NHKの調査によると、本稿執筆時点で、安部内閣支持率は不支持率を下回っている(41% vs 43%)。しかし、支持政党ナンバーワンは圧倒的に自民党で34.7%。支持率2位の民主党を大きく上回っている(7.7%)。理由は簡単で、支持政党なしがが36.8%と圧倒的だからだ。もっともこれとて過半数以下であり、今の日本にマジョリティーは存在しない。内閣支持率も統計学的には「拮抗している」と読むべきだろう。
さて、自分に支持する政党や政治家がある場合は話は簡単だ。支持政党、支持する政治家に投票すればよい。問題は、「支持政党無し派」である。
ぼくは選挙のルールに準ずるため、「どの」政党に投票しろ、とかするな、とは申し上げない。でも投票すべきだとは主張したい。白票もよくない。
理由は無投票、あるいは無効投票は「ゼロパワー」でしかないからだ。選挙の後でいくら現行の政治に不満があっても(不満があるから支持政党無しなんだろうけど)、現行政治にまったくコミットしなかった人物はそれに文句はいえない。
「支持政党無し派」が政治に全くコミットしなければ、政治は一部の人達だけのプロパティになってしまう。それはつまり、民主主義の自主的な放棄である。もちろん、放棄するのも1つの自由であるから、それを禁止することはない。しかし、自主的に放棄しておきながら、あとで「政治が気に入らない」と文句をいうのはフェアではない。
たとえ支持政党がなくても、自分が気に入らない政策をブロックするためには、そのブロックに有効そうな政党に投票すればよい。それは小さくても「サムパワー」であり、ゼロ以上である。だから無投票や白票は「よくない」のである。
安倍内閣が国立競技場問題を「白紙」に戻したのは、もちろん世論を慮ってのことである。政治家は世論を慮るのである。政治に無気力、無関心になる理由は1つもないのである。たとえみなさんが支持する政党が存在しなくても、既存の政党はみなさんに支持してもらえるような政党になるべく努力してくれるに違いない。逆に、投票しない人たちに政治家は配慮しない。
政治家が勝手なことをやっているのではない。我々が勝手をさせているのである。政治家たちが民主主義を殺したのではない。もし民主主義が「死に体」になっている、すなわち民意が政治に反映されていないのなら、それは我々自身が殺しているのである。
日本はシステム的には極めて民主的にできている。戦前までの言論封殺や拷問はない。戦後の僅かな間を除けば露骨な暗殺もない。言論封殺と言っても諸外国に比べれば可愛いレベルである。学会大会長が本屋に圧力をかけるなんて、子供っぽすぎてかわいいくらいだ。メディアへの「圧力」といっても所詮は自主規制のレベルだ。その穏やかな言論封殺に、SNS的言論で反論できるくらいだから、ユルユルである。みなさんが何を言っても公安にしょっぴかれたり、拷問されたり、失職したり、家族を拉致されたり、暗殺される気遣いはまずない。繰り返す。日本は民主主義国家としてよくできた国なのだ。
あとは、そのシステムを有効活用するか、無駄遣いするか、のどちらかしかない。とくにもうすぐ選挙権を手にするティーンたちはそのことをよく考えてほしいと思う。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。