これは僕も経験がなかったまれな話。まれなことは、まれにはおきる。
腸管スピロヘータ症について
腸管スピロヘータ症 intestinal spirochetosis (IS)は、ブタ、イヌ、ネコ、オポッサム、モルモットに感染する人畜共通感染症であり、先進国における有病率は低いが、発展途上国では高い傾向にある。元来、豚赤痢の病因として知られているが、ヒトに対する病原性については完全には明らかでない。実際に、腸管スピロヘータ保菌者の中で慢性下痢や腹痛などの明らかな症状を伴うことは稀である。先進国では、同性愛者やHIV 感染者に高率に認められ、重症化の傾向が示唆されており、小児においても臨床的に重篤な症状を呈する事が知られている。
ヒトの腸管に感染するスピロヘータはBrachyspira属のグラム陰性の長紡錘形の偏性嫌気性菌であり、B. aalborgiおよびB. pilosicoliの2つの菌種が知られているが、その多くは、B. aalborgiであると報告されている。ISの診断には、病理組織学的に菌体が大腸粘膜表層へ付着していることの確認が必要となる。具体的には、菌体はHE染色にて微絨毛とは異なる丈の高い好塩基性の帯として認識され、特殊染色であるWarthin-Starry 染色が陽性となる。その他、免疫組織学的にもBorrelia burgdorferiに対する抗体の交差性を利用して検出可能であることが報告されている。B. aalborgiおよびB. pilosicoliは、嫌気性下にてスペクチノマイシンにポリミキシンBを添加したウシ血液寒天培地で培養可能であるとの報告があるものの、技術的には非常に難しいとされている。また、菌種の同定には、便や生検検体サンプルからのPCRによってなされる。
上述のようにISは臨床的な症状が無いことが大半であり、内視鏡的にも炎症などの特徴的な粘膜の所見が得られるわけではない。したがって、多くの症例は便潜血陽性などの理由による大腸鏡スクリニング検査で偶然に見つかる事が多く、臨床的に診断される事はほぼ皆無であると思われる。この様な症例に対する治療は、その効果が確立されていない抗菌薬の投与であることを十分に説明した上で、基本的に患者の希望に委ねられると考えられる。おそらく臨床的に重要となるのは、難治性下痢などの腹部症状を伴う少数派の患者である。下痢症状を呈するIS患者において、抗菌薬(メトロニダゾールが一般的であるが、クリンダマイシンやマクロライド系の有用性を示唆する報告もある)の投与による症状の消失症例が報告されている以上、診断を確定し治療を開始する臨床的意義は高い。下痢の鑑別には便の性状も重要な所見となるが、難治性で慢性の経過をとる場合には、潰瘍性大腸炎やクローン病、甲状腺機能亢進症、過敏性腸症候群など非感染性の疾患を第一に考える。したがって、身体所見や検査所見でそのような疾患の可能性が否定的であれば、ISの可能性を考慮に入れ、便の培養やPCRなどの非浸襲的な検査をオーダーすることは選択の一つである。また、大腸粘膜の生検検体が得られている場合でも、IS自体が病理医も含め未だ十分に認識されていない疾患であるため、見過ごされる可能性も高い。病因の特定困難な症例には、病理医に相談のうえWarthin-Starry 染色などで菌体の存在を確認してみることも重要であると思われる。また、同性愛者、HIV 感染者の場合には、その病期の進行度に関連なくISが認められるとの報告があることから、腹部症状を伴う場合には念頭に置くべき疾患の一つであると考えられる。
<参考文献>
Efstathia Tsinganou et al. Human intestinal spirochetosis-a review. GMS German Medical Science. 2010, Vol.8, ISSN 1612-3174
中村眞一 他. 大腸の炎症性疾患 -積極的病理診断を目指して- 4)腸管スピロヘータ症. 臨床と病理. 2008, Vol.26 No.8
立石陽子 他. 腸管スピロヘータ症の感染頻度と臨床病理学的検討. 臨床と病理. 2010, Vol.27 No.3
松林南子 他. 腸管スピロヘータ症の7例. Progress of Digestive Endoscopy. 2010. Vol.77, No.2
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