4年生のTBLに使いました。ちと難しかったかな。一緒に聞いてた初期研修医は診断分かりましたね。えらい。
http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMcpc1208149
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4年生のTBLに使いました。ちと難しかったかな。一緒に聞いてた初期研修医は診断分かりましたね。えらい。
http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMcpc1208149
投稿情報: 12:11 カテゴリー: clinical problem solving | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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これは研修医がわざと情報を隠してプレゼンしてくれました。よってとてもおもしろくなりました。プレゼンターの技量も大事です。
http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMcpc1110051
投稿情報: 08:50 カテゴリー: clinical problem solving | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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これも良いケースで、研修医の勉強になったと思います。
http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMcpc1201414
投稿情報: 08:48 カテゴリー: clinical problem solving | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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やはり内科の基本というか、、、。実際こういう患者さん来たらエキサイトするでしょうねえ。
http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMcpc1000968
投稿情報: 08:43 カテゴリー: clinical problem solving | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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正直言うと、あまり期待はしていなかった。小説でも映画でもパート2,二番煎じはパート1を上回らないものだ。でも、ティアニー本だからとりあえず買っとけ、というのりで買った。
すみません。LTナメてちゃダメですね。素晴らしい内容でとても勉強になりました。
trepopnea(扁平呼吸)は実際にサンフランシスコでLTの回診時に学びました。オーストリア症候群を最初に記載したのはオスラーっていうのもこないだ教わりました。そういう「ネタ」が本書には満載で、LTの頭からこぼれ落ちたパールが本となって結実しているのである。ギラン・バレーと思ったら電解質を、、、もこないだケースカンファで出てきたな、、、、ドーナツ型肉芽腫もこないだCIDに載ってたな、、、いやいや、パールって役に立つ、ほんと。
チョビっと誤訳はあるが、気になる程でもない(47ページ、「脱水のみが病態を悪化させる」ではなく、「脱水は問題を悪くするだけだ」、、、、only worsens the problemです。例えば)。
こんだけパールを持っているって理想である。真似したいが、真似できない、、、当たり前だけど。
投稿情報: 15:07 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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基本的には、原書をそのまま読むのが正当なやり方だと思う。サンフォードにしても、ポケットメディシンにしても、ハリソンにしても日本語訳を読むよりは原書で読んだほうが、いろいろな意味で、ベターだと思う。あくまでも個人的な意見で、ほとんど思い込みに近く、汎用性はないけれども。
ただ、これだけは訳本でよかった、、、という感じである。「あの」サパイラがついに日本語版になって登場だ。表紙もそのままだし、紙が工夫されていて(訳本にありがちな)分厚さもない。値段も上出来だとぼくは思う。
なんといっても日本語なのがいい。原書はほんと、読みづらかった。自分の英語力のせいなんだけど。シニカルな文章も多くてどこまで本気でどこまで皮肉なのか分からない。引用が高尚で元ネタが分からない。なかなか読み進めることができず、ついついベイツに逃げていた。
日本語でも内容そのものが簡単になったわけではないので、結局難しいのは難しいんだけど、はるかに読みやすくなったはずだ。たくさん解説の訳注もついたし。
それにしても、これは難産でした。翻訳も大変だったし、監訳も大変だった。監訳って(本当にやれば、の話だけど)実はとても難しいし大変なんです。原文読んで、和文読んで、直すんだから。でも、いままでの監訳が楽勝に思えるくらい、サパイラのそれは大変だった。こんなに直しを入れたのは初めてだ。各翻訳担当の皆さんもご苦労様でした。お疲れ様でした。
こんな素晴らしい企画に呼んでいただいた須藤先生と医学書院さんに心から感謝申し上げる。疲れたけど、やっただけのかいはありました。みなさん、ぜひ読んでくださいね。
投稿情報: 10:02 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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普通の患者よりも感染症のリスクは高いが、血液疾患の移植患者ほどはリスクは高くない。小腸移植や肝移植よりもリスクは低い、、、ということで、腎移植患者の感染管理は中途半端に放置されてきた。ここに特化した教科書は世界的にも稀有である。でも、日本から出ました。ぼくも少し書いています。感染症タッチする人すべてが読む本ではないですが、もう一歩ブレイクしたい人は、どうぞ。
投稿情報: 22:12 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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コンサルテーションについて、もう少し述べておく。
コンサルテーションはプロである医者が、医者に対して意見を求めるという営為である。したがって、普通の患者が医者に意見を求める場(診療現場)よりも質問は難解で困難なことが多い。病理学者はドクターズ・ドクターと言われるが、コンサルタントにも同じような役割が求められるわけだ。UpToDateや各ガイドラインくらいなら、どの医者だって(その気になれば)読める。「それ以上」の価値をコンサルタントは提供しなければならない。片手間のやっつけ仕事ではダメなのである。
コンサルタントの目指すところは、頼ってきてくれた主治医が満足できる回答やオルタナティブやコンティンジェンシープランを提供することにある。「やっぱりあの先生を呼んでおいてよかった。また何かあったら相談しよう」と思っていただくことにある。自分一人で診療するより、感染症屋を呼んだほうが楽じゃん、と思っていただくことにある。例えば、外科の先生から術後の感染症について相談されれば、できるだけ主治医が楽になれるようぼくらは一所懸命お手伝いする。一度、うちの後期研修医が敗血症の患者を数時間放置していたことがあった。「主治医がオペ中で何も出来なかった」というのが理由である。ふざけてはいけない。すぐにオペ場に連絡して「先生の患者さんがいまセプシスなんで、もし差し支えなければ、こちらで培養なんかの検査をして、すぐに抗菌薬始めていいですか」と問えば良いだけだ。まともな(患者のアウトカムを自分のプライドに優先させる)外科医なら「絶対に」断らない。本当に必要なんだかどうだか怪しい検査を専門化のエゴをむき出しに山のように「オーダーしておけ」と要求して主治医の仕事を(そして患者のストレスを)むやみに増やすコンサルタントは、「最低」である。consultantではなく、insultantである。
しかし、コンサルタントの「真に」目指すところは患者のアウトカムである。主治医でないが、主治医観は持たねばならないのである。よりメンタルには厳しい要求がなされているのである。主治医を指名されて主治医をやるのは当たり前だ。主治医でないのに、主治医と同じようなエンパシーを保つのは大変だ。感染症ばかり見て、クレアチニンが微増しているのを無視していたり、栄養状態がほったらかしだったり、患者が帰宅を希望しているのに「点滴4週間」とカルテに書き捨てていてはいけないのである。
ときに、主治医の希望と患者のアウトカムは合致しないこともある。CRP1を0にしたいという主治医がいる。この主治医の希望にのって、無意味な抗菌薬を使えば、患者を余計な入院延長、余計な抗菌薬曝露と副作用や耐性菌などのリスクに晒す。主治医の思いを理解するのは大切だが、主治医の太鼓持ちになってはいけない。コミュニケーションスキルは重要だが、単なる聞き上手、お話上手でもダメである。
残念ながら日本では感染症治療は「ついで」に行うものだったので、多くの医者は間違った感染症治療の「経験値」だけが蓄積されている。その経験値が、「おれは感染症ぐらいできる」という幻想を生んでいる。経験値は貴重だが、意味のない経験値はときに有害である。「かぜにフロモックス」が典型だ。
とくに、このような間違った経験値が蓄積されやすい呼吸器内科医、泌尿器科医、血液内科医には要注意である。まあ、日本はよくも悪くも各専門家のレベルにばらつきがあり、本当にきちんと勉強している先生ももちろんたくさんいる。でも、えてして各先生の専門は「がん」のようなトピックなことがおおく、「感染症」はついでのトピックで、「感染症」を真に専門に訓練された医師は少ない。時に「感染症」がメインの先生もいるが、製薬業界に近づきすぎてかえって危ういこともある。学会のランチョンで「なんとか感染症について。○○マイシンを中心に」みたいなタイトルで講演している「専門家」には要注意である。こういう陥穽をソートアウトして、ようやく本当に臨床感染症を理解し、勉強し、訓練を受けたドクターに遭遇できる。もちろん、そういう先生はいる。そういう先生がみなさんのそばにいることを、切に願ってやまない。
CRP1を0にする必要はないんですよ、というメッセージを、相手のプライドや思い(思い込み)を勘案しながら、上手に伝えるのも非常に困難な、しかし大切な仕事である。あくまで最優先は患者の利益であるが、ここで下手をすると、「未来の患者」を閉ざしてしまう。今の患者へのベストなケアを保証しつつ、次回もコンサルトを呼んでもらえるためには、アクロバティックなスキルと情熱を必要とする。このスキルを身につけるために、後期研修医は毎日必死に研鑽する。このようなハイレベルのスキルを身につけなければ、まともなコンサルテーションは出来ない。コンサルテーションなんて俺の業務の足を引っ張る邪魔な存在だ、とイヤイヤやっている輩は、正直コンサルタントにはなってほしくないのである。コンサルテーションなめんなよ、と申し上げたいのである。
コンサルテーションには診療報酬はつかない。ここは問題である。できれば、近年でてきた加算のしくみを改善して、コンサルテーション業務に診療加算を足して欲しいとは思っている。でも、アメリカのようにコンサルテーションフィーはつけないほうがよい。アメリカはあれで、何でもかんでもコンサルト、呼ばれる方もシンプルなコンサルトにホイホイのるようになり、お互いのプラクティスの質を下げてしまった。訴訟のリスクがこの悪しき流れに油を注している。古典的な日本診療のように「全部俺がやる」ではだめだが、アメリカみたいに「なんでもコンサルト」でもだめだ。コンサルトが5人以上になると、たいてい患者に苦痛が及ぶ。ポリコンサルトはポリファーマシーくらいに始末が悪い。
とはいえ、「金が貰えないから、まともにやる気が起きない」は最低である。プロフェッショナルなのだから、金の入る入らない関係なしに、患者の利益のためにベストを尽くすべきなのである。やるからには、ベストを尽くすべきなのだ。飛行機の中で患者が出て、「診療報酬つかないしな」と手抜きをするだろうか。もしする、という先生があなたなら、すぐに職替えをおすすめしたいのである、ほんと。
投稿情報: 06:54 カテゴリー: 考え方のピットフォール | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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投稿情報: 17:23 カテゴリー: 考え方のピットフォール | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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厳しいタイトルなのは承知の上である。でも、ぼくは「ああいう」のが一番嫌いで、醜悪だと思っているので、敢えて苦言を呈する。
盟友の香坂俊先生から「コンサルテーションの極意」というタイトルで、慶応大学のグランドラウンズに招待された。ここのところ多忙で(ほんと)講演のたぐいはお断り気味なのだが、香坂先生の依頼とあっては断ることはかなわない。二つ返事で承知した。
ぼくの前に、各科から15分程度のプレゼンテーションを受ける。最初は香坂先生自身であり、術前心疾患(冠動脈疾患)ワークアップの理念と実践について、相変わらず切れ味優れたレクチャーを受けた。
が、その後、ぼくはだんだん不機嫌になっていく。「コンサルテーションの極意」たるレクチャーの八割がたが、「俺様を呼ぶからには、最低これだけはやっておけよ」レクチャーだったからだ。
研修医に一番嫌われる指導医とは、厳しい指導医でも、細かい指導医でもなく、「一貫性のない」指導医なのだというらしい。確かに、昨日は「Aをやれ」と言い、今日は「なんでAをやった」と言われれば、研修医としては立つ瀬がないだろう。
しかし、それは研修医の見ている世界と指導医の見ている世界の違いに起因していることが多いのもまた事実だ。昨日のケースと、今日のケースは、指導医的には「全く別物」かもしれない。しかし、研修医には「同じ」と見えているかもしれない。同じと見た研修医には指導医の判断は首尾一貫しておらず、「いい加減な奴」と思われかねない。それは端的に、研修医側の問題だ。指導医を批判する前に、己の無力と無知を吟味したほうが良い。
事程左様に、世界は見方によって見え方が異なるものだ。コンサルタントとコンサルティ−(コンサルタントを呼ぶ人)も、同じ物を異なるやり方で見ている。見え方が違うのが当たり前なのだ。もし、同じ見え方をしているのならば、コンサルタントを呼ぶ価値がない。
多くのコンサルタントは、この事実に無頓着である。「なんでこんなこともできないんだ」「なんでこんな事も知らないの」とくさす。本日の慶応での「レクチャー」も、「なんでこんなこともできないの」の連鎖であった。
でも、それって当たり前じゃないか。それができないからの、コンサルテーションである。できるのなら、あなたのコンサルタントとしての存在意義も消えるんじゃないの?
本日の慶応大のプレゼンの多くは、プライドの高い医師たちの「なんでこの程度で俺様をよびやがるんだ」「俺様を呼ぶんならこの程度のことはしておけ」的なメッセージに満ちていた。それをぼくはとても不快に思った。コンサルタントとは、基本的に「サービス業」だからである。
ぼくが2004年に日本に戻ってきた時、感染症は「コンサル不要、適当にCRP見ながら抗生剤をとっかえひっかえ使うもの」的な認識であった。今でも多くの医療現場ではそうである。
ないニーズを掘り起こすのは大変だ。ウォークマン以前には、歩きながら音楽を聴きたい人なんて皆無だった。アンケート調査をしても、「隠れたニーズ」は分からない。スティーブ・ジョブズがマーケティングを嫌ったのは、そのためだ。
所与のものであるアメリカと違い、日本では感染症のプロが生きていくためには営業努力を必要とした。亀田でも、神戸でも同じだ。でも、その逆境がカスタマーサービスへのawarenessを促した。アメリカだったら、IDコンサルトは所与のものだから、ここまで努力は必要なかったろう。逆説的に、我々は質の高いコンサルテーションサービス提供を学ぶチャンスを得たことになる。
あと、検査の過剰も鼻についた。「評価」したいから、という目的で検査がどんどんコンサルタントから要請される。でも、その「評価」が何をもたらすにかは、わりと無頓着である。このことは、すでに香坂先生から指摘されていた。心カテをやれば、冠動脈の形は見事に「評価」できる。So what? 患者がそこからどういう恩恵をうけるかが、問題なのである。多くの医師はその点に無頓着で、「評価するために評価する」トートロジーが遍在する。
神戸大も問題ありありだけど、慶応の連中よりははるかに謙虚だ。謙虚さは向上のガソリンである。その分、ポテンシャルは高い。まあ、近くに阪大、京大あるからそんなに鼻高々になるような馬鹿な、勘違いな真似はできない、という事情はあろう。でも、謙虚さは学びの第一歩だ。ぼくは1月にハワイ大とUCSFと回ったけど、今日プレゼンした慶応の医者たち(香坂先生みたいな怪物は除く)レベルの医者は世界にはザラにいる。でも、アメリカの医者はもっと謙虚だったよ。あの、思い上がった態度は何を根拠に来るのだろうか。井の中の蛙ではないのか。
コンサルタント・コンサルティ−関係は、医者患者関係にほぼ等しい。それは、突き詰めて言えば、一般的人間関係の一バリエーションにすぎない。そういうことを、慶応大の医者たちは一度でも意識したことがあるのだろうか。ぼくは、その点について極めて懐疑的にならざるをえない。
おそらく、天下の慶応大学を臨床レベルで批判する輩はほとんどいないだろう。それが増長の原因である。ぼくがこんな駄文を書いているのも、それを何とかしたいからである。さて、なんとかなるか。各人の受け止め方次第だな。
投稿情報: 23:48 カテゴリー: 考え方のピットフォール | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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