やっと完成しました。帯を書いていただいた内田樹先生、解説を書いていただいた尾藤誠司先生にこの場を借りてお礼申し上げます。また、連載時の文章に加えて東京医大問題などを論じたボーナストラックもあります。
では、序文の紹介です。ぜひお読みください。
序文
昔から、「なんとかとかんとかをいっしょにすんな」という言い方に不満だった。もちろん、あらゆる事象には違いがある。二つと同じものはあり得ないのであり、それは例えば一卵性双生児でもそうであるし、二つの水素原子であっても、もしかしたら異なる原子なのかもしれないのだ。
が、それは「たいした違いではない」ことも多い。
違いがあることはグループ化を禁止しない。ここがスタート地点である。
難しい話ではない。世の中に全く同じ疾患は二つとなく、全ての疾患には個別性がある。しかし、我々はそれを例えば「肺炎」とグループ化する。それだけのことだ。
それでも「いっしょにすんな」と強弁するとすれば、それはその人の「いっしょにされてたまるか」という思いが乗っかっているだけなのである。で、この「いっしょにされてたまるか」はいろいろな問題の遠因となる。例えば、差別とか。
もう10年以上前の話になるが、なにかの議論をしていた時、千葉大学の生坂政臣先生が、「これはプライマリケア医でないとわからない」というような意味の発言をされた。なんの話題だったかは思い出せない。で、ぼくが「いや、ぼくもそれについてはよく理解できますよ」と申し上げたら、生坂先生は「それは岩田先生が北京で家庭医をしていたからですよ」とおっしゃった。
そうかもしれない、と思った。でも、本当にそうなのかな、とも思った。このへんが「ジェネシャリ」のイメージをわりと明確に持ち、理論化しようと決意したときだと思う。
本書の骨子は論文化されている。一気呵成に書いた後、サンフランシスコでローレンス・ティアニー・Jr.(LT)に見てもらった(International Journal of General Medicine 2013:6 221–226)。LTはとくに理路などについては意見しなかったが、いくつかの有用な助言をくださった。この場を借りて改めてお礼申しあげたい。
現在の日本医学界において、ジェネシャリストはごく少数派に属する(本書で述べたが、いないわけではない)。よって、本書の内容はほとんどの読者の共感を得ないであろうことは覚悟している。しかし、日本の医療の未来において、これこそが、これだけが、おそらくは唯一のソリューションであろうことを予見している以上、そこは覚悟の上で申し上げねばならないのである。ご批判は甘んじて受ける。
2018年10月 岩田健太郎
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