診断に力点を置いた本である(もっとも、治療についてもかなり詳しい言及がある)。診断学の本というとSapiraにせよWillisにせよ病歴と診察が中心のことが多い。本書もまた、病歴聴取と身体診察の徹底においてはこれらに引けを取らない。
(失神は)病歴、身体所見、心電図を合わせれば、ほぼ100%で心原性失神を検出することが可能である。P23
重度の大動脈弁狭窄症、閉塞性肥大型心筋症、肺高血圧、心房粘液腫や血栓による閉塞は、病歴と身体所見および心電図で通常は異常が指摘できるので、これらに異常がなければ心エコー検査は必須ではない。p24
(脳血管疾患について)頭部CTも脳波も頸動脈エコーも疑いが低ければ行わなくてよい。p25
が、同様に本書は各種の検査についても価値ニュートラルである。検査に関する言及も実に多い。要はちゃんと診断できることが大事なのだ。
(急性腹症について)重篤と考えても診断がはっきりしなければCT検査が有用である。p72
腫瘍マーカーについても価値ニュートラルである。一般に(一部の例外を除き)、腫瘍マーカーは腫瘍の診断やスクリーニングには有用ではない(治療効果の判定やフォローに有用)が、現場では診断目的で乱用されている。しかし、使い方によっては診断にも役に立つらしい。例えば、癌性腹膜炎におけるCEA腹水/血清比(p177)、癌性心嚢水におけるCEAやCYFRA21-1(p223)、肺非小細胞がんにおけるCYFRA21-1や小細胞癌におけるProGRPなど。p559
日本の医療は診断に弱い。それは、医学部や初期研修において診断学をシステマティックに教わっていないからだ。神戸大でもそうだし、全国の医学生に聞いても、きちんとした診断アプローチは教わっていない。外国の医学生と比較するとその差は歴然としている。いやいや、診断学講義はある、という人もいるかもしれないが、そのほとんどは「検査学」である。MRIのメカニズムとか、心電図の読み方とか。
診断的アプローチは、患者の訴えから系統立てて問題点を整理し、アセスメントをたて、そして妥当に検証することを言う。しかし、指導医・専門医クラスですら系統的な診断を苦手とすることが多い。自分が診た患者の集積から、経験値だけで診断しようとする。だから、自分の科(臓器)の病気のミミックに無関心だったり、検査属性を勉強せずに検査陽性例だけを相手にしていることが多い。「○○が陰性なので、なんとか病は否定的です」とその病気のスペシャリストがさらっと言い切ってしまう誤謬は驚くほど、多い。その場合、検査や診察所見の尤度比など吟味されず、構造的な見落としが行われていたり、抗菌薬やステロイドのヤケクソ療法で問題がうやむやにされている可能性が高い。診断アプローチについては、教科書的に、系統だった勉強が必要なのである。しかし、すでに指摘したように日本の内科の教科書は、その辺がとても弱い。本書はその欠落を補完する意味でも、価値の高い本である。
多いけれども見逃されやすい心因性疾患についても記載があるのも素晴らしい。Hoover signとか、Babinski trunk-thigh testとか、勉強になります。例えば、以下のような情報も役に立つ。
PSVTが確認されている患者の67%がDSM-IVのパニック発作の診断基準を満たす。(中略)心因性の動悸は除外診断によってのみなされるべきである。p14
本書はきわめてクール・ヘッドな本だが、同時に熱いハートの本でもある。このへんも上田先生らしさがでていてよいと僕は思う。
病歴聴取と身体診察はくまなく・繰り返し・しつこくが基本であり王道である。p40
(輸液や栄養について)実際には緻密な計算も患者の個人差の前には無意味であり、大切なのは患者の評価と再評価である。p55
本書のもう1つ素晴らしい点は日本と日本人における疫学データも丁寧に調べていることだ。UpToDateやDynamedばかり使っていると、失敗するわけで、やはり元文献を丁寧に探して調べるって大事ですね。
(反応性関節炎などについて)日本人では(HLA-B27の)保有率が0.1%-0.5%と低いため、陽性であれば診断的価値は高いと思われる p403
日本人のぶどう膜炎は特発性が最も多く、次いでサルコイドーシス、Vogt-小柳-原田病、ベーチェット病の3つが多い。p682
通常、「エビデンス」というと、治療に関するエビデンスをさすことが多い。要するに、RCTである。大きなお金が動き、製薬メーカーが関与し、インパクトファクターの多い有名誌に論文が掲載される。一方、診断に関するエビデンスは小さな雑誌に載ることが多い。JAMAのような「まとめ」を参照するか、上田先生のように根気づよく、好奇心豊かに、コツコツと調べ上げねばならない。本書は内科領域のみならず、国内外のあらゆる領域の専門誌を参照しており、その点は驚異的だ。
日本では8,275例の法医解剖の0.8%が腹上死で、心原性が50.7%、97%が男性[Nihon Hoigaku Zasshi. 1963 Sep; 17: 330-40]
1963年の日本法医学雑誌掲載論文を探して、腹上死の疫学を調べるなんて、上田先生以外にはできないのである。
クリニカルパールも多い。
LDH単独上昇が見られた場合は腎梗塞を必ず鑑別に上げる。p373
ラーメンを食するなどの軽度の過換気で起こる(失神は)もやもや病を考える。p28
(たぶん酒見節と思われる)マニアックなネタも多い。
腸閉塞で放屁がないのは90%で、(中略)排便だけでなく放屁の有無も必ず確認したい。p78
鼠径リンパ節は特に素足で生活している人では健常者でも1-2cmのサイズになりうる。p6
本書はエキサイティングな本でもあるが、反省を促す本でもあった。無症状のフリーエアーは診療上観察するが、その原因を調べたことはなかった。p87 自分がいかに臨床上の疑問をほったらかしにし続けていたか、痛感させられた。襟を正して、また勉強して参ります。
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