お世話になっている杉の子保育園の今村優二園長先生のエッセイです。とても感銘をうけたのでお願いして転載の許可を頂きました。この話、大学教育や医療者教育にもかなりつながっていると思っています。
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初めに務めた職場というのは、後の自分にとってずいぶん影響をしているのだなとつくづく思います。私の場合は、キリスト教をバックボーンとした100名ほどの保育園でした。ほとんどの子が15時半帰り、遅くとも17時過ぎにお迎え、というなんとものんびりした時代の半分幼稚園のようなところでした。30年前になります。
園長は昭和すぐに生まれた女性で、主任は10年代生まれ、保母出身のお二人からは本当に多くを学びました。今思うと、その園はちょっと変わっていて、運動会や発表会などの行事前以外、子どもたちは基本的に午前中まるまる自由に遊んで過ごすのです。しかも室内にいることはほとんどなく、園庭や戸外でず〜っと遊ぶのです。ず〜っと遊ぶのです。
その時間を"ゴールデンタイム”と呼んでいました。子どもにとって最も育つであろう大切な午前中は、設定された保育をするのではなく、子ども自らが遊びを生き生きと展開していくことのほうが大切である、という考えを持っていました。
午前中いっぱい自由に遊んで過ごすというのは、保育の中で最もカンタンなようで、実は最も難しいと今でも思っています。勿論ただの放ったらかしというのとは全く別のものです。あくまでも私の意見ですが、子どもを集めて一斉に保育をすることは、ある年数苦労をしながらも経験を積めば、ある程度できるようになります。そちらのほうが保育者にとってはやりやすく、またヤッタ感があったりします。もちろんその中で子どもが夢中となり、生き生きと主体的にというと、とてつもなく奥が深くなるのですが・・・。
保育というのは、人間関係や探究心、ことば・・・など目に見えない育ちを基本的にねらっています。国語・算数・理科・社会のようないわゆる教科性のあるものを教える世界ではないので、毎年定まった授業やカリキュラムや教科書はなく、高校や大学のシラバスといったものではない面白さや醍醐味があります。いろんな方法があるがゆえに逆に悩むことも多く、偏りがないように意識しなければならなかったりします。いろんなカリキュラム、たくさんの時間割で過ごす幼稚園などもありますが、私自身はそちらに進みませんでした。子どもにとって、決められたことをして過ごすほうが実はラクな場合が多いように思います。
私が初めに勤めた園のように「何をして遊んでもいいよ」と放牧された環境は、うれしくてたまらない子が多いのですが、中にはしばらく困り果てる子もいます。まあ誰しも日々そういう時があります。しかしやがて、遊びをつくりだしたり継続したり、選択したりする体験を積むと子どもたちはぐんと成長していくものです。
その頃の私たち職員の一番の課題は"ゴールデンタイムをいかに豊かにするか”ということでした。午後の課業(設定活動)や行事の取り組みも悩みましたが、やっぱり一番はゴールデンタイムの中身でした。
毎年度初めと運動会シーズン以外は園庭が穴ぼこだらけの園庭です。子どもたちが鉄スコップで掘った1.5~2m級の大きなクレーターがいくつもあるのです。私は金づちや鋸などの木工や土粘土が特に好きでした。来る日も来る日も子どもは泥んこで遊び、がんじょう玉(おだんご)を作ったり、伝承遊びをしたりする日々でした。かつての路地裏ガキ集団必要、障がいの子も含め子どもたちにとってより成長できるようにとたてわり保育などもしていました。
また今から思うと、大きな特徴は”話し合い”でした。子どもにとって描画や造形や音楽、運動などは大切ですが、同じように”話し合い”ということにも重きを置いていました。特に年長クラスでは、椅子を丸く並べていろんな話題で子ども同士が意見を出し合う機会を持ちました。
これは職員にも求められていましたから、園の風土のようなものでもありました。毎週金曜日の晩は職員会議があり、いろんな意見を出し合います。といっても日によってかなり園長VS主任の意見のラリーをするので、私などはテニスの観客さながらカキンコキンと首を交互に動かすだけの状態でした。園長の言うことはもっともだ、いや意見の違う主任の言うこともなるほどだ、いやいやどちらの意見も共通しているところも実はある・・・など二つの価値観(実は根っこは一つ)に遭遇してハラハラドキドキしたり、「どっちの言うことも難しゅうてよくわからん・・・」となったり、家に帰ってから「あの時にああ言えばよかった」とか「ボクはどちらでもない別の意見だ!」と悔しがったりしたものでした。会議のたびに、「園長と主任とでスパっと物事決めてくれたらいいのに・・・そこまで時間をかけるか!?」とよく思ったものでした。
よく求められたんは「なぜ」と考えよということでした。「それってほんまに?」ということでした。「なんでそれするん?」とどれだけ言われたことか。今になって、いろんな学びをさせてもらったのだと思います。
この昭和のお二人には共通の思いがありました。それは、平和な世の中、本当の民主主義の世の中であってほしいという意思が根底にあって保育をしていたということです。戦争はもう嫌だということが保育のベースにありました。自由な遊びも、子どもや職員の話し合いも、何故しているかというと根底にその思いがあったからでした。
自分の頭で考え、自分で歩く。自分が主体となって自ら遊び・生活し、友達と共に過ごす。時には体ごとのけんかをしながらも主張し、仲直りをする。自分の意見を口でいう、人の話に耳を傾ける。当番をするのも掃除もするのも、子どもたちなりの自治の構築があるからです。
とかく見栄えの良い保育は、親も保育者もうれしくなり求めがちになりますが、かつてのお二人は、もっと遠い未来の世の中に希望と願いを持ち、子ども時代を子どもらしく過ごすということを大切にしながら日々の保育を営んでいました。
仕事を続けていると私の場合、むかしお世話になった方がたま〜に自分の頭のなかにあらわれて「あんた、それでええんか?」「私そんなことを言うてたか?」と言ってきたり、一緒に語り合った仕事仲間や共に働いた友人たちが頭のなかにあらわれて「お前そんなことをやっているのか。むかし言ってたこととえらい違いやなあ」と言われることがあります。
若いころエラそうなことばかりを言っていた自分は、世話になりっぱなしだった自分は、しっかりお二人のバトンをもらっているのだろうかと、今ごろになって深く重く思うときがあります。
今村 優二
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