曽野綾子氏は2月11日付の産経新聞のコラムで、「外国人を理解するために、居住を共にするということは至難の業だ」と述べている。20〜30年前の南アフリカ共和国で白人だけが住んでいた集合住宅に黒人が住むようになり、「黒人は基本的に大家族主義だ」ということでマンションの1区画に20〜30人が住みだしたという体験談を引用、だから「居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい」のだそうだ。
たいていの黒人はこれを聞いて、「曽野綾子を理解するために、居住を共にするというのは至難の業だ」と考えるだろう。曽野氏が心配しなくても、彼女と居住を共にしたい黒人は皆無のはずだから、曽野氏は安心してよい。黄色人種の僕だって願い下げですけど。
昨年12月から1月までエボラ対策でシエラレオネにいた。自然も資源も豊かなのに、今も世界で一番貧しい国の1つである。15世紀にポルトガル人がこの地にやってきて以来、シエラレオネは奴隷狩りの場であった。三角貿易の一角をなして欧米人の商売に寄与させられてきたのだ。奴隷貿易が禁止となり、英国の植民地となったあと、首都は自由の象徴として「フリータウン」と名付けられた。しかし、英国による白人支配は黒人社会に暗い影を落とし、独立してからも内戦で少年兵たちが殺し合いをするなど、陰惨な歴史は続いた。そして今度のエボラである。
人口600万人あまりのシエラレオネは完全な黒人社会であり、黒人以外の住民は極めてまれである。さて、ACAPS2014年12月17日の「カントリープロファイル」によると、シエラレオネの1世帯あたりの構成人数は5.9人とある。曽野氏のいう、「黒人は基本的に大家族主義」「10〜20人が住みだした」というのは何の話だろうか。
5.9人だって大家族じゃないか、という人もいるかもしれない。しかし、日本だって1950年代までは世帯構成員数は平均5人以上だったのである。核家族になったのはつい最近のことであり、日本の伝統社会は大家族であった。曽野氏のような保守派が回帰したいであろう、「かつての日本社会」である。黒人社会を構成員数で特別視する根拠はどこにもない。貧困に喘ぎ、小児死亡数が多い国では人種とか文化と無関係に大家族になるのは当然だ。
危機下になれば、さらにその傾向は強くなる。阪神大震災をぼくは直接経験していないが、被災の経験を持つ人たちに話を聞くと、「家を失って親戚の家に身を寄せた」という話はよく聞く。いや、2011年の東日本大震災の何百人もが大挙し、ダンボールだけで仕切られた避難所のことだって記憶に新しい。曽野氏はもう忘れてしまったかもしれないが。
南アフリカ共和国は何十年も黒人にとって「危機下」にあったのである。貧困と差別が慢性的に常態化した社会で、「皆が身を寄せ」生きていかねばならないのは当然であろう。好むと好まざるとにかかわらず、である。
曽野氏のような人物の言うことをいちいち相手にするのもバカバカしい、と思う人もいるだろう。しかし、楽観してはいけない。妄言だって大勢の人を共感させ、それは差別社会のエートスをつくるのである。アドルフ・ヒトラーの戯画的な演説や、マッカーシズムを後年の僕らは「バカバカしい」と思う。しかし、それに熱狂してエゲツナイ差別行為が正当化されてきたのである。妄言は断固として否定し、拒否しなければならない。
本来であれば、産経新聞のような公共性を大事にすべきマスメディアがそれを率先して行うべきなのだが、産経新聞にそれを期待する気は、さすがにぼくにはない。南アフリカ共和国を2度訪問し、故ネルソン・マンデラ氏に対するこの国の敬意の高さに感じ入った僕自身にとってもマンデラ氏はヒーローである。この国とマンデラ氏の高機な精神に泥を塗るような曽野氏と産経新聞には強い怒りを感じているが、マンデラ氏の精神をくんで、罵倒の言葉は投げないだけなのである。
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