D「まず、「がっかりさせない」ためにはちょっときつめの研修にすることだ」
S「ええ?きつい研修にすると、研修医からすぐにブーイングがきますよ」
D「かもしれん。だが、ブーイングは「がっかりする」とは同義ではない。きつい研修はつらい、しんどい、もうやめたい、みたいな感情を惹起するかもしれないが「がっかり」はしない」
S「そうですかねえ」
D「仕事のきつさは主観的だから、研修医個々のパフォーマンスを見てやる必要がある。「平等に教えてはいけない」だったよな。10のタスクは鼻歌歌いながらできる研修医もいれば、バテバテになって顎を上げるやつもいる」
S「はい」
D「だから、どちらの研修医もそれなりにバテバテにしんどい思いをするように調整してやる」
S「なるほど」
D「きつい仕事はやりがいの証だ。それがいかにやりがいのある仕事なのかを口を酸っぱくして伝えるんだ。患者にとって、病院にとって、なにより俺にとって役に立っているんだってことを伝える」
S「ふーむ」
D「人間が一番輝くのは自分が他人の役に立っているという達成感だ。研修医がなぜつまらないかというと、未熟すぎて全然人の役に立ってるという気がしないからだ。指導医から出来損ない扱いされると、なお凹む」
S「まあ、そうですねえ」
D「こっからがアクロバティックなスーパーテクだ。研修医を増長させるな。出来損ないだという自覚は常に与えろ。ふんぞり返った研修医は、ふんぞり返った指導医の次にやっかいな存在だ」
S「ふむふむ」
D「しかし、出来損ないだが、役にはたってると伝えろ。君がいたおかげでこんなに患者は助かってる。俺も助かってる。君は未熟ななりにベストを尽くしている」
S「なるほど」
D「研修医は常にベストを尽くしていると信じろ。なぜなら、彼らは常にベストを尽くしているからだ。自分なりに。もちろん、「ほんとうの意味では」まだベストを尽くせていない研修医もいる。しかし、それも「ベストの尽くし方がわからない」という意味での彼らの能力の限界なんだ。研修医は未熟だ。だから、彼らのベストを低く設定しろ。一所懸命がんばってる、その精神を評価しろ。アウトカムベースで研修医を評価するな。そんなのは医学教育オタクに任せておけばよい。アウトカムベースで研修医を評価すると、できのよい研修医だけが評価される病院になる。それは、教育学的には正しくても、間違った病院を生む」
S「だんだん、分からなくなってきました」
D「できの悪い研修医が、急にパフォーマンスが良くなるわけないんだよ。俺たちはただの指導医だ。神様じゃないんだから。だけど、出来が悪い研修医なりのベストを引き出すことは可能だ。そして、そちらのほうが現実的だ。リアリスティックでマキャベリストな俺様としては、研修医のもてるポテンシャルを前向きに出してもらうだけで十分だ。そして、できの良い研修医も額面通りに褒めずに、彼・彼女にはもっと高いハードルを出してやる。できの良い研修医を安易に褒めてはだめだ。そうすれば、彼らは絶対に「がっかりしない」」
S「うーん。今回は難しかったですね。でも、そのような複雑な思考プロセスはとても重要だという印象だけは伝わってきました」
D「そんだけ伝われば十分だ。俺もお前の理解力にそれほど期待してない」
S「それってぼくが優秀だという期待の裏返しですか?」
D「いや、ただ、俺様が正直なだけだ」
S「がーん」
第24回「がっかりさせてはならない」その2 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。
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