D「要するに、首に聴診器をかけること自体は感染対策上、何の問題もない。強いて言うなら、すべての病棟の全てのベッドに患者専用の聴診器を用意しとくのが理想的だ。将来的にはそうすべきかもしれないけど、コスト的には問題だ。第一、外来でも全ての患者さんに個別の聴診器なんて現実的かな?それなら「患者自身が」マイ聴診器持っとけ、って話になるな。まあ、とにかく「首」が問題ないのは間違いない」
S「またそんな屁理屈を」
D「ロジカルと言ってくれ、エビデンス・ベイスドと呼んでくれ。この話題、海外でもけっこう議論になるんだけど(stethoscope around the neckあたりでググるとよい)、結局のところ「首から聴診器はダメ」はエビデンスを欠く、観念論にすぎないと俺は思う。聴診器が耐性菌アウトブレイクの原因になる可能性はあるが、「首」が原因になることはない。少なくとも、俺はそんな論文、知らん」
S「じゃ、研修医が首から聴診器かけてても、黙認しろと言うんですか」
D「あれだよ。サイエンスとしては根拠薄弱だけど、日本の医療界は根拠もないことを無理強いするへんてこなシステムがあり、研修医は医療界の最下層に住む人外の生き物だから、ここは「理不尽に耐えることが成長の証なのだ」と自分の魂に麻酔をかけ、天竜人の人々の言うことを素直に聞いとけ、って教えればいい」
S「どん!」
D「ただし、S先生は「首から聴診器」は教条主義的な己の価値観でしかなく、人に強要するようなものでないことを学ぶべきだ」
S「そうですか~?」
D「そうだ。教育熱心でマジメなマッスグ、世間知らずちゃんほどこの陥穽に陥りやすい。「自分の価値観」と「普遍的な価値」は違うんだ。自分の価値観を押し付けちゃ、あかん」
S「「普遍的な価値」ってなんですか」
D「それは良い質問だ。実は、何が「普遍的な価値」かは簡単には分からない。「人の命」みたいなのが「普遍的な価値」という意見もあるが、それだって「自分の価値観」と「普遍的な価値」をすり替えた価値観の押し付けなのかもしれない。終末期医療など、医療倫理の議論になると絶対的、普遍的価値とはなにか、容易にはわからなくなる」
S「うーん、難しいんですね」
D「まあ、俺様が言えるのは「他人の価値観は、他の人に迷惑をかけない限りは尊重しろ」ってとこかな。これは、かなり「普遍的な価値」に近い」
S「ああ、D先生ならそう言いそうですが、日本は同調圧力がきついので、他人の価値観なんてどうでもいい、みたいなエートス、ありません?」
D「そういう同調圧力に抗うのも大切な仕事だ」
S「そんなこといって、先生、医療機能評価のときには病院来ないでくださいね。ややこしくなるから」
D「あんな奴ら、完璧なロジックで論破してやる。首を洗って待っていたまえ~」
S「要するに、そのオチが言いたかったんですね」
第44回「自分の価値観と普遍的な価値を区別しよう」その2 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。
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