S「ふう。やっと研修医のカルテ記載チェックできた。ふだんの診療だけでいっぱいいっぱいなのに、研修医指導って本当に重荷だよなあ」
D「なにをいうか、指導は重荷なんかじゃないんだぞ」
S「うわっ。D先生、呼んでもないのにいきなりでてこないでくださいよ」
D「俺がどこにいようが、俺の勝手だ。お前さんに指図を受けるいわれはない」
S「まあ、そうですけど。でも、さっきの「指導は重荷じゃない」ってどういう意味なんですか」
D「文字通りの意味さ。指導をしないより、指導をしている方がずっと楽なんだぜ」
S「え~、それはないでしょう。いくら長谷川豊でもそこまで言いませんよ」
D「長谷川関係ない、いうとるやろが!ほんまやで。指導していたほうが楽になるんや」
S「そのインチキ関西弁止めてください」
D「いいか。医者は一生勉教だ。日進月歩で進歩する医療において、医者の生涯学習は必然だ。
S「それは分かりますけど」
D「日本では「ノウハウ主義」と「経験主義」が横行している。「ノウハウ主義」と「経験主義」ってのは経験を積んで、いろいろなシチュエーションに対して「こういうときは、ああする」というパターンを蓄積していくことだ」
S「そうですねえ」
D「医者になって7,8年も経てば、患者に起きるたいていのことは経験できるようになり、経験値は十分に高くなる。「ノウハウ」で診療しているだけなら、病棟ではつつがなく振る舞うことができるようになる」
S「うーん、耳が痛い。そのとおりです」
D「だから、日本の医者は年齢が上がると勉強しなくなるんだ。でも、普通逆だろ。年齢が上がると肉体の、そして頭脳の能力は衰えていく。若いときのようにはいかない。だから、若いときよりも本当は努力や工夫が必要なんだ。イチローやカズが長く現役でいられるのは、若手以上に努力と工夫を重ねているからだろ」
S「確かに」
D「なのに、日本の医者は「ノウハウ」と「経験」だけに頼るから、ベテランになると努力しなくてよい、と勘違いしてしまう。そりゃ、「ノウハウ」も「経験」も大事だよ。でも、それだけじゃだめだ」
S「うーん、今の説得力ある!たしかに日本ではベテラン、勉強しないですもんねえ」
D「アメリカには定年がないから、何歳になっても現役でいられる。「診断の神様」ローレンス・ティアニーJrもいまだに現役バリバリで患者を診てる。今でもNew England Journal of Medicineを丁寧に読み込んでいる。天才というのはたいてい、努力の仕方が極めて優れている人をいうんだ」
S「でも、それと研修医教育とどう関係があるんですか?」
D「あのな、いくら生涯学習が大事と言っても、何もインセンティブがないまま勉強し続けるのは難しい。モチベーションがすぐになくなっちまう。日本の場合は専門医資格の更新も(たいてい)楽だから、あれも勉教継続の担保にはならない」
S「あああ、また毒吐いてるよ」
D「しかし、研修医を教えていれば、一所懸命教えていれば勉教するモチベーションになる。「ちゃんと」教えようと思ったら勉強しないとダメだからな。というか、そもそも教えるという行為が「学び」そのものだ。繰り返し教えると、記憶は強化されるからな。俺みたいな年になると、何もしてないとどんどん忘れていくんだよ」
S「まあ、D先生ももう人生下り坂ですもんね」
D「そうそう、人生折り返し地点はとっくに回って、もう老後の心配を、、、ってなに言わせんだ!」
S「このノリの良さは関西人も顔負けだ、、、」
D「でも、「指導が重荷じゃない」理由はそれだけじゃあない。他にもあるんだぜ」
S「え?」
第5回「指導は重荷ではない」その1 終わり
続く。
この物語はフィクションであり、DとSも架空の指導医です。
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