D「「優れた研修医」に育ててはいかん。むしろ、研修医としては少し出来が悪いくらいに育てるのが肝心だ」
S「先生、そういう一般論の真逆をいっときゃ、ウケるみたいな作戦はもう流行りませんよ。長谷川豊じゃないんだから」
D「そういえばそんなのもいたな。今どうしてるんだろ。いや、別に斜め上に奇抜な発言をしているわけじゃない(そういう助平心は少しはあるがな)。「優れた研修医」よりはちょっと出来が悪いくらいの研修医でちょうどいいんだ」
S「どういう意味ですか?」
D「あのな、最近の医学生とか研修医ってのは賢いんだよ。俺達の頃みたいなマヌケじゃあない。世の中が自分たちにどういう振る舞いを期待しているか、ちゃんと熟知している。そしてその期待に沿った振る舞いを丁寧に、きちんとやる」
S「確かに。ぼくらの上の世代は、社会人としてどうかなあ、っていう先生多いですけど、今の若手は如才ないですよね」
D「俺を見ながら言うな。「優秀な研修医」は上の言うことを「はいはい」と素直に聞き、それを素早く丁寧にやってのける研修医だ。もっと如才ないやつになると、指導医の思いを忖度して、言われる前にやっている。検査をオーダーし、薬を処方し、カルテに記載する」
S「そうですね。いいじゃないですか」
D「ダメだ。要するにそういう研修医は、上の指示に従う能力が極めて高いだけだ。しかし、彼らが指導医クラスになった時に、自分の頭で考え、悩み、どうやって検査をオーダーし、薬を出すか、それを判断する能力は育たない」
S「うーん、言われてみれば」
D「そうするとだな、そういう優秀で記憶力のよい医者は、その記憶力が故に過去の記憶に頼るんだよ「ああ、ああいうときはA先生はペコポコマイシン出してたな、みたいに自分が経験した記憶を頼りに判断するようになる」
S「確かに」
D「しかし、それは単に「ノウハウ」を学んでいるだけだ。日本の医療現場は医者もナースも基本的に「ノウハウ主義」なんだよ。だから、間違いが生じても修正されにくいんだ。Aの場合はBをやる、みたいな形式を暗記してるだけ。ノウハウ主義と暗記は相性がいいからな」
S「そうか、ノウハウは暗記できても、なぜそうするのかが理解できていない」
D「「優れた研修医」はやれ、と言われたことは「はい」と即答するからな。「なんでそんなことするんですか」みたいな研修医は優秀扱いされないんだよ。逆に「面倒なやつ」「バカ」のレッテルを貼られるリスクすら、ある」
S「なるほど、「出来が悪い」とみなされる研修医は納得いかない、理解できないことをどんどん質問し、ちゃんと納得するまで診療を会得できないんだ。だから、会得に時間がかかる」
D「そう、医療の世界はみんなせっかちだからね。すぐに会得できないことが「悪」なのだと勘違いしがちだ。だが違う。すぐに「わかったこと」「わかったふり」をしているのが一番やばいんだ。
S「そう言われれば、そうですね」
D「それに、そもそもその指導医に教わったことが本当に正しいかどうかは分からないじゃないか。間違いを教わっていることだって多いよ(熱のワークアップとかね)。あるいは、その教えは「当時としては正しくても」しばらく時間がたったら新しい知見がでて時代遅れになるかもしれない。だから、研修医のときも指導医になっても「自分のやってることは本当に正しいのか」という懐疑的精神を持ち、サラサラ流さない診療態度を持っていなければいけないんだ。「優れた研修医」ではなく、「優れた指導医」を育てるのが俺たちの役目だからな」
S「確かに」
D「指導医が間違っているときは、「それはおかしいんじゃないですか」って最新の論文とかUpToDateの記載を出しながら下克上を狙うくらいの研修医のほうが、生意気かもしれないが将来伸びる。そういう研修医を育てるのが俺たちの役目なんだ。素直で上の覚えがメデタイ研修医は、いつまでたっても「優秀な研修医」以上にはなれない」
S「そうですねえ。でも、研修医が「それおかしくないじゃないですか」なんて歯向かってくるときは、わりと見当違いな勘違いなことも多いですよ」
D「だったら、そう教えてやればいいんだよ。そこで「それは勘違いだ」と理解させ、「なぜ勘違いが生じるのか」を教えてやり、コテンパンに叩きのめして指導医との核の違いを見せつけてやるんだよ。ムヒヒヒヒ」
S「本当にこの人に教育法教えてもらって大丈夫なんだろうか」
D「なんか言ったか?」
第2回「優れた研修医に育ててはいけない」その2 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。
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