D「教育には段階がある。1年目の研修医はまず患者を診る方法を学ばせろ。基本的なマニュアルは開いてよいが、原著論文はまだ早い。とにかく時間をかけ、繰り返し患者を見に行き、患者の動きを察知し、患者を理解させる。これだけでいい」
S「ふむふむ」
D「2年目からは論文を読ませろ。ゴリゴリ読ませろ。不自由なくスラスラ読めるようになるまで読ませろ。こういうスキルには集中的なトレーニングが大事だ。「ダラっとのんびりやっていいよ~」で優秀なスポーツ選手になれるか?優れた演奏家になれるか?なれるわけがない。のんびりやってて優れた論文読みになれるわけがない。集中的なトレーニングを若いこの時期、2年目にやっておけば一生モノのスキルになる。このスキルがないと、10年たっても20年たってもまともに論文が読めない医者になる。そういうやつら、あっちにもこっちにもいるだろう?」
S「あああ~指ささない、指ささない!」
D「次のステップは論文を書くことだ。もちろん、まずは勘弁で安価なレターからでよい。でも、正式な論文執筆は非常に大切だ。これは高いハードルだが、一回やっておけば2度めの論文書きは非常に楽になる。「カジノ・ロワイヤル」でジェームズ・ボンドが言ってただろう。一度目の殺しはきつい体験だが、二度目はずっと楽になると」
S「そういう不謹慎な例え話は医療の世界ではどうかと、、、」
D「不謹慎が怖くて、研修医指導やってられるか!不適切な例え話ほど頭に残るんだよ!セクハラ半歩手前の際どいエロネタくらい研修医に印象を残す教えはない!」
S「そういうチキンレースで可能性の追求してると、いつか必ず事故しますよ」
D「すでに述べたように、学会発表の前提は論文執筆だ。学会発表ができて論文が書けない、はありえない論法だ。論文を書き、その「あとで」学会発表だ。これを3年目、優秀なやつなら2年目にやらせる。これはとても貴重な経験になる」
S「なるほど」
D「論文を書く経験は、いつしか論文を書く習慣になる。論文を書く習慣は、患者診療にcritical thinkingをもたらす。診断上の問題、薬の副作用、治療効果、治療の「無」効果や治療失敗。すべてネタになる可能性を秘めている」
S「はい」
D「論文執筆の第一歩は、先行研究の検索だ。すでに他人がやっていることには価値が小さい。だから、「論文書けるかな」と思ったら、論文を読まねばならない。論文を書けば、論文を読む。両者の能力は同時並行的についていくんだ」
S「素晴らしいです。でもD先生、そのまえにここに積んであるレセプト詳記、書いてください」
D「俺様は、こっちの能力は皆無なんだ~。代わりにやっといてくれ」
S「できるわけないでしょ」
第56回「論文を読ませよう、そして書かせよう」その2 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。
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