S「なんです?その「めっちゃ簡単にできること」って」
D「それはな、レターを書かせることだよ」
S「レター?ラブレターですか?」
D「一回、その6階の窓から頭を先にして飛び降りてこい。少しはましになるだろう」
S「冗談ですよ。学術雑誌に載ってるやつでしょ。原著論文の批判がほとんどですよね」
D「だれに解説してんだ?」
S「で、どうしてレターなんですか?」
D「日本の医者、研究者はレターの重要性や意義に気づいていない。あれこそ、研修医を鍛えるうってつけの教材なのに」
S「ふーむ」
D「レターは通常、学術論文に対するクリティークだ。論文を読んでここが足りないんじゃないかとか、結論はそうは下せないんじゃないかとか、、、」
S「そうですね」
D「つまり、レターを書くにはまず学術論文をきちんと読める読解力が必要になる。読めない論文のクリティークは絶対に不可能だからだ」
S「確かに」
D「ただ、読めるだけじゃダメだ。分析的に、批判的に論文を読み込み、その弱点に気づく必要がある。読解力プラス、洞察力や批判力が必要だ」
S「そうですね」
D「加えて、その批判は、著者らのDiscussionやEditorialsですでに述べられていることではダメだ。「この論文、ここがおかしいで」「はい、それについては私達、limitationsで、すでに言及してます」じゃ恥ずかしすぎる。ていうか、そういうレターはeditorからrejectされる。だから、DiscussionやEditorialもきちんと読み込んで、先にそれが言及されていないこともチェックせねばならない」
S「確かに~~~」
D「日本の医者はDiscussionの読み込みが弱い。とくにLimitationsが弱い。Limitationsを書くのも苦手だ。論文に制限があるのを敗北だと思っているフシすらある。しかし、絶対勝者的な夜郎自大の論文にろくな論文はない。俺はそういう日本発の論文をなんどrejectしたことか」
S「むっちゃ、恨まれてますよ、たぶん」
D「逆にたとえ瑕疵があっても、その瑕疵に自覚的であり、それでも何かをもって帰れる、so what?に答えている論文なら、十分にacceptしても良いと思っている。査読者はproof readerではないのだ。単語の間違いとかばっかりチェックしてる査読者を見ると、ムカつくんだよ!」
S「ぼくに八つ当たりしないでください!」
D「さて、レターを書くのは英作文やロジカルシンキングのトレーニングにもなる。ちゃんとした英語でなければ掲載されないのは当たり前だ。ロジカルな展開がない場合もrejectされる。要するに日本の医者の弱点を全部鍛え上げることができる。しかも、金はかからない。時間もかからない。まさに、金と時間のない哀れな研修医向けの勉強道具と思わないかい?」
S「「哀れな」は余計ですが、おっしゃる通りと思います」
D「俺自身、研修医時代はレターを積極的に書いて自分を鍛えてきたし、自分の教え子たちにも積極的に書くよう努めてきた。医学生にでもレターは書ける。掲載されれば、それはPubMedに収載され、未来永劫検索、読んでもらうことができる。とても価値のあることなんだ」
S「そうですね」
D「レターの中には、ディオバン事件を看破したような歴史的にも医学的にも非常に価値のあるレターもある。レターを低く見る必要はない。特に臨床系の雑誌のレターを蔑む風潮もあるがそんなことはない。レターは立派な学術的な営為だ。日本の雑誌なんて、レターの項目すらないのもあるんだぜ。非常識にも程があるだろ」
S「また、私小説になりましたね」
D「マジック・リアリズムだって」
第54回「レターを書かせよう」その2 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。誰でもできる研修医指導54
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