沖縄県立中部病院(元厚労省)の高山義浩先生が熊本県庁で地震対策に尽力されています。いつもながらその正義感に満ちた社会活動には頭が下がります。高山先生は避難所における高齢者を被災地から引き離してはいけないとし、現場を知らずにそのような行為を強要すれば結局高齢者とその家族の利益にならないと論じておいでです(熊本地震の現場から「高齢者を被災地から引き離すべきか」 apitalコラム)。
在宅医療などに造詣の高山先生のご意見には一理あります。しかし、私はそれでも避難所から別の場所に住民が移動していくよう、あらゆる手段を集約して促していくべきであり、高齢者もそうでない方も、大量に避難所にとどまりつづける現状を許容してはならないと思います。
私たちは現地避難所の環境アセスメントを行いました。例えば感染対策という点では多くの避難所が衛生面に気を配り、感染症のアウトブレイクが起きないよう尽力されていました。しかし、ほぼ全ての避難所で達成されていない項目がひとつありました。それは「人と人との充分なスペースが確保」でした。
多くの避難所では沢山の人が肩が触れ合うくらいのわずかな距離の、非常に込み合った状態で生活し、就寝しています。廊下にもたくさんの人が生活しています。このような混みあった状態では、いかに衛生状態に最大限に気を配ったとしてもインフルエンザやノロウイルス感染症の発生は防止できません。実際に私達の活動中にも高齢者での、そのような小アウトブレイクが観察され、それは明らかに狭すぎる人と人との間隔が原因でした(報道された南阿蘇でのノロウイルスのアウトブレイクもこのような環境下で発生したのだと考えます。過剰ともいえるメディアの報道に現地のボランティアたちは非常に傷つき、過剰なまでの環境衛生対策を強いられて疲弊したと聞いています。なので、私も本稿では場所に関する情報をあえて公にしません)。
また、我々は直接アセスはしませんでしたが、現地には大量の方が車の中での寝泊まりを強いられていました。これは静脈血栓の潜在的リスクであると考えられています。
高齢者のみならず、現地の住民の意向を尊重するのは外からやってきたものの最低限の礼節だとわたしは思います。一方、彼らのほとんどは密集した環境がいかに諸感染症発生リスクを高めているかはご存知ありません。長期の社内生活が静脈血栓・肺塞栓のリスクとなっているかもご存知ありません。あるいは知識としてはご存知でも、高齢者の重症インフルエンザや肺塞栓がどのようなものかは見たことがなく、それがどのようにつらい病気であるか、その実感はありません。
インフルエンザやノロウイルス感染症、血栓症などは環境が整い、対策を講じた病院内ですら起きるのです。環境やリソースに乏しい避難所で起きるなと要求するほうが無理筋なのです。
しかしながら、目の前に現存するリスクを看過するのも我々プロの行なうべきことではないでしょう。
シエラレオネでエボラ対策をしていたとき、我々が尽力したのがソーシャル・モービライゼーションという活動でした。遺体を手で洗うという現地の習慣は明らかな感染リスクでした。彼らのことばや思いを傾聴しつつ、そのような行動を変容しないかぎりこの悲惨は終わらないことと、現地の名士や宗教家たちも交えて繰り返し繰り返し対話を重ね、行動変容を促し、ついにそのような風習の断念をもたらしたのです。その行動変容は、普段の生活を取り戻すために必要だったからです。
避難所から離れられないという思いや言葉は現地で何度も聞きました。そのような思いや言葉は傾聴すべきです。しかし、それでも彼らが求める「平時の生活」に戻すためにも、全ての人が一日も早く避難所を離れることを目指さなければなりません。避難所では少しずつ人が減ってきてはいますが、まだまだそれでもたくさんすぎる人がいます。夜間の車中に泊る人たちや公でない避難所を考えると、把握できていないくらい沢山の人達が潜在的なリスク下にいます。
移動するのは高齢者や要介護者たちに限定する必要はありません。東日本大震災でも無理な患者搬送はかえって健康リスクを高めてしまった事例がありました。家族が無理やり引き裂かれるような事態も好ましいとは思いません。逆に発想を変えて、むしろ比較的若くて健康な方から移動を促してもよいと思います。「移動してもよいかも」、という方はどなたでも移動を促せばよいと思います。新型インフルのワクチン接種には厚労省からものすごい分量の文章がきて、「この人はワクチンを打つ、この人は打たない」という指南がなされました。結局そのため接種率全体が下がり、皆が損をしたのです。そのような奇妙な平等を目指さないのが大事です。
そのためのインセンティブも欠かせません。家の掃除や仕事のために地域を離れられない、という方は使用可能な高速道路を優先的に使用してもらったり、新幹線のチケットを支給してもよいでしょう。
「移動する」という選択肢が顕在化すれば、もっと移動したい、してもよいという動機も顕在化します。今の避難所は静的な状態にあり、移動を積極的に選択したくなるイメージがもちにくいと思います。
仮設住宅の建設はしたがって可及的速やかに行なうべきでしょうし、プライベートセクターを使った「その他のオプション」ももっと増やすべきでしょう。テントの設営も選択肢の一つでしょう。そうやって避難所から移動する選択肢を増やし、避難所から移動する人を増やせば、避難所そのものももっと生活しやすい、そしてより安全な場所になるはずです。
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