S「D先生、ちょっと相談があるんですけど、いいですか」
D「おお、最近指導医になったばかりの若手ドクター、S先生じゃないか」
S「なんです?その誰かに登場人物説明するようなセリフは?」
D「説明してんだよ。それよりどうしたんだい?」
S「いや、初期研修医を指導しなきゃいけないじゃないですか。どんなふうに教えたらよいか悩んでて。そうしたら、「そういうことならD先生に訊くといい。あの人は臨床はイマイチだけど、研修医指導は上手いって」
D「なんか今さらっと危なげな発言しなかったか?」
S「いや〜、やっぱ困ったときはD先生なんですよ!」
D「君が、天然無農薬で育てられたゆとり世代の申し子なのはよく分かった。でも、S先生は最近指導医講習会に参加したんじゃなかったっけ。研修医指導についてはそこで習っただろ」
S「うーん、確かにでましたけど、なんかカリキュラムづくりとか、へんなKJ法とか、やたらしんどい割には「結局どう教えればよいのか」はよく分かんなかったんですよね」
D「偉い。そこに気づいただけでも君には見込みがある。指導医講習会で「洗脳」されて、翌日から急に猫なで声で研修医を褒めまくる変な指導医よりもずっと偉いよ」
S「なんか今さらっと危なげな発言しませんでした?」
D「指導医講習会が謳っているのは「主体的に学ぶ」という成人教育理論だ。だから講義形式ではなく、参加型のワークショップにしている、、、という建前になっている」
S「建て前?」
D「そう、それは建て前だけ。実際には結論ありきのお題目を習うことを強制されて、自分たちの信念を洗脳しようとしているに過ぎない」
S「まあ、確かに「やらされてる感」は半端なかったですよ。むっちゃ疲れましたし」
D「人間「やらされてること」には疲れるんだよ。本当に主体的になって夢中でやっていることは疲れないし、あっという間に終わるものだ。たとえ16時間という長丁場であったとしても、だ。長く感じただろ」
S「もう、未来永劫続くんじゃないかと思うくらい長かったです」
D「そういうことだ。まあ、本当に主体的に学ぶとしたら、ああいう指導医講習会についてもちゃんと批判的吟味をして、「本当にこのワークショップはお題目通りの主体的な取り組みなのか?」と考えるべきなんだ。科学の根源は懐疑的な態度にあるからね」
S「D先生、指導医講習会荒らしたでしょ」
D「荒らしはしないよ。ちゃんと主催者の言うとおり主体的に「参加」しただけだ」
S「さよですか。ま、それはいいですから、研修医の教育の仕方、教えて下さいよ」
D「あ、そうだったな。じゃ、教えてやろう。まずはだな、研修医を教育するときには「優れた研修医」に育ててはダメだ」
S「はあ?優れた研修医育ててナンボなんじゃないんですか?」
第1回「優れた研修医に育ててはいけない」その1 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。
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