うちの感染症内科では、医師は「午後8時以降は病院にいないこと」を原則にしている。もちろん、原則だから例外はある。当直はあるし、入院患者の急変はある。コンサルテーションも1年365日、1日24時間対応だから、火急の事態になればこの限りではない。しかし、チーム全体としては時間内に仕事を切り上げ、さっと帰宅するのを目標とし、そして原則にしている。ちゃんとやれば、できる。
医師の大多数はタイムマネジメントが苦手である。いや、嫌いであるといってもよい。ダラダラと夜遅くまで病院に残っているのが偉いことだと勘違いしている医師も多い。上司が外勤から戻るまでダラダラと研修医が病棟で過ごし、日が暮れてから回診する、みたいな前時代的なタイムマネジメントの(いや、全然マネジしてないが)医局も多い。夜に始まる会議も多い。そして残業代で多額の収入を得ている。
外国の医師が聞いたらびっくりするはずだ。今後日本の大学も外国人の教員が増えるはずだが(みんな英語大丈夫かな)、夜から始まる会議を許容する人は稀有だろう。大学も医療も国際化、グローバルと喧しいが、こういう「外から見たらヒジョーシキ」なところから直すのが本筋だとぼくは昔から思っている。これでは、男女共同なんとかも、一億層活躍なんとかも、こうしたダラダラ体質では具現化しない。
前にも書いたが、日本人は勤勉なのではない。怠惰なのである。アメリカの病院で働くと、医師は短距離ダッシュの連打で仕事をしているのが体感できる。一方、日本の病院はよくてマラソン、普通でジョギング、悪い場合は道草食いながらの散歩の勤務である。
終業時間をきちんと決めておけば、逆算してどうすれば業務を時間内に終わらせることができるか、工夫できる。カンファや会議を短く刈り込むことも容易である。
ぼくは外来で、患者さんに一番時間のかからない検査の順番を組み立てる作戦を立てるのを習慣としている。患者さんの待ち時間を減らすのはもちろん大事だし、患者さんの待ち時間が減るとはすなわち外来が早く終わることでもある。なにより、必要ない検査はできるだけしない。その分で患者さんから話を聞く時間を十分に捻出でき、かつ、お釣りが来る。患者は待つことを嫌う。患者を待たせて長い時間をかけて夜遅くまで看護師に超過勤務を強いて外来をやるのも、偉いことだと勘違いされているが、必ずしもそうではない。
チームで回診する時は、重症患者から回って、軽症患者にいたるまでだれがどこを診るのかを常に工夫してもらう。1人が異様に忙しそうにしていたら、他の人が仕事を肩代わりする。絶対に「平等」は目指さない。大事なのはチーム全体のパフォーマンスが上がることで、チーム構成員の走行距離が等しくなるよう横並びに走ることではない。最終的にチーム全体のパフォーマンスがよければ、「早く仕事を終える」というチーム全体の利得になる。余裕ができれば、勉強もできる。
患者が入院した時は、その患者の退院のイメージができていることが肝心だ。慶應大学の香坂俊先生は研修医のとき、アドミッションノートを書きながら退院サマリーも書いていた。患者のアセスメントと治療プランがしっかりしていたからできる神業である(診断が間違っていて経過が見当違いなら、この退院サマリーこそ時間の無駄になるのだ)。当時、彼から学んだことは大きい。
患者のアクシデント、急変は起こりうるが、できるだけ工夫して予想の範囲内にとどめておくことが望ましい。だから、プラニングが重要になる。そして正確な診断が重要になる。診断が間違っていれば無駄な検査が増え、方針変換が繰り返され、合併症が生じ、もとの疾患はよくならず、後手後手になってしまう。夜遅くまでの業務が常態化し、疲弊し、そして勉強できなくなり、知識は遅れた知識になる。この負のスパイラルに陥ってはならない。誤診、急変、方針転換をゼロにするのは難しいが、それが常態化しないためのスキルはある。
まあ、ここまでがんばらなくても、工夫すれば終業を早めることは誰にだってできる。医局の忘年会のときはかくし芸の必要な若手はちゃんと時間内に仕事を終わらせている。その晩、偉い人との宴席があれば、いつもダラダラやってる会議も定刻にきちんと終わる。できないのではない、やってないだけなのだ。勉強に身が入らない受験生に言うような警句が、医師の間では実行されていないのだ。
国立大学病院やかつての公立病院など独法化した病院は、かつてのような赤字体質が許 容されないから経営改善にどこも汲々としている。しかし、医師の残業をなくそう、減らそうと具体的な対策をとっている病院はまだ少数派のように思う。残業代、電気代その他の経費はバカにならないはずなのに。タイム・カットはコスト・カットのよい手段なのだ。
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