いくつかの日本の学会をはしごしたあと、アメリカの感染予防学会(とでも訳すのかな?APIC)に来ている。それにしても、梅雨の日本から来たのに、Fort Lauderdaleはあづい。むしあづい。
ぼくは学会ってあまり好きではないので普段は行かないのだけど、薬剤師の向井さんが発表するのでカバン持ち、、、じゃなくて、後方支援である。薬剤師さんやナースが国際学会でどんどん発表するのはとてもよいことだ。それをエンカレッジするのは教員の責務である。神戸大学の教員、職員がノリノリで研究し、病院をよくしていく雰囲気を作っていくのが僕らの責任。足を引っ張るのは言語道断だ(大学ってなんでこう他人の足を引っ張るのが大好きな人が多いんでしょうね。寂しいからでしょうね)。
さて、プレナリーを聞いていて、APICの面々が医療関連感染を減らすぞ、APICの存在価値をパブリックに示すぞ、結果を出すぞ、と崇高な宣言を多々聞いて、あらためて思った。アメリカは高い理念の国だなあ、と。
その高い理念にアメリカフィルはメロメロになる。ただ、アメリカの感染対策も現実は厳しい。なかなかうまくいっていない。その高い理念とあまりにダンチな現実とのギャップに、アメリカフォビアはうんざりする。でも、片側だけで評価してはダメだ。フィルもフォビアもダメだ。両方見ないとアメリカは分からない。メロメロでも、うんざりでも、だめだ。
さて、日本である。アメリカと日本を比較することは、あんまり意味が無いことだと普段は思っているが、今日は気まぐれに、比較する。
日本は、そもそもその「理念」そのものが欠落した国である。アメリカを見ていると本当に、そう思う。あるのは手段、手続きだけである。
麻疹が流行ると、「じゃ、麻疹対策」、風疹の問題がメディアに騒がれると、「じゃ、風疹対策をしなければ」となる。「風疹対策をすること」そのものが目的になる。じゃ、風疹をどうしたいのか。日本をCRSの存在しない国にしたいのか、年間数例なら看過してもよい国にしたいのか、そこは判然としない。目的がなく、理念がない。白洲次郎的に言うならプリンシプルがない。あるのはただ、手段と手続きだけだ。「ポスターで「ワクチンを打ちましょう」にしようか、「ワクチンをご検討ください」にしようか」、そんなくだらないことばかりをうじうじと議論するだけだ。
石川雅之さんが風疹を漫画にされた時、あれを使っていいですか、という問い合わせをたくさんうけた。石川さんもぼくも「どうぞ、どうぞ。使ってなんぼですから」と快諾したが、ある保健所が「最後の風疹対策どうすればいいの?だけ外してよいですか。うち、風疹ワクチン予算つけておすすめ出来ないんです」といわれた。ぼくは激怒り。「どうすればよいのか、を外して漫画だけ出しても意味無いでしょ。保健所がなんか仕事している「ふり」ができるだけでしょ。予算が付けられなくても「理念」は語れるはずだ。本来はこうあるべきだ、でもうちはお金がなくてごめんなさい、と言えばいいだけの話じゃないですか。見てる方向が全然間違っています」
目標らしきものをかかげることもあるが、あれは建前、スローガンにすぎない。「がんばろう、と言っているんだから、目標ぐらい作らなきゃ」ってな感じである。厚労省は2012年を麻疹撲滅の目標年に掲げたが(とはいっても、WHOがやったので、重い腰を上げたに過ぎないが)、2013年の今も麻疹のケースは報告され続けている(風疹の影に隠れているが)。その落とし前はどうなったのだろう。目標が達成できなかった総括はどうなっているのだろう。結局日本の麻疹をどうしたいのだろう。とほほ、なんちゃってなスローガンだけがそこにある。
だから、何度も何度も「なんとかの総括」で日本版ACIPを、日本版CDCを、みたいな話がでるが、未だに実現しない。そうこうしているうちに、中国のCDCがインフル対策で良い仕事をして、B型肝炎ウイルスも定期化して、、、、、もう日本は取り残された感じである。予防接種三流国日本は、途上国(だった国)にも追い抜かれて、もう周回遅れの様相だ。日本感染症界は昔からガラパゴス状態だが、周辺の島のほうがガラパゴスを追い越す有様である。
学会でもそうである。アメリカの学会では「どうあるべき」がまず最初に来る。理念を先に語る。日本では「うちの病院はいまこんな感じです」という現状説明ポスターがずらりと並ぶ。現状を説明することにはとても精通した人が多いが(官僚はこの方面の名人だが)、そこには未来がない。
専門医制度も、現実とのすり合わせばかりである。すり合わせが不要だと言っているのではない。そこから始めるのが問題なのだ。まずは理念を語るべきだ。理想像を描くべきだ。そこから、そこにたどり着くための岐路を想定すべきだ。で、最後の最後にすり合わせなのだ。仕事の順番が、ほとんどの場合逆なのである。
抗菌薬の届出制度や許可制は手段にすぎないが、「あんなものは意味が無い」とアメリカの感染管理者には一括された。僕もそう思っている。でも、日本では「加算をとるのに必要だ」と届出制が採用される。加算だって手段の一つにすぎないのに、それが目的化している。アメリカ人が聞いたら、理解不能だと首を傾げるだろう。
院内感染であれば、例えば僕なら「カテ感染はゼロ」を目指したい。SSIもミニマルにしたい。手洗い遵守率を80%以上にしたい。そのための手段である。加算をとって、会議をやって、マニュアルを作って、、、は最後の最後でチョイチョイと申し訳程度にやればよいのだ。会議やマニュアルでものごとがよくなることは、稀有である。日本のほとんどの病院は順番を間違えている。
APICに参加する日本人も増えているという。表面的な様相なんかどうでもよいから、アメリカの感染対策の「キモ」を見て帰ってほしい。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。