今日は音羽のGIMフェスティバルに参加した。音羽のような日本一教育リソースの整った病院ですら事業努力は必須である。総合診療科の新しい人材を確保すべく、全国のジェネラリスト候補を対象に音羽の魅力を開示するフェスティバルを、後期研修医主体で企画したのだった。僕はその講演を頼まれたので参加したというわけ。
ドクターG酒見先生のフィジカル講座や、グラム染色講座、航空医学講座と午前中から盛りだくさんである。グラム染色では僕もいくつか教えたんだけど、自分の気づいていなかった教育リソースに気づくよい機会であった。僕はグラム染色のやり方で「こうやると失敗する」という失敗パターンをほぼ完璧に体得している。アルコールランプを使っていて沖縄県立中部病院で小火まで出しかけてしまった僕である。染色について起こし得る失敗について、僕の知らないことは皆無である、と断言したってよろしい(なんか悲しい自慢やなあ)。
そうすると、奇妙な仮説が浮かび上がる。指導医が指導医としてファンクションできるには、「こうすればうまくいく」という定式を熟知していることが必要だ。しかし、同時に「こうするとうまくいかない」という失敗の定式についても熟知していることが必要なのではないか。僕みたいに失敗の経験については誰にも負けないという自慢にもならない経験値を持っていればともかく、優秀な研修医でほとんど失敗したことがないという方は、むしろ逆説的に指導には向いていないのではないか、という疑問が当然湧いてくる。
杞憂である。というのは、最近はツールで杞憂を払拭することが可能だからである。金井病院の金井先生とCareNetのコラボであるResi-Share Pyramidは素晴らしいツールである。飯塚病院の井村先生たちによるアイディアは研修医たちが作った教育スライドをみんなでシェアしちゃえ、という割とシンプルなアイディアである。でも、技術的にこれをアクセシブルにするのは簡単ではない。今回はMALSというiPhoneのアプリにすることでアクセスを容易にした。研修医がまとめた知識、技術については容易に手に入り、簡単に読むことができる。
しかし、特に重要なのは研修医が認識した「失敗」である。こういうパターンで失敗するという事例を積み重ねれば、それを学べば、僕のように失敗の事例を自ら沢山体感しなくても、研修医に失敗の方式を教えることは可能である。失敗事例の積み重ね、その共有はとてもよい教育リソースである。
僕の講演の演題は、「総合診療とは」であった。ぼくのようなよく分からない医者にはお門違いの題目であるが、指名されたからには仕方がない。総合診療の概念は各人各様、とくにコンセンサスの得られた定義はない。定義がないところから始めたい。よくある定型的な定義である「臓器をみないで、患者を診る」みたいなクリシェは総合診療の充分条件ではない。優秀なリウマチ医、呼吸器内科医、感染症屋ですら臓器だけをみない診療を体現している。ライプニッツはものの定義に、それであり、ほかではない、という要件を満たすよう求めた(みたい)。ソシュールは、ある対象であるシニフィエとことばであるシニフィアンとは「恣意的」にしか規定できないことを看破した。総合診療のもたらす意味は各人各様。その定義は恣意的に規定される。そのことに自覚的であれば、「外傷が見れなければジェネラリストとは呼べない」「妊婦は当然みれるべき」「子どもを診ないでジェネラリストとはいえない」という妄言は妄言であるとすぐに分かる。なにを見るから、という規定の範囲外に総合診療医は、ある。
総合診療医の多くはアイデンティティークライシスにある。循環器内科医のキャリアパスは見えやすい。かくかくしかじかの後に心不全の鑑別疾患を列挙できる。その後心エコーができるようになる。その後心カテができるようになる。その後ステントを入れられる。一意的にキャリアパスと医師の成長は認識できる。
総合診療医のそれはそんなに単純ではない。キャリアパス、進歩の度合いは見えにくい。
しかし、ここは考えようである。「未来のあるべき私の姿」を規定しなければ、ことは問題ではない。「未来のあるべき私の姿」を規定し、それに向かって一直線に努力することを我々は「自分探し」という。自分探しはいくつかのリスクを伴う。第一に、今いる自分に不等な不全感を生じさせる。第二に、目指す目標に達することができなければ、その人は「失敗した」と定義される。本当にそうだろうか。
むしろ、未来の自分を定義しない、自分探しをしないほうがよいのでは、、、僕はそう思う。今の自分に自覚的であり、「今」および「未来」にどうすればよいかを考える。10年後どうあるかなんてファンタジーは顧慮しない。リアルな今の総合診療医としての自分を生きていくだけである。
てな話をした。音羽のフェスティバルは忙しい後期研修医が手弁当で作ったすばらしい「学園祭」的饗宴であった。その一体感やコミットメントが感動を生む。こういう流動的な組織を作った松村院長や神谷部長には驚嘆である。神戸大の学生がこのフェスティバルに参加し、音羽のポテンシャルに目を丸くしているのを見て、少し複雑な気分になったのであった。こうして学生たちは神戸大を見放して外に出ていくのである。
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