インフルエンザ罹患後、回復を待って治癒証明書を医療機関/医師に作成させる、というプラクティスが日本では横行している。これは間違いだ。学校、教育委員会、および教員はこのようなプラクティスを生徒/保護者に要請すべきではない。
今からその根拠を説明する。
学校保健安全法では学校内での感染症の流行を防ぐため、出席停止期間を設定している。インフルエンザにおいては「発症した後五日を経過し、かつ、解熱した後二日(幼児にあつては、三日)を経過するまで」となっている。ただし、「学校医その他の医師において感染のおそれがないと認めたときは、この限りでない」。
この出席停止を設定する主体は校長である。出席停止を決めるのは校長であり、校長が保護者や本人に生徒の出席停止を要請する。
(引用)
第六条 校長は、法第十九条 の規定により出席を停止させようとするときは、その理由及び期間を明らかにして、幼児、児童又は生徒(高等学校(中等教育学校の後期課程及び特別支援学校 の高等部を含む。以下同じ。)の生徒を除く。)にあつてはその保護者に、高等学校の生徒又は学生にあつては当該生徒又は学生にこれを指示しなければならな い。
実は、この出席停止期間は近年変更されたものの、医学的に妥当なものかは十分な検証がなされていない。抗インフルエンザ薬で早期に回復する患者が増えたが、そういう患者からもウイルスは検出できる。感染拡大の懸念から、発症後(治っても治らなくても)5日、あるいは解熱後◯日は出席停止、という「理論的根拠」に基づいたものに過ぎない。
しかし、「ウイルスの検出」と「臨床的感染」は同義ではない。インフルエンザの多くは気道からの飛沫感染で、咳やくしゃみがなくなってしまえば(そこにウイルスがいても)感染リスクは激減する。マスクなどしていればさらにそうだろう。さらに、「臨床的感染リスク」と「学校内流行」はまた同義とはいえない。例えば、ノロウイルス感染は治癒後も1ヶ月あるいはそれ以上便からノロウイルスが検出されるが、実務上はずっと早く職場復帰するのが通例だし、手指消毒などの配慮をきちんとすれば、それがアウトブレイクにつながったという事例もない。
ウイルス学的検証は臨床医学的な結論を必ずしも導き出さない。臨床医学的な見地は、必ずしも公衆衛生学的プラクティスと一致しない。事実、上記出席停止のプラクティスがインフルの流行拡大阻止に有効であるという検証はなされていない。エビデンスは皆無である。諸外国でもぼくが知る限り日本のような出席停止基準を持っていない。
だから、現行の学校保健安全法が科学的に妥当なものであるかは、今後の検証が必要である。
それはそれとして、現行の法律は守らねばならない。当たり前だ。しかし、出席停止判断の主体は校長にある。医師の判断は「出席停止期間を短くしてもよい」という判断にのみ法律で要請されている。法律はインフルエンザ罹患後の○○日後に出席可能である旨は述べているが、医師による治癒の証明は要請していない。治癒と感染可能性は同義ではない、という問題を脇へ置いておいても、法律的な医療機関における「治癒証明」の根拠はない。
すでに2009年のパンデミックのとき、文科省も厚労省も医療機関による「治癒証明」は必要ない旨、明言している。そのような対応が学校その他の流行阻止には効果がなく、徒に医療機関を疲弊させるだけであることが明らかだったからだ。
「いやいやいや、それは「新型インフル」の話で、季節性インフルエンザの場合は文科省も厚労省も治癒証明の不要は言ってませんよ」
という反論を聞く。詭弁である。
なにしろ、ここ数年流行してきた「季節性」インフルの正体は、2009年の「新型」ウイルスである。名前が変わっただけで、ウイルスの中身は同じである。しかも、「新型」インフルは病原性が季節性インフルと変わりがなかったというのは医療界、行政に共通した認識で、あれを特別扱いする根拠はどこにもない。
「新型」インフルの時に流行阻止に効果がなく、医療機関を疲弊させるから要らない、とした「治癒証明」が同じウイルスの「季節性」と名づけられたウイルスに必要である、というのは詭弁以外の何物でもない。行政上の文章を重箱の隅をつつくような悪解釈をして、形式的に理論武装しているような外見を装っているだけだ。
「お母さんの中には学校保健安全法を守らず、解熱してすぐに子供を学校に行かせる困った人もいるんです。学校ではそのような判断ができないから、医療機関で「治癒証明」が必要なんです」
という意見も聞いた。
2つの理由で反論する。
まず、そのような「例外的な」邪な親を基準に一般化されたルールを作るべきではない。
例外的な不祥事をきっかけに過度な対応策、書類などを要請するのは国立大学などがやりがちなまずい対応である。一部の例外の悪行のために、大多数のまっとうな職員教員によけいな仕事を負わせるべきではない。組織全体のパフォーマンスの良し悪しを基準に物事は決定されるべきだ。あるサッカー選手のシューズのスタッドがとれた、という事例から全員の選手に大量の接着剤でのシューズ補強を要請し、その結果靴が重くなって試合に負ける、みたいなものだ(分かりにくいですかね)。
第二に、そもそも医師にはそのような邪な親の嘘を見破る能力はない。親が「一昨日から解熱しました」と申告すれば、たとえそれが1時間まえの解熱でも看破する能力は病院、医師にはない。患者の時間情報は、患者の話(病歴)だけが頼りなのだ。ボルタレン座薬で無理やり解熱させて「元気です」と言われれば、「そうですか」と言わざるをえない。
一般論として、学校同様、医者患者も両者の信頼/信用をベースに成り立つ営為なのである。むろん、医者が患者のウソを見破る事例はあるけれども、それはまた別の話だ。
学校保健安全法が出席停止期間を明記しているのだから、医師は受診時に診断書を書いて「これこれまでは学校休むことをお薦めします」と書けば良いだけの話だ。治ってから、また受診して書類を書かせるのは無意味だ。それは医療機関・医療者への負担になる。保護者への負担にもなる。多くの場所では治癒証明書の発行は無料だが、再診料はかかる。そのような人的、金銭的コストをかけ、医療機関を疲弊させても、学校のインフル流行がどうこうなるわけではない。多くは仕事を持つ親に、そんな無益な苦労をかけさせて、一億総活躍なんとか、の精神はどこへ行ったのだ。
すでに沖縄県はHPで治癒証明書が必要ない旨、行政のスタンスを明示している。多くの自治体は未だに責任逃れめいた治癒証明書を要請している。多くの自治体は、やはり責任を取りたくないから、自らのスタンスについてはグレーなままではっきりさせないままである。はっきりさせるべきである。自分たちの地域の感染症とどう対峙したいのか、子供たちを具体的に、そして科学的に守るにはどうしたらよいのか、地域の医療をどうすべきと考えているのか、きちんとしたビジョンを持ち、ビジョンと根拠に基づいて方針を決めるべきだ。紙の文言の解釈ゲームをしてお茶を濁してはいけない。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。