ぼくの知っている「優しい人」はたいてい怒りっぽい人だ。いつも笑顔で穏やかでマイルドでナイスな人は必ずしも「優しく」はない。世の悲惨や理不尽を看過せず、我がことのように悲しみ、絶句し、歯噛みし、そして憤怒できる人こそが優しいのだ。
こういう人たちは世の悲惨一般に対して等しい眼差しを持っている。ネルソン・マンデラは黒人の利得をアップさせればよいと考えていたわけではない。黒人差別の悲惨を看過しなかっただけだ。だから彼は白人の悲惨も看過しなかったし、自分を拘束する看守にすら優しかった。
サッカーの好きな人にも二種類あって、党派性のあるファンと一般化したファンがいる。党派性のあるファンは洋の東西を問わず多い。リヴァプールファンの多くはManUが嫌いだし、ManUファンの多くはアーセナルが嫌いだ。日本代表のファンの多くは韓国代表を嫌っている。韓国代表の進歩と繁栄がなければ日本代表が強くなり、世界で戦えないという事実には気づかない。
もっと遠くまで見つめているサッカーファンは野球など、スポーツ一般の繁栄を願っている。ハンドボールやバスケットがしっかり根付くことこそが、100年スパンではサッカーの進歩に資すると気づいているのが川淵三郎だ。将棋や囲碁の世界でもチェスやバックギャモンを愛好する人は多い。
ぼくが知っている日本のフェミニストの大半は「女の話」しかしない。女性が虐げられているのは事実であり、それを正当化する理由はないが、他者の理不尽にあまりに無関心で、要するに「女の話」ばかりしていては、ジェネラリスト的な意味でのフェミニストではないのだ。小島慶子なんかは稀有な例外で、問題の軸を縦横切り替える視野の広さと度量を持っている。
ときに、いわゆるウィメンズヘルスをやってる人こそ男性をたくさん診たほうがよい。総合診療外来も、漢方外来も圧倒的に女性患者が多いセッティングだが、ぼくはしばしば配偶者にも外来に来てもらっている。まあ、STDとかはそれが基本だし。女性の体調不良の多くは男性パートナーが原因で、男性に介入することで女性の不調は結構治る。逆もまた然りで、女性パートナーのために体調不良で苦しむ男性患者もやはり多い(特に団塊周辺)。こちらはより難治性。
他者を貶めることによって自分を高く見せるというのはいじめの根本構造だが、遠目で見ればそれは自分を貶めている行為以外の何物でもない。しかし、そのような無益な足の引っ張り合いは日本でも外国でも普遍的だ。
だから医療者も医療の話ばかりしていてはいけない。この悪弊は特にマジメな医者とナースに多い。正確に言えば、医者は医者界隈の話しかしないし、ナースは看護界隈の話しかしない。その眼差しの先には検査技師とか薬剤師とか、STとかOTとかその他諸々も視点は欠いている。要するに「立場」の話しかしない。ぼくが学会一般が苦手なのは、そういう「立場トーク」に満ち満ちているからだ。タイトルに「立場から」と書いてある身も蓋もないセッションも多い。
ぼくの思考基準はだから、「自分が女でも同じように考えるか」「日本人でなくても」「感染症畑の人じゃなくても」「医者じゃなくても」「医療者はなくても」と立場を否定しても同じ意見に収斂できるか、いなか、である。立場を徹底的に捨てても残ったそれが、一般解だ。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。