医学教育のなんとか講習会で、某氏が「ルンバって知ってますか?医学教育やるならルンバを知らなきゃだめですよ」と盛んに強調していた。
Real:教育目標は現実的(Real)であらねばならない。
Understandable:教育目標は理解可能(Understandable)であらねばならない。
Measurable:教育目標は測定可能(Measurable)であらねばならない。
Behavioral:教育目標は行動的(Behavioral)であらねばならない。
Achievable:教育目標は到達可能(Achievable)であらねばならない。
という教育目標の「であるべし」集なのだそうだ。
これを聞いて「なんだそりゃ」と失笑したぼくだったが、あれって今でも指導医洗脳会、、、じゃなかった、講習会でやってるとこ、あるんだろうか。
RUMBAなんてバカバカしくて覚えるにも値しないが、この話は本題ではない。問題は「測定measurable」である。
日本の医学教育界は測定のリスクについてはほとんど何も考えていない。
ぼくが初期研修医教育を担当していたとき(まだ「干される」前)にやったささやかな成果は「EPOCを廃止する」ことだった。理由は簡単で、入力が面倒くさかったからである。面倒くさいので、入力が遅れる。場合によっては数ヶ月遅れる。数カ月後に催促されて入力する初期研修医の評価はうろ覚えで、すでに信頼できるデータではない。信頼できないデータを集めても「ゴミの山」ができるだけだ。医学教育業界はこのようなデータサイエンスの基本を知らずに学者目線でハイテクなシステムを作って自己満足に陥っているだけなのだ。
なによりも最悪だったのが、そうやって忙しい指導医が苦労して入力したEPOCのデータを「誰一人」閲覧していない、という驚愕の事実が判明したことだった。活用しないデータの入力なんて、ただのブラック企業的ハラスメントに近い労苦に過ぎないではないか。よって、ぼくがアメリカの研修医時代に活用していた「手帳」形式にして、その場ですぐに評価、フィードバックという形式にしたのである。原始的だが、遥かに役に立つ。少なくとも、現場の研修医と指導医には。
このような「測定しているんだけの意味がない」問題は日本社会のあちこちに遍在している。食品衛生法の「アニサキス」がその一例だ。近年、食品衛生法で報告が義務付けされているアニサキス症(寄生虫感染)であるが、毎年数百件の報告がある(https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20190314-OYTET50041/ 閲覧日2019年7月17日)。しかし、レセプトデータからは毎年アニサキス症は数千件発生していることがわかっている。圧倒的に報告漏れのほうが多いのである。ということは、食品衛生法によるアニサキス症のデータは全く信用できない。
では、なぜアニサキス症の報告漏れが多いかというと、報告が対策に資していないからである。アニサキスは鮮度が高くても調理がしっかりしていても、「起きるときは起きる」。冷凍させれば虫は死ぬが、欧米で制度化されている「冷凍」は日本国内では義務化していない。抜本的な対策はとらないくせに、「起きたら報告しろ」と要求する。が、アニサキス症は保健所の指導で減るものでもない。減らないアニサキス症がたまたま偶然良心的な店から発見されると、保健所はその店を営業停止にする(https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201907/20190718_13046.html 閲覧日同上)。対策できないのに(保健所にも)、営業停止はこれも「大人のいじめ」、ハラスメントに過ぎない。厚労省はアニサキス症を原因とした飲食店の営業停止処分制度を廃止すべきだ。というか、アニサキス症の数はレセプトデータで把握できるのだから、そもそも面倒くさい届出制度で余計なペーパーワークを増やさないでほしい。働き方改革どこ行ったの?
同様に、「数は数えるけど対策は取らない」ものに感染症法がある。梅毒や急性肝炎、、、数える意味がない。意味がないから報告を怠る、忘れるケースが続出する。よって、データは信頼できない。対策も取れない。
こういうしくじりは、日本固有の問題かと思ったら、米国にも多々ある。紹介した「測りすぎ」は主に米国のデータ収集の失敗をまとめた良書である。
やはり教育業界、医療業界で失敗が多い。特に米国では金勘定が重要視されるので、問題が起きやすい。米国では入院期間が短いほうが病院の収益がよくなるから、なんとしてでも患者をすぐに退院させようとする。しかし中途半端に退院させると再入院リスクが高まるから、再入院をカウントしてこれを牽制しようとする。で、そのような「測定」で真実がわかるかというとそうではなく、病院はERに患者をとどめおいて、「再入院させない」。あくまでも受診しただけ、というポーズを取る。患者の健康はほったらかしにされたままだ。米国「あるある」のデータ・アビューズだ。
データとか、データサイエンスは「真実を知り、活用したい」という動機付けのもとで初めてその価値を発揮する。「とりあえず、データとっとけ」となると、そのデータは関係諸氏の都合の良いように利用され、悪用される。「真実なんてどうでもいい」という人間や組織にデータを扱わせてはならない。そして、昨今では「真実なんてどうでもいい」政治家、官僚、学者、医療者、教育者、その他、、、が多すぎる!!
データ収集そのものが「コスト」であることを、制度設計者はゆめゆめ忘れてはならない。なんとなくデータ出せ、は現場経験や理解に乏しい病院長、大学執行部、霞が関の官僚がやりがちな「あるある」の失敗だ。できるだけコストをかけずに真実を知るには、まずは現場の担当者の話を聞くのが手っ取り早い。「アンケートに回答よこせ」では大事なことはたいていこぼれ落ちてしまうし、データ収集コストはかさむ一方だ。こうやって「働き方改革」は絵に描いた餅となり、いつまでも大学や病院はまっくろ黒なブラック組織のままなのである。
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